『言志』購読のすすめ

人の真価というか正体というのは、普通の時にはなかなか見えないもののようで、危機のとき非常時にはっきりと見えるのではないかと思います。何度か山の世界でそういう経験をしてこの認識にはかなり自信を持っています。
こうしたことは、こと人間に関してのみではなく、国や政府にも同じことだと気がついたのは、ベルリンの壁崩壊や9.11などで気付き始め、決定的になったのは3.11でした。
今に始まったことではないにしろ、マスメディアは全く信用がならないと改めて思い始め、その金太郎飴のような各社の報道にどんどん興味を失ってきました。それと平行して数年前からネット上のメディアに興味がわいて来て、特に桜チャンネルが面白くなってきた。
かつては、きわめて特殊な右翼の発表の場と思っていたのですが、番組が変わったのかぼくの頭が変わったのか、多分前者だと思うのですが、とてもまともであると思えて来ました。
そうなるに従って、マスコミに対する認識はどんどん低下し、ほんとのマスゴミという表現が当たっていると思えて来ました。
三橋貴明氏の指摘を待つまでもなく、普通の企業であれば、たとえば「赤福餅」の例を見るまでもなく、ひどい失策や社会的な害に対しては、それ相応の社会的処罰を受けるのが常識であるにもかかわらず、新聞・テレビは全く別の世界とされているかのようです。
そんな憤りを感じるとともに、桜チャンネルを熱心に視聴する様になりました。
最近、桜チャンネルをプロデュースする日本文化チャンネル桜から「言志」という電子マガジンが、〜日本を主語とする電子言論マガジン〜と銘打って発刊されました。
月刊で、一部380円。早速ダウンロードして読んでみましたが、面白い。
A4で300ページ近くあり、週刊誌たとえば『週刊現代』は170ページで370円だから大変安いといえます。それに、広告もないし内容は充実していますから、実質は5倍くらいあるようにぼくは感じています。
なので、少々紹介してみることにしましょう。
まず、創刊号の表紙はこんなのでした。


この2号の書き下ろしコラムは、読み応えがあります。
戦後保守を超えて〜次代を支える23人の論客による書き下ろしコラム〜で、桜チャンネルの常連の23人が名を連ねています。

さて、最新号の3号は発売されたばかりです。なかなかインパクトのある表紙です。

安倍晋三新総裁へのインタビュー(総裁選出馬宣言の直後)などもあって、けっこう充実して来たようです。
この新しい試み、デジタルマガジン「言志」は、部数2000が採算ベースだそうですが、そこに達していないのだそうです。
ぜひ、支援の意味でも購入してあげてください。一部380円、CD版は送料込み500円。
オンラインでの購読方法は、まずPuboo(パブー)のサイトにログイン そこでユーザー登録を行います。ここで登録しなくても、すでに、facebookやtwitterのアカウントを持っている人は、それを使ってログインすることが出来ます。
パブーにログインしたら、作品検索で「言志」を取り出し、書名をクリック、「カートに入れる」と進めばいいです。

この3号では、編集長の水島総氏が巻頭言でその志を述べています。少し長くなりますが、引用しておきましょう。

「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」
  (ヨハネ福音書8.7より)


 律法に違反し、姦通の罪を犯した女をユダヤの人々が石打ち刑に処そうとした時、イエスが述べた言葉である。人々はこれを聞き、1人、また1人とその場を去って行った。大事な点は、人々が女を許した「寛容の精神」ではなく、人々が皆、女と等しく、自分が罪を犯す汚れた存在だと知っていた自己認識の高さだ。自分を客観的に見つめるというユダヤ人の優れた人間認識こそが、これまでの人類の歴史の中で、白人中心の世界文明秩序が近代まで主流となって来た原因のように思われる。

 聖書の言葉を冒頭に引用したのは、日本のほとんどのマスメディアが、今、一致して陰湿な安倍晋三自民党新総裁へのネガティブキャンペーンを推進しているからだ。しかし安倍氏に対して破廉恥に「石を投げている」マスメディアこそ、実は国民から石を投げられてしかるべき亡国の存在ではないのか。

 文明の進歩はあっても人間は変わらない。いや実際、2000年以上も昔の聖書に登場する普通の人々が、日本のマスメディアの人間より、はるかに優れた人間であることに、あらためて愕然となるのである。

