福澤諭吉『脱亜論』大いに首肯すべし

「たけしのTVタックル」を見ました。中国人・韓国人がそれぞれグループを作り、日本人グループとの3グループで議論するという趣向です。
 この番組は、いつものことなのですが、議論ではなく、喚きあいの態で、ほんとにイライラしてしまいました。
 見ていて、いつか読んだジョークを思い出しました。

 神様が、日本の国を作りながら言います。
「ここは、緑多く水清く、美しい島にして、礼儀だだしくて温厚善良な人々を住まわせよう」
 すると、そばにいたお付きの人が言います。
 「神様、それはあんまり恵まれ過ぎてはいませんか」
 神様が答えました。
 「いや大丈夫じゃ。そばに支那と朝鮮を置くことにするから」

 この頃、特にそう思い出しているのですが、韓国の人や中国の人々は、どうも根本的に日本人とは違うのではなかろうか。
 日本とは国柄が違うように、日本人とは人柄が違っている。

 中学生の頃まで、ぼくは朝鮮人と一緒に育ちました。その頃ぼくが住んでいた家のそばには、朝鮮人の家が沢山有り、遊ぶ友達は朝鮮人が多かった。(当時、韓国という国名はなかった)
 男友達は、同級生のユンシーで、彼の小屋みたいな小さな家で一緒に夕飯を食べ、オンドル部屋で雑魚寝したこともありました。
 女友達は2歳年下のキミコでした。彼女のおじいさんは、芋飴を作って売ることを生業としていました。いつも飴を大釜で煮ていました。寒い季節にはその釜の前にたむろしていると、おじいさんは、朝鮮語を教えてくれました。
 飴汁が煮えて、ポコポコと泡立っているのを指して、チャグン・ポックン(大きな泡)、クン・ポックン(小さい泡)などと。
 そんなわけで、ぼくはずっと、朝鮮人には普通の人以上の親近感があったと思います。
 中国人に対しても、おんなじアジア人だと思っていましたし、一衣帯水を信じていたと言えます。
 しかし、最近になって、どうもそういう個人の感覚では捉えられないものがある。そんな気がしてきたのです。

 どこが違うのだろうかと考えました。
 やはり、国柄が違うのは当然ですが、どちらの国にも奴隷がいました。中国には纏足の風習のみではなく、盲妹などもいたといいます。日本は世界でも珍しく昔から奴隷のいない国でした。
 しかし、最も大きな違いは、日本には八百万の神がいたということです。いたるところに神がいました。
 ぼくを育ててくれた祖父は、毎朝、南面の勝手口の外に手水桶をすえて顔を洗い、東に向かって柏手を打ちました。
 お天道様に向かって一日の無事を祈っているのです。囲炉裏のそばで寝巻き姿で座るぼくから、祖父のシルエットが見え、朝日に照らされた横顔の輪郭が光って見えました。
 朝餉を煮る竈には、竈の神がいました。
 お天道様に恥じることはしてはならないとか、お天道様という言葉をよく聞かされたように思います。
 床の間には、神武天皇の掛け軸がかかっていました。(ところで今日4月3日は神武天皇の崩御の日だそうで、神武祭という式典が行われるのだそうです)

 古来日本人は、恥の感覚や天罰の認識をまるで呼吸するように自然に身につけました。そうした倫理観・道徳観を持った日本人は、世界でも稀に見る本質的に善良な国民だったのだと思います。幕末に日本にやってきた外国人は、一様にこの日本人に関する驚きの感想を述べています。
 このことは、今も変わらず、それは東日本大震災に際しての日本人の行動が、驚きをもって観察されたことからもわかると思います。
 ところが、この日本人の善良さは、戦後非常に悪い結果を生んだと考えられます。日本人の美徳である謙譲や思いやりの精神は、予想に反して付け入られる隙となり続けたのではないでしょうか。
 謙譲の美徳は、その徳を理解できる人柄にのみ通用することを知るべきです。
 日本の国柄を理解できない国のリーダーは、そうした卑賤な人柄なのですから致し方ないのでしょうが、それはしっかり腹に貯めておかないといけません。
 そして、日本人は、独自の堪忍袋を持っていることを折に触れて知らしむべきなのです。
 
