葉巻の愉しみ

タバコ吸いはどうも肩身の狭い感じのする昨今ではありますねぇ。
野田内閣の閣僚のおばちゃんが、皆さんの健康を守るためです・・・などと発言したので、「そこまで言って委員会」でざこば師匠は怒りました。
「人のことはほっといてくれ」

ガキだった頃、大人が吸う煙草に興味があったんでしょう。田舎のるり渓で、ぼくは祖父さんの刻みたばこを盗み出し、悪童の友達と二人農機具小屋に隠れてキセルを吹かせたことがありました。
直ぐに、頭が痛くなり吐き気に襲われました。その悪童の連れは「水に入ったら直る」といって駆け出しました。二人でそばの川にフリッチンで飛び込みました。

こういう初体験があった所為なのかどうか、高校でも大学でもタバコはやらなかった。
高校の頃、喫煙検査なるものがありました。先生がリトマス試験紙みたいな紙切れを渡し、みんなに舐めさせます。色が変わったら喫煙している証拠です。
検査になると、廻りのクラスメイトが一斉に紙をぼくに渡します。素早く舐めて返します。そんな舐め屋みたいなことをやっていました。


大学でも、最初の頃は吸いませんでした。山を歩いていても、煙草を吸わないぼくはあまり休憩に時間を取らないので、タバコを吸っているスミさんなどは、「もうちょっと待ってくれ。せわしない奴ちゃなあ」と愚痴ったものでした。

卒業してから、パイプをやりだし、「パイプ吸ってたらしゃべれんやろ。寡黙は山屋の徳目じゃ」などとうそぶいていたのです。そのうちに紙巻きもやりだし、どんどん量が増え、チェインスモーカーになりました。50本入りのピー缶では足りず、いつも予備の一缶を持ち歩いていたものです。

「新しい本のページをペーパーナイフで切り、本を読みつつ紫煙をくゆらす」などと昔どこかに書いています。
この間タバコを止めたことは何度もありました。しかしふとしたきっかけでまた吸い始める。

そのきっかけというのはどうも精神的な動揺を来した時のような気がしていました。たとえば、ある時祇園のクラブで踊れないのでテーブルにいると、ママさんがやってきて、「踊らはらへんのどすか。踊りましょ」
「いやぼく駄目なんです」と断ります。「なにゆうたはんの。簡単どすえ。右左に揺れてたらよろしいねん。さあさあ」と手を引っ張りました。
それで、そのチークダンスとやらを終えて、テーブルに戻って、気がつくとそこに置いてあるタバコを手にしていました。

一方タバコを止めるきっかけというのは、吸いすぎて気持ちが悪くなったり、全然美味しくなくなる。それがきっかけだったような気がします。
止めてもしばらくの間は、いつでも吸えるようにポケットにはタバコを忍ばせていました。吸わなくなって、10年以上経った1995年頃から、ぼくは頻繁にヨーロッパに行くようになりました。

ヨーロッパのレストラン(フレンチ)では、デザートコースになると葉巻がワゴンで運ばれてきます。鼻にかざして香りを嗅いで、選ぶとボーイが吸い口をカットして火をつけて渡してくれます。なんとも優雅な気分になる。
葉巻をともに吸うのは、男の友情の発露だそうで、友人のパベルはそう話していました。また、葉巻を贈るのは真の友情の証なのだそうです。

ヨーロッパで葉巻を吸うのが待ち遠しい気分になってきていました。それで、ふと思ったのです。なんでヨーロッパなんや。日本で吸ったらいいんではないか。
たぶんそれは、1998年頃ではなかったかと思います。
でも、銘柄や太さなど実に多種多様で、何を吸ったらいいのか分かりません。とりあえず、外国で買い求めて持って帰ることにしました。
銘柄が決まるまでに1年以上かかりました。

仕事柄よくヨーロッパに行く娘にも、各種買ってきてもらうことにしました。でもハバナ葉に決めていました。アメリカの友人のクリスが、「葉巻の善し悪しは朝起きたときに分かるんだ。いいのは喉が痛くない。やはり、キュウバだね」と言っていたのを覚えていたからです。
彼には、アムステルダムの老舗のハニエスから、よく送ってやりました。送る時には、巻いてあるラベルをはがして裸の形で送る。ラベルは別の封書で送るのだそうです。アメリカには、キュウバ葉巻は禁輸で、手に入らない。