 しかし反安倍晋三キャンペーンで一致し、「大政翼賛会」化しているマスメディアの現象は、不思議でも何でもない。

 安倍新総裁と彼の主張である「戦後レジームからの脱却」は、日本の敗戦利得者として戦後体制そのものであるマスメディアにとって、極めて危険なのである。同様に、戦後日本を謳歌してきたほかの組織(政官財・組合)の人間たちにとっても、安倍晋三氏への憎悪と恐怖は、半端なものではない。それは、戦後保守も戦後左翼の人々も同じだ。現在の戦後保守と戦後左翼は、かつて自民党と社会党がなれ合ったように、野田民主党も、石原伸晃氏や石破茂氏を総裁にしようとした自民党の人々も、公明党も、社民党も、連合も、「戦後日本」それ自体を保守しようとする姿勢では、すでに「大連立」しているからだ。

 従って、「戦後レジームからの脱却」とは、戦後日本のあり方を大転換する、壮大な国民事業であり、私たち戦後日本人も、これまでのあり方の「自己否定」をも要求される、「日本を取り戻す」戦いなのである。つまり、日本の戦後体制を根本から変えようとする安部晋三という存在は、戦後日本を保守したい勢力にとっては、危険極まりない敵となるのである。

 敗戦戦後利得者たるマスメディアが、次に来る総選挙までに、何とか「安倍晋三では選挙が戦えない」「安倍晋三では総理大臣は無理だ」とのイメージ工作をするのは当然であり、明確な政治的、戦略的な意志で、安倍ネガティブ工作が推進されているのである。

 しかし、そのやり方を見ると、まことにおぞましい人間性の卑しさと愚かさを感ずる。まさに「戦後日本」的な醜態なのである。例を挙げれば、総裁選の朝、安倍氏が3,500円の高額カレーライスを食べたとか、またテレビ報道の街頭インタビュアーやコメンテーターは、競うように「腹を壊しただけで政権を投げ出した男」という言葉を繰り返していた。しかし安倍氏が患った「潰瘍性大腸炎」は、厚生労働省から難病指定された大変な病気である。重症になれば死の危険もある。安倍氏も生死の境まで行った。

 世間には、病いのせいで仕事を諦めなければならない例はいくらでもある。わが国には「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があるが、病気になることは罪悪なのか。一度病気で仕事を断念した人間には、再挑戦のチャンスはないと言うのか。マスメディアは、病気になったのはその人物の人格が原因のごとき誹謗中傷をして、責任を問うている。

 これは病気になった人々への不当な差別であり、人権侵害でもある。百歩譲って、安倍氏の病気退陣の責任がその人間性から来たものだとしても、では、元気になって名誉挽回に再起するのは許されないのか。むしろ、意地悪な冷笑と嘲笑を浴びながら屈辱に耐え、祖国のために立ち上がろうとする姿勢は、勇気と覇気に満ちた行為ではないのか。何より重要なのは、そこまでして再起をせんとする動機である。安倍氏は、総裁選の時、「強い日本」「豊かな日本」「子供たちに誇れる日本」を訴え、これが自民党がスローガンにしている「日本を取り戻す」具体的な方向を示した。6年前の「美しい日本へ」という訴えはなかったが、強く、豊かで、誇り高い日本を目指すことが、安倍氏の「美しい日本」の実現なのだろう。同時に、視点を変えてみれば、これは明治維新の精神でもある。「富国強兵」と独立不羈の誇りある日本の実現である。

 占領軍総司令部(GHQ)がつくり出した戦後日本体制、それが与える恩恵と利権に、サファリパークの動物のごとく安逸を貪って来た戦後左翼と戦後保守にとって、安倍氏が根本的な敵対者であることは、間違いない。とりわけ戦後保守と呼ばれる人々が、安倍氏をどこかで受け入れられないのは、彼らの対米従属意識もさることながら、本能的に、自分たちと安倍氏との本質的差異を感づいているからだ。安倍氏の主張は正論だから、直接反対表明はできないが、彼らは安倍氏が「嫌い」なのである。それが戦後マスメディアの「大政翼賛会」的な安倍ネガティブキャンペーンとなって表われているのである。