 近代日本の骨組みを作るのに大きな働きをした、福沢諭吉の『脱亜論』を今思い起こすべきです。さすがに福沢諭吉は、明治初期にすでに気づいていたのです。

 『脱亜論』というのは、福沢諭吉が、明治18年(1885年)3月16日に『時事新報』という新聞に無記名で載せた社説でした。
 その内容は、かいつまめば、次のようなものでした。
 日本は、すでに文明化を受け入れ、アジアの中で新機軸を打ち出した。
 ところが、支那と朝鮮は、日本のように維新はできず、その気もない。
 だから、そこいらと関わり合っていると、欧米から同列に見られるばかりで、益するところは何もない。
 近隣国だからといって特別扱いをする必要はない。それらは、捨て置いて、我が国だけで西欧の仲間入りをすればいいのだ。
 なるほどそういうことなのか。あの人口に膾炙した「脱亜入欧」という言葉はそういう意味だったのかと今気づいた次第です。
 福沢諭吉はこう結んでいます。「悪友を親しむ者はともに悪名を免るべからず。われは心においてアジア東方の悪友を謝絶するものなり」
 それは、絶交宣言とも言うべきものでした。

 この間のひな祭りで、テレビでお雛様を射的の的のようにして、打ち落とすゲームを芸人がやったとして問題になりました。
 つい最近には、皇族の呼称に関しても、問題のアナウンスがあったようです。~の宮様というべきところを、~様としたり、お妃を妻としたり・・・・。
 こうしたことを、極めて意図的と捉えて憤慨する向きもあるようです。でも、ぼくが思うには、これは原稿を書く人、チェックする人の育ちや家庭環境が問題であると思えます。つまり国柄が理解できない環境で育った人の人柄の問題だと思います。だから、そうしたメディア内部の教育の問題でもあると思うのです。

 在日の外国人であっても、日本に生まれ、日本人よりもより日本人的な人もいらっしゃるはずです。日本人でない人が帰化した場合、より極端に日本人たろうとする。在日外国人をすべて反日と決め付けるのは間違っています。
 だから、この便宜的に帰化した人とそうでない人を見分ける目が必要です。チェックポイントは、日本の国柄というものへの理解の有無だと思います。
 このことは、在日に限らず、日本人にも当てはまります。

 日本の国柄が分からない人、その人柄は推して知るべしだとぼくは思っています。
 要注意は、肩書きや学歴に東大の文字が見える人。学教報が問題という人もいます。つまり、学界、教育界、報道界の三つが、戦後の日本を本来の日本たらしめないようマインド・コントロールをかけ続けてきたというのです。
 したがって、テレビ・新聞に学者や教育論者が出演する番組はアウト番組ということになり、そういうふうに見ていると大いに納得ができるわけです。
 まあ、ぼくに言わすれば、ネットの情報や、桜チャンネルなどのほうが、極めて質も密度も高いと感じています。

 さて、明治の時代と異なり、今日の状況では、福沢諭吉のように「絶交宣言」をすればいいというわけにはいかない。ではどうすればいいのか。
 まず、絶対に遠慮しない。後ろへは引かない。理不尽があれば声高に抗議する。
 ぼくの母親は、小学校の教師だったのですが、朝鮮人の夫婦喧嘩についてこんなことを言っていました。日本人ならみっともないから隠そうとするのに、あの人たちは外に飛び出して大声で詰り合い、周りの人に判定してもらおうとする。
 だから、そういう相手に対しては声高に国際社会に叫ばなければならないということです。
 
 なんでも金でしか考えられなくなってしまった日本人は、すぐに経済的な損得でしか考えられず、遠慮しておかないと大変なことになると考えてしまいます。
 でも、ぼくが調べた結果では、損をするとしても、その大きさは常に日本の方が少ない。この前のレア・メタルの時にも、日本が対抗的に止めるものはいっぱいあったし、それは強烈に効くものだったそうです。
 お互いのそうしたことが分かって付き合うのが、安倍さんのいう戦略的互恵関係ということなのでしょう。
 さらに言えば、福沢諭吉の云う如く「心において謝絶」しつつ付き合うということに違いありません。

(追記)桜チャンネルの【討論】何処へ、中国は!?全人代の結果から見た中国の未来から宮脇淳子氏の発言のみを取り出しました。対中国・韓国外交のこれまでについて、まことにまっとうな指摘がされていると思いました。
Youtube[宮脇淳子氏の主張](19分)