『終戦のエンペラー』を観て

『終戦のエンペラー』を観た。
観るまでは、どうせハリウッド映画だから、どうせ大したもんではないと思っていた。『硫黄島からの手紙』や『父親たちの星条旗』『トラ・トラ・トラ』『戦場に架ける橋』などなど、大東亜戦争がらみの映画はどうも心底楽しめない。最近特にその傾向が強まったように思っていた。
だいたいその題名「終戦のエンペラー」が気になった。エンペラーというのは皇帝のことで、天皇は皇帝ではない。全く違う。皇帝には絶対的な権力があるが、天皇には絶対的権威はあっても権力はない。
天皇は天皇なので、英語では「TEN-NOU」であるべきではないか。
などと考えたりしていたのだが、題名からいちゃもんをつけてもしかたないなと映画館に向かった。そして、この『終戦のエンペラー』には、つい引き込まれて見終わったのだった。ある感動さえ覚えていた。

ハリウッドがよくこんな映画を作ったなあと思い、いやハリウッドだから作れたのかもしれないと思い返した。日本で天皇を大きく取り上げた映画を作るなどというのは、ハードルが高すぎるではないか。
この映画を考えるには、プロデューサーが奈良橋洋子さんであったことが大変重要な要素であると思われる。彼女の父親は外交官であったことから5歳から10年ほどカナダで育ったことがひとつ。つぎに、彼女の祖父は、この映画に登場する夏八木勲演じる、天皇を補佐する宮内次官の関屋貞三郎であったこと。関屋家は森有礼や三菱財閥の創業者一族・岩崎家とも縁戚関係にある家柄である。
こうした環境に育った彼女が国際的にもバランスの取れた公正で純正の日本を描きうる素質を持っていたといえるのではないだろうか。

この映画の原作ともいえるものがある。それは、『陛下をお救いなさいまし』(岡本嗣郎、集英社、2002)である。
その内容はといえば、『陛下をお救いなさいまし-恵泉女学園創設者河井道とマッカーサーの副官フェラーズ准将』とするべき内容で、知られざる歴史を描いた正統派のノンフィクション作品である。
この河井道(かわい・みち)という女性はといえば、『BUSHIDO』の著者で教育家の新渡戸稲造の薫陶を受けた日本人キリスト教徒である。
河井道と津田梅子(津田塾大の創始者)が、渡辺ゆりという日本女性をインディアナ州リッチモンドのアーラム大学に留学させた。それは、第一次世界大戦の始まる1914年のことだった。
ここで、ボナー・フェラーズと渡辺ゆりは出会い親しくなる。

とここまで読んだ皆さんは、渡辺ゆりがアヤのモデルと思うだろうが、そうではない。ただし、フェラーズは渡辺ゆりに薦められて、小泉八雲を知り、八雲の著作にのめり込む。八雲の著作をすべて読んだという。
八雲マニヤともゆうべき男となったフェラーズは、渡辺ゆりとの2年間の親交を通じて、東洋の新興国日本に関心を深めた。
アーラム大学を中退して陸軍士官学校に入り軍人となったフェラーズは卒業してフィリピンに駐在する。
フィリピンは当時アメリカの植民地だった。こんなことは、教科書には載っていないからあまり知られていないのだが、いわゆる米比戦争では60万人のフィリピン人が虐殺されている。
翌年、休暇を取って最初の来日をし、渡辺ゆりの紹介で河井道を知ることになる。

映画にも出てくるが、フェラーズは「日本兵の心理」というレポートを書こうとしている。これは、陸軍指揮幕僚大学の卒業論文として書かれた「日本兵の心理」である。
彼は、あの映画までに4回の来日をしているが、それは職業軍人として心理戦・情報戦のエキスパートとなって行く過程であったといえる。
1934年、フェラーズは3度目の来日をしている。この時はマッカーサーとフィリピン独立準備政府ケソン大統領と一緒だった。当時アメリカ議会はフィリピンに