アメリカ国籍のパキスタン人カマールの結婚式に招かれてカナダのエドモントンに
行った時のことです。ぼくが、友人の香港土産のパルタガスという銘柄を吸っていると、そばのアメリカ在住のパキスタン人達が「それキューバ産じゃないか。ちょっと吸わせてくれ」
回しのみしながら、「One puff one dollar」(一吸い1ドル)と言って笑い、そんなに高いのかと思ったのです。

ぼくには、葉巻に関して、忘れられない思い出が二つあるのです。いずれもヨーロッパでのこと。
あれは、2004年にパリに行った時のこと。予約してあったバスティーユ地区のアパートに夜着いて、ガイドブックを調べると近くに、Le Bar a Hultierという牡蠣屋さんがあることが分かりました。牡蠣に目がないぼくは直ぐに出かけることにしたのです。


テーブルに座って生ガキをお代わりし、葉巻を吸っていると、斜め前に座っているおじさんが声をかけてきました。
「シガーの銘柄はなんですか?」
これは葉巻を吸うもの同士の最初の決まり文句の挨拶なのです。
「モンテクリストのナンバーツーです」
「そうですか。わたしはホヨ・ド・モントレーです」ぼくは知らなかったので、そういうと、彼は「実にいいですよ。是非吸ってみて下さい」

彼の英語には、まったくフランス訛りがないキングズイングリッシュ風のしゃべりなので、ぼくは彼はてっきりイギリスから来たと思ったのです。
でも、それは間違いでパリから数時間離れた街から来たのだそうです。
パリに3日間いて明日の朝帰るのだそうです。

帰る時に彼はぼくにこう問いかけました。
ところで、君はシガーをどう楽しむのかね。
ぼくは、どう答えたものかと考えていると、
「毎日吸うのかね。二日に一本。一週間に一本。ひと月に一本。年に一本、たとえば特別な時、誕生日とか」
ぼくは毎日吸います、と答えました。すると彼は、
「そうかね。わたしも毎日吸います。明日の午後二時に吸うから、君もその頃吸って下さい。そうすれば、ぼくたちはどんなに離れていてもずっと友人だよ」
そういって帰ってゆきました。

つぎは、2006年の1月のこと。ぼくはザルツブルグで、やはりアパートを借りていました。この年はモーツアルト生誕250年の年で各所でコンサートが開かれていました。毎日15分ほど歩いて旧市街に行っては、コンサートのはしごをやっていたのです。
その日も出かけて、ザルツブルグの祝祭劇場の向かいにあるレストランに入りました。これはあとで分かったのですが、このレストランはゴールデナー・ヒルシュ(Goldener Hirsch)といい、カラヤンの定宿のホテルのなかにあるのです。


ここは、鹿肉料理が専門で、壁には鹿の角がいくつも飾ってありました。
鹿料理を食べ、シガーを吸うために別室のバーに移動しました。
そこで、葉巻をくゆらせていると、一人の比較的若い紳士が入ってきて葉巻に火をつけ、そして決まり文句の質問をしました。
ぼくが答えると、「私はパルタガスです」
「そうですか。あれはぼくには強すぎるんです」と返しました。

彼はソファーの脇に置いてある箱の蓋を開けてしばらく考えていましたが、つと立ち上がり、一本の葉巻を手にぼくに歩み寄りました。
「これがきっと君の好みに合うと思うよ」
そういうとその葉巻をぼくに手渡したのです。それは、ロメオ・エ・ジュリエットという銘柄のビンテッジシガーでかなり高価(日本では数千円以上)なものでした。
「では、探して吸ってみますよ」と言いながら、それを返そうとすると、「どうぞ、どうぞ、あなたが吸って下さい」と言うのです。少し驚きした。

まもなく彼の奥さんも現れ、ぼくたちは、シガーを吸いながらゆっくりと会話を楽しんだのでした。
午後の4時頃になって、彼はもう発たないと帰り着けない、といいます。彼は車でベニスまで帰る。ベニスで家具の輸出入をやっているのだそうです。
帰り際に名刺を渡して、「ベニスに来たら必ず連絡して下さい。また一緒にシガーを楽しみましょう」そういって帰ってゆきました。

葉巻こそは男同士の友情を作る素敵なアイテムだ、ぼくはそう信じているのです。

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