「頑張れ日本!」に行われた警察と大メディアの弾圧


 それと比ぶべくもないが、私たちの衛星放送「日本文化チャンネル桜」や、草の根国民運動組織「頑張れ日本! 全国行動委員会」も、マスメディアからは大いに嫌われ、憎悪されている。無論マスメディア批判を続けているせいもあるが、それだけではない。私たちの主張と活動が、戦後日本総体への告発と否定を本質としており、彼らにとっては許すべからざる敵なのである。同様に、私たちは「戦後保守」の一部からさえ、嫉妬に近い近親憎悪と黙殺を受けている。
 8月19日早朝、尖閣諸島魚釣島に私が上陸した際も、私はただ「先頭で上陸した男」であり、組織も名前も報道されることはなかった。こういった黙殺の事例はいつものことで、たとえば私たちが1,000人、2,000人規模の「中国の尖閣侵略阻止デモ」や反日NHK糾弾のデモをしても、まったく黙殺され、報道されない。しかし逆の場合は違う。
 9月10日、私たちへの奇妙な「政治弾圧」行為が行われた。テレビ、新聞というマスメディアのほぼすべてを使い、事件報道を装った悪意に満ちたネガティブキャンペーンだった。報道された内容は、すべてのメディアともほとんど同じ内容で、警察からの発表を基にしていたことは明らかだった。一例を挙げるとこうだ。

フジテレビ前の日の丸破った疑い 「頑張れ日本!」会員ら書類送検 警視庁
 フジテレビが東京都港区の本社前に掲揚していた日本国旗の一部を破ったとして、警視庁公安部は10日、暴力行 為処罰法違反容疑で保守系市民団体「頑張れ日本!全国行動委員会」会員の会社員の男(32)=足立区=ら3人を書類送検した。いずれも「国旗を引っ張ったのは事実だが、破るつもりはなかった」と容疑を一部否認している。
 送検容疑は昨年9月19日夕、「本社前の国旗が汚れているので交換しろ」との要求にフジテレビが応じないことに腹を立て旗を無理やり引きずり下ろそうとして一部を破った疑い。団体はその後、代わりに自分たちが持参した新しい旗を掲揚した。当日はフジテレビに対し韓国ドラマの放映数が多いなどとして、約1,200人で抗議デモをしており、終了後も国旗の件で抗議を続け、トラブルになったという。
(時事通信9月10日)


 まるで一大事件が起きたかのごとき報道で、ほぼすべてのマスメディア(新聞・テレビ)が取り上げた。この報道を読んだり視聴したりした人は、暴力的な運動団体の構成員が暴力行為で逮捕され、送検されたのだろうと思うだろう。それが目的であり、狙いなのだ。

 まず指摘しておきたいのは、この「事件」は1年前の出来事で、その時には逮捕も何もなかった些事であることだ。フジテレビ韓流抗議の約2,000人のデモ隊が、フジテレビに掲げられていた国旗がボロボロに破れて汚れていたのを発見し、フジテレビに国旗の交換を求めた。フジ側は一旦は交換を約束しながら、それを行わなかった。それではと、デモ隊側が新しい日の丸に交換しようとポールから汚れた国旗を降ろす際、引っ張った若者がいて、国旗の留め金の1つが外れただけの「事件」である。降ろされたボロボロの国旗は丁寧に畳まれてフジテレビに返還され、破れた事実はまったくない。それをフジテレビが警察に「被害届」を出し、今年の2月に湾岸署で若者たちへの「聞き取り」があった。デモ責任者の私は、政治弾圧阻止と彼らの保護のために交渉したが、湾岸署から「聞き取り」だけですべて終了と聞いていた。それが1年後、このような「政治弾圧」といっていい「頑張れ日本!全国行動委員会」へのネガティブ宣伝がマスメディアを使って行われたのである。しかるに、このフジテレビ韓流抗議の2,000人の大規模デモは、どのメディアも一切、報道していないのだ。

 今回、「事件」から1年も経って「書類送検」となり、テレビや新聞が一斉に、私たちの組織名を挙げて大事件のように報道したことについて、関係者から、かなり上からの指令だったという情報を得ている。また、これ以上の「動き」をするつもりもないことも聞いている。

 民主党政権の全体主義的体質と戦後マスメディアの極端な報道の偏向がここに示されている。マスメディアによる安倍たたきネガティブキャンペーンも、まったく同種類のものである。彼らの共通点は、彼らの日本の戦後体制擁護である。つまり、朝日新聞でも読売新聞でも、自民党でも社会党でも、左翼でも保守でも何でもいい。「戦後日本」体制が告発されなければいいのである。だからこそ、保守の側から戦後日本の体制告発がなされる時、それは「極右」「右翼」とレッテル張りをされ、異端者となるのである。安倍晋三氏と私たち「日本文化チャンネル桜」や「頑張れ日本!全国行動委員会」がそれである。中国や朝鮮のメディア、あるいはリベラル新聞などから、安倍氏や私たちが「右翼」と呼ばれているのはご存知の方も多いと思う。

 しかし、情報を独占し、イデオロギー的な判断で、国民に情報を独占的に分配できる時代はもう去った。この電子言論誌『言志』がいい例で、インターネット世界の広がりは、マスメディアの一方的な情報の独占や偏向、歪曲を許さなくなってきている。

 6年前の安倍政権や麻生政権は、マスメディアの徹底したネガティブキャンペーンが功を奏して国民の支持を失ったが、今回はもうその状況にはない。たとえばフジテレビのワイドショーキャスター小倉某は「いつも通り」に安倍氏の「腹下し退陣キャンペーン」のコメントをしたが、今回は同じ難病の患者を含む視聴者から猛烈な抗議を受け、後に番組中に謝罪した。8年前から、全テレビメディアで推進されたでっち上げ「韓流ブーム」は、若者を中心に全国で大規模な抗議運動が巻き起こり、韓国の竹島問題の浮上もあって、各テレビ局は撤退を始めている。あえて繰り返すが、マスメディアが独占的に勝手放題の情報発信をして、国民を洗脳し、動かせる時代はすでに過ぎ去ったのである。インターネットによって、マスメディア同様、諸個人が情報を自由に受信し、発信できるからである。いわば情報戦における対マスメディア「非対称戦闘」が可能となったのだ。テレビや新聞の情報独占の時代が終わった事実の意味は、深く大きい。

 なぜなら、それは敗戦以来、GHQが占領統治のために全国民規模で行った一大「洗脳工作」の破綻と終焉をも意味するからである。GHQが日本国民に推進した「洗脳工作」とは、日本が軍国主義の侵略戦争をアジアで起こし、アジア諸国に多大な被害と迷惑をかけたといういわゆる「東京裁判史観」と呼ばれる自虐史観であり、このウソと欺瞞が破綻し始めているという現実なのである。

 だからこそ、戦後日本体制の利得者たちは、必死になって抵抗勢力となり、「戦後レジーム」からの脱却を目指す安倍氏や「日本を主語とする」国民運動組織「頑張れ日本! 全国行動委員会」を敵とみなし、徹底的なネガティブキャンペーンや黙殺などを推進するのである。



安倍氏の再登板は日本復活への奇跡的予兆


 それにしても、安倍氏の自民党総裁再登場を一種の「奇跡」のように感じたのは、私だけではないだろう。私たち「頑張れ日本!全国行動委員会」は、どこよりも早く安倍晋三出馬支持を機関決定し、応援を始めていたが、私自身、安倍氏が総裁になれるかは、予想がつかなかった。だから、私の番組でも「負けてもかまわない。本物の保守の拠点が政界に構築されればいい」と述べていた。安倍氏に直接会った時にも、勝敗はともかく起ち上がった安倍氏の姿勢を高く評価して、応援させていただくと伝えた。

 それにしてもである。ついに日本の「神風」が吹き始めたように思われるのである。『言志』の読者諸氏は、果たして「奇跡」というものを信じるだろうか。

 私は奇跡は起こると思っている。確信してはいないが、元寇のとき「神風」が吹いたように、起こりうるものと思っている。ただ大東亜戦争の末期、元寇の時と同様、人々は「神風」を大いに期待したが、それは起こらなかった。そして、敗戦以来67年、私たちは米国の保護国化した状態を続けている。大体、2600年以上の最古の歴史と伝統を持つわが国に、外国人の軍隊が60年以上も「駐留」しているのは異常である。この異常さを、私たち日本国民はすでに、「痛み」として、「屈辱」として感じなくなっている。この精神的退廃こそが、今の日本と日本人に突きつけられた焦眉の問題である。

