橋下圧勝?

 先週の土・日、恒例の「北山パーティー」があった。
 これは、もう30数年続いているもので、テント張りのアウトドアで美味しいものを食べ飲んで、夜っぴて語り明かすという会だ。始めの頃は、北山の山菜を食べる会から始まったのだが、直ぐに冬の猪肉・ぼたん鍋が加わって、年二回に拡張した。
 さらに、山菜の採集が難しくなったので、春のメニューがステーキになった。
 ひところは、日本中からの参加があって50人を超えるまとまりのつかないパーティになったこともあったが、最近ではほどんど近しい者ばかりの落ち着いたグルメ会となっている。

 一夜明けた昼の談笑で話題となったのは、大阪ダブル選挙だった。
 その日の夜には結果が分かる。ほとんどが橋下勝利を予想していた。ただひとり、ぼくのザイル仲間で一緒に冬の劔岳G1リッジを初登したスミさんだけは、異を唱えていた。彼は永年大阪府庁に勤務していたからそうした情報が周りから入っていたのだろう。
 「あんなネガティブキャンペーンをやるようでは、ゼッタイ勝てん」と、最初の頃からぼくは唱えていた。橋下は賢いから無視するだろうと。
 しかし、これはTVで見たのだが、「おやじがヤクザぁ。結構毛だらけ」と、街宣車の上で橋下は叫んでいた。大阪人の心をとらえる居直りだった。「ほんでなんやねん」という訳である。
 文化的にひだ深く底が深い関西人にあんな単純なキャンペーンは通用しない。関西と関東ではその文化が異なる。だからだろうが、「仕置き人」シリーズは関東ではぜんぜん受けないそうだ。
 
 そのつもりになって注意深く観察しておれば、世の中いろんな事が見えてくるものだ。3.11の大震災と原発事故が明らかにしたものは、日本がソ連に勝るとも劣らない官僚国家であったという事実だったと、ぼくは思っている。
 今回のダブル選挙が明らかにしたのは、そうした体制を守ろうとする勢力が、驚くべきことに、共産党をも含めた既成政党だったということ。

 政党だけではない。これに役所、教育組織(教師は役人そのものとなっているのだが)マスコミ、さらには密かに財界もこれに加わっていたのかもしれなかった。
 こうした完全とも言える体制守備勢力にどうして勝てたのか。投票率の高さと無党派層の支持などといわれている。それが選挙というものかもしれない。
 しかしぼくは橋下の実績、死に瀕していた財政を立て直したことを、一般市民が認めたのではないかと思う。スミさんは、橋下は実は大した立て直しをしていないと力説していた。つまり、平松側は橋下の実績を認めて、ここをつぶそうとしたと思われる。
 まあともかく、大阪のおばちゃんに代表されるような「がめつさ」が橋下陣営を支持したと言えるのではないか。

 同じような流れで、かつて民主党は大勝利した。そして、その後はどうなった?これが問題だとぼくは思う。
 日本の戦後の歴史で、日本を変えようとした流れは何度もあった。そして、そうした人やグループ、正確に言えば、アメリカの意に添わない形に変えようした試みはことごとくつぶされたと言える。そしてその度ごとに、体制は強化されたし、巧妙に防護術を身につけてきたと言えるのではなかろうか。たとえば、それは田中角栄に始まり、最近では鳩山や小沢一郎。

 叩きつぶされるまでいかないとしても、官僚、学者、マスコミの強力連合がこの50年間何度も批判をかわしながら自らが生き延びるために培ってきた強固な論理とシステムで立ちはだかって、妨害を計る。
 こうしたシステムや論理に対抗できないまま、そういう気のないままに洗脳されたといってもいい状況の大衆は、改革しようとする勢力に異を唱えることになる。

 ここで、話をうんと過去に戻してみよう。
 日本を統一しようとしたのは信長だった。信長は、統一の最大の手段である銃器と火薬を確保するため堺の商人と手を結んだ。そして、楽市・楽座を設けた。
 信長を倒したのは秀吉だった、とぼくは思っている。明智光秀だということになっているが、実は秀吉だった。小説『信長の棺』を読んで、そう思うようになった。本能寺の焼け跡から信長の遺体が見つからなかったという謎に、明快な解答を記したのは、この小説だけである。日本を統一した後も秀吉は信長から学んだものをおおいに利用した。

 秀吉は大阪という地政学的な日本の中心にあって、大いなる発展を図る。その時世界の中心はロンドンだったが、大阪はそれをはるかに上回っていたらしい。
 秀吉が家康に与えた関東の地は、当時沼地が多く低湿地でどうしようもない場所だった。そこに運河を巡らし流通路として江戸の隆盛に変えたのは家康の能力だったといえる。
 世界に冠たる大都市の東京はいまもうドンズマリにあるといっていい。大阪はいまこそ秀吉の時代の繁栄を取り戻すべきだと思う。

 選挙に勝利した橋下は、大阪都構想に賛成しないならば国政選挙に対立候補を立てると言明した。その効果たるや凄いものであったのは、周知の事実である。腹の匕首の存在を示したというべきか。
 橋下は、関西一円に目を配り、関西の足下を固めつつ、信長の手法を学ぶべきではないのか。愚にもつかない東京の政争には距離を置き、楽市・楽座を作ってゆく。
 「府市あわせ(不幸せ)」を正しても、それがどれだけ景気に結びつくのか。

 マスコミでは、3重のバリアーがあるとしきりに説く。4年で実現するかどうかは疑問であると。でもそんなことは、大事ではないと思うのだ。京都の不幸せを解消するのもいい。東京が渋ったら、さらしの下の匕首の柄をちらりと覗かせばいいだけではないだろうか。
 関西経済圏を盛り上げて行くことが、冷めやすい一般大衆をつなぎ止める唯一の方法だと知るべきだろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください