『スリー・カップス・オブ・ティ』の大嘘

Three Cups of Tea 教え子のトオル君が「Three Cups of Tea 読みましたか。ぜひ読んで下さい」と言って来た。
 早速アマゾンに注文した。英語の原文のものしかないと思っていたのだが、翻訳本の「スリー・カップス・オブ・ティー」があった。<読み始めたら止まらない。全米400万部突破!>と勇ましい文句の帯が付いている。
 
 読み始めて直ぐに、なんとも言えぬ違和感を抱いて、読み進む気が失せてしまった。なにが「読み始めたら止まらない」じゃ。「読み始めて直ぐに放り投げる」ではないか。
 ぼくの抱いた違和感はなんであったのか。この本、どうも嘘くさいのだ。
 ぼくは、1975年と1979年の2回、スカルドからブラルド河を遡ってビアフォー氷河に入っている。1975年はラトックⅡを目指し、1979年はラトックⅠを目指した。いづれもブラルド河最奥の部落アスコーレをでて、左折れしてビアフォー氷河に入る。どちらも7000メートル級の未踏峰だったが、ラトックⅡは失敗、ラトックⅠは成功した。このラトックⅠ峰、この時の初登以来いまに至るまで登ったものはいない。つまり第二登はない。
 
 これらの山は、ビアフォー氷河の途中で一泊するだけで、ラトックⅡやラトックⅠのベースキャンプに着く。ところが、K2に向かうには、左折せず真っすぐにバルトロ氷河を遡ること約8日のキャラバンが必要である。
 この氷河の道は、大きく開けていて、両岸に聳える高峰を眺めながらのキャラバンでバルトロ街道とも呼ばれる。

 ぼくがラトック山群を目した当時は、スカルドからブラルド河の左岸をジープやトラクターで進み、ダッソーから歩きになる。ダッソーの橋で右岸に渡り、アスコーレまでづっと右岸の道である。大変険しい道で、夏は氷河の融氷で増水しているのでへずる道が使えず、高巻き道の登りに半日下りに半日を要したこともあった。
 ともかく、スカルドからベースキャンプまでは、一週間から10日を要した。
 その後、アスコーレまでは車が入るようになった。

 「スリー・カップス・オブ・ティー」の著者、グレッグ・モーテンソンがK2に行った1993年には、K2へのルートは大いに開け、スカルドからアスコーレ村までは車で数時間、パルトロ街道は多くのトレッカーで賑わっていたはずである。
 そのバルトロ街道で、著者のグレッグ・モーテンソンは、下りのアスコーレに着くはずのところが、道に迷ってコルフェ村に着いたと書く。そんなことが起こりうるのか。

 17ページの記述を見る。
ーーー どうしてこんなことになってしまったのだろう。
 袖口で涙をぬぐう。泣くことなんてめったにないのに。たぶん高度のせいだろう。たしかにいつもの僕じゃない。78日間、K2と命がけの格闘をした後では、すっかり弱ってしまい、ぬけがらみたいだ。アスコーレ村まであと80キロもの道のりを歩いていける力が残っているだろうか。ーーー
 アスコーレ村の高度は3000m。バルトル街道は急な登りのない平坦な道なので、アスコーレから3日歩いたパイユでも高度3400m。もう一日あるいたウルドカスでも4050m。高度の影響の出る高度ではない。
 ましてや、8611mの世界第二の高峰k2の頂上近くまで達したと書く著者が、「高度の影響」?。
 先の引用の三行前には、
ーーー山頂まであとほんのすこしだった。あと600メートルもなかった。ーーー
 8000メートルの高度の経験をした人間が、3000や4000の高度で、なぜ「たぶん高度のせいだろう」などと考えるのか。
 このあたりから、ぼくはなんだかムカムカして来たのだった。

 こんな創作としか言えない状況で道に迷ってコルフェ村というところに着いたという。なんとも理解できないような状況で知り合いのポーターに会い、村に導かれる。 彼はそこがアスコーレ村だと思っている。
 ハジ・アリという村長が出迎える。ハジというのは、メッカに巡礼した人に与えられる尊称で、だいたい村長はハジを名乗っている人が多い。ぼくが行ったときは、アスコーレ村の村長はハジ・マーディといい、大の日本びいきだった。
 遠征隊は、必ず村長に挨拶におもむき、贈り物を贈るのが習わしである。なにかことがおこった時には、助力が必要になるからである。

 ところが、この著者は村長を知らない。初めて会ったことになっている。
ーーー「ここはアスコーレ村じゃない」とハジ・アリは言った。足下の地面を指さして言う。「コルフェ村だ」
 僕はぎょっとして飛び起きた。ーーー
 読んでいるぼくの方こそぎょぎょとして、胸がつかえた。
 だいたい、どんなことがあっても、アスコーレ村と他の村を見間違えることなどあり得ない。アスコーレはブラルド河最奥の村で、K2へのキャラバンの起点で、そのたたずまいは、他の村とは違うし、村に入る前から分かって当然なのである。

 ところで、この「コルフェ村」ってどこなのだろう。ぼくは著者と同じように聞いたこともなかった。そこで、インターネットでこのあたりのトレッキングの記事を探してみた。こんなのが見つかった。2005年9月の記事である。
 「アスコーレ村までジープで上がり、そこから歩き。吊り橋を渡って対岸を上流に向かっていく。30分ちょっとでコルフェの村を過ぎ、モンジョ村へ入る」
 なるほど、コルフェ村はブラルド河の対岸にあるのか。ならば、グレッグ・モーテンソンは橋を渡らずどうやってコルフェ村に着いたのだろう。

 この疑問は、今回のパキスタン行で、ナジール・サビールと会ってハッキリした。
 上のトレッキング記事にある吊り橋が出来たのは、グレッグ・モーテンソンが道に迷ってコルフェ村に行った5年後なのだ。だから彼は空中遊泳をしてその村に着いたか、あるいは大嘘をついているかなのだ。
 もしかしたら、この吊り橋は、彼が言う彼のお金で造られたものかもしれない、という冗談みたいなつじつま合わせが成り立ちそうだ。

 ぼくの旧友のナジール・サビールというのは、パキスタンにある5つの8000メートル峰5座のうち4つを登った登山家で、ぼくのコンピュータの生徒でもあった。ナジブラ・ブットー首相の時の教育大臣も務めたが、それを止めた後、中パ合同隊を組織してエベレストに登り、唯一の登頂者としてパキスタンの国民的英雄となった。
 ぼくが、訪パする一週間前まで、ロンドンに滞在して、イギリスの登山家ダグ・スコットがネパールで運営するNGOのお金集めの講演をしてきた。その時に、エリザベス女王に会ったという話だった。
 
 彼はこう語った。あまりにぼくの感想と一緒だったので、少し興奮した。
 あのねぇ、あの時期というのは200人くらいのポーターを連れた遠征隊がいくつも列をなすし、トレッカーも激しく行き来しているんです。道を迷うはずがないんです。
 「あれは、創作ですね」とぼくが言うと、ナジールは、ちがう。ちがう。あれはThree Cups of Tea じゃなくて、トリー・カップ・オブ・デシートですよ。
 「え、デシート」
 「そう、ディ、イー、シー、イー、アイ、ティ」
 それでも分からなかったのでiPhoneに入れてある辞書で調べた。
 Deceit 欺くこと。ぺてん。詐欺。虚偽。計略。策謀。

ThreeCups2 この本、日本語訳は一つなのだか、英語版は何冊かあって、頭のThree Cups of Teaまではみんな同じなのだが、その後のセミコロンの後が違う何冊もの本がある。
 いくつかをあげると、
 ○Three Cups of Tea: One Man’s Misson to promote Peace… One school at a Time(2007)
 ○Three Cups of Tea: One Man’s Journey to Change the World… One Child at a Time(2009)
 ○Three Cups of Tea – One Man’s Mission To Fight Terrorism And Build Nations… One School At A Time(2007)
 日本語訳は、最初のもののようである。
 ナジールが手にしてぼくに示したのは、三番目のテロリズムへの戦いというものだった。グレッグ・モーテンソンは財団を創り、沢山の学校を建てているそうだ。
 ところが、その場所は、ギルギットであり、フンザであり、チトラルであり、ワハンである。そんなところにテロリストはいない。なにが、テロリストとの戦いなんだ。この本は俺たちのほっぺたをひっぱたいているんだ、と彼は怒っていた。
 
 テロリズムは貧困から生まれるといわれる。しかしそれは、アングロサクソンの勝手な推論に過ぎないようにぼくは思っている。
 テロリストの養成所とされるモスクにある「マドラーサ」は、そんな辺境の地にはない。テロリストとの戦いなどと唱えるのは、ご都合主義のでっち上げというべきである。
 ナジールはそうは言わなかったのだけれど、ナジールの政治の弟子で、ギルギットからフンザまでのドライバーを勤めてくれたラフマットは、奴はCIA関係のスパイという見方がかなり一般的だと語った。
 
 パキスタンでは政敵は常にアメリカのスパイとされるのが常ではあるし、奥地に学校が出来、教育が行き渡るのは結構なことではある。
 しかし、この「スリー・カップス・オブ・ティー」のような、嘘が綴られた本が大量に売れ、それを読んで感激している日本人のプログ記事なども散見され、なんとも言えぬ腹立たしさを覚える訳である。

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