 戦後67年は、日本の神々が、私たちに下された試練の時だと考えるべきではないか。旧約聖書の「出エジプト記」のエジプト脱出は、イスラエルの民にとって、それは本来のイスラエルに立ち戻るための「維新」行為だった。私たちにも、いよいよ戦後日本体制とヤルタ体制から脱却する時が来ているのである。

 その意味で、安倍晋三氏の再登場は、単に野党第一党の党首が再選されたのではなく、日本版「出エジプト」の時が到来したことだと、私たちは自覚すべきである。

 それはまた、文明史的に言えば、20世紀まで続いて来た白人世界文明秩序から離脱する開始の時でもある。いかに、安倍晋三自民党総裁出現が、困難と苦難、絶望と希望が入り混じった事態であるか、お分かりいただけるだろうか。

 客観的に見れば、一見不可能にみえる困難を極めた状況の中、日本復活の「奇跡」は起こるのか。そのことでひとつ思い出したことがある。

 8月15日、香港の中国人活動家たちが尖閣諸島に強行不法上陸し、逮捕された。

 その8月15日、私たち「頑張れ日本!全国行動委員会」は、靖国神社の周囲を日の丸を掲げ、帝国海軍軍楽隊の演奏する「海ゆかば」を流して、沈黙の行進をしていた。この「靖国神社の英霊を尊崇し、感謝する国民行進」には、約800名の人々が参加していた。暑い日だったが、行進する時間には薄曇りとなり、直射日光は避けられるようになっていた。靖国神社前まで来た時、突然強風が吹きわたり、600本以上の掲げられた日の丸の国旗が一斉に翻り、見事な壮観を呈した。それは、デモ隊が大鳥居を通り過ぎるまで、数分間続いた。私は、咄嗟に靖国の英霊が応えてくれていると直感した。胸が熱くなり、涙が出た。それは奇跡だった。英霊が何を私たちに伝えたかったのか、その時は分からなかった。

 17日、かねてより予定していた尖閣諸島集団漁業活動と尖閣戦時遭難者慰霊祭のため、私は石垣島に渡った。その日の午後、尖閣諸島に不法上陸した中国人活動家たちは、日中の外交担当者の「談合」で、無条件で釈放された。それを知った時、私は靖国の英霊のサインが何であったかを了解した。

 翌日夜、私たちは21隻の石垣、宮古、与那国島の漁船で、国会議員7人を含む総計150人で尖閣諸島におもむき、10回目の「尖閣諸島集団漁業活動」と尖閣諸島で戦時遭難死した人々の慰霊祭を行った。海の状態は、漁師たちが驚くほどベタ凪ぎで、私はそれにもまた英霊たちの伝言と「奇跡」を感じていた。

 8月19日、午前7時半、慰霊祭終了後、私は尖閣諸島魚釣島の海岸に上陸した。地方議員も含め残り9人も上陸を果たした。その直前に、奇跡が起きていた。

 美しい朝日が海を照らす中、厳かに神道の海上慰霊祭が挙行されている時である。甲板での神事を見ていた第一善幸丸の船長は、目の前に広がる魚釣島の海岸に、100人近い人々が立ってこちらを見ているのに気づいた。彼らは穏やかな表情で、海岸周辺の海に集まった漁船群と人々を見ていたという。船長は石垣島でも有名なシャーマン(霊媒)的な能力と感覚を持つ霊感豊かな人物だそうである。

 「みんな喜んでいたよ」船長は流れる涙が止まらなかったそうである。

 この「奇跡」を信ずるかどうかは、個人の判断にゆだねられる。

 安倍晋三氏の総裁就任の「奇跡」も、靖国神社の「奇跡」も、尖閣諸島の海の「奇跡」も、私たちがどう受け止めるかにかかっている。

 しかし、間違いなく言えるのは、「奇跡」を呼び起こしたと思われる英霊が望んでいた時代が近づき、生まれつつあるという確かな予感である。
 「奇跡」を現実にするのは、私たち日本国民である。

話は一転して些末なことになるのですが、歳の所為か、デジタルのドキュメントを読むのはどうもしっくり来ないのです。
それで、このPDFファイルをダウンロードして両面印刷でA4にプリントアウトし、製本しました。
厚さ1cm超のずっしりとした実に悦に入るような本が出来上がったのですが、言われてみれば、プリンター・インクを大いに消費しており、けっこう高くつくことに気付きました。
デジタル画面で平気な人は、こんな無駄なことはしないで、そのままそこで読んでください。

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