『マンボウ最後の家族旅行』

斎藤ドクターの奥様・斎藤喜美子さんから、北杜夫さんの絶筆を含む新刊の本『マンボウ最後の家族旅行』(実業之日本社)が送られてきた。
『月刊ジェイ・ノベル』に掲載されていた連載エッセイ「マンボウ夢草紙」と「妻・斎藤喜美子が語るマンボウ家の五〇年」に、斎藤由香さんの「父が遺したユーモア」を加えて一冊としている。
奥様の喜美子さんとは、あのディラン峰遠征の翌年の1966年の夏、比叡山上の集会で会って以来会ったことはない。大変美しくて、明るく快活な人でだったという記憶がある。
その頃は、『楡家の人々』が書店に平積みされていた。奥さんは問わず語りに「大変なのよ。わたし本屋さんを回って、人の目に触れるところに位置替えしたりしてるのよ」などとおっしゃっておられたのを憶えている。

昨年の暮れ、パキスタンにいた時、先輩の塚本さんからメールがきた。
出版社からの連絡で、北杜夫の伝記を出す為の取材の申し込みがあった。生き残りの三名のお話を聞きたいとのこと。2月15日ー16日のどちらか空いてますか、ということだった。
2月15日、ぼくたち京都府山岳連盟カラコルム遠征隊の生き残り3名、塚本、高田、上田の3名が取材を受けることになった。
指定された京都駅伊勢丹ビル11階の點心茶室の前で、すでに到着していた当方の2人と東京から来た小説新潮編集部の堀口氏に合流した。

私たち3人はその後もずっと付き合いがあるものの、1965年の遠征隊の思い出話をすることになった訳で、大いにはしゃいで話は盛り上がっていた。堀口さんはこの3時間近くの話のテープ起こしをされるのは、けっこう大変な作業になると思った。
この時になって分かったのだが、北杜夫の伝記を書くのは娘さんのエッセイストで有名な斎藤由香さんで、堀口氏はそのための資料集めの取材であった。

たしか翌々日だったと思うのだが、斎藤由香さんからお礼状とお菓子が送られてきた。さらに、北杜夫の最初の単行本『星のない街路』(昭和44年刊)の初版本も同封されていて、大いに感激した。
ぼくとしては、たのしい昔話をする機会があって、おおいに楽しませてもらったので、こちらが御礼を言いたいくらいだったから、その旨のメールを書き送った。
すると、直ぐに返事が来て、そこに「メールをされるとは、すごいですね」とあり
なんとなく意表をつかれた感じだったのだが、ぼくの年でメールをするというのは珍しいことなのかな、とも思った。
女房の秀子は、「お父さんそれは説明しといた方がいいんと違う」というので、数年前まで大学でもコンピュータを教えてましたと書き送った。

そんなことがあって、今回出版された『マンボウ最後の家族旅行』をいただいた訳である。斎藤ドクターの絶筆のエッセイがあって、後に奥様の『マンボウ家の50年』という聞き書きがあり、最後に由香さんの「父が遺したユーモア」と題するエッセイがある。そこには、ドクターが亡くなる状況が書いてあり、胸に迫るものがあった。
あらためてドクターの冥福を祈った次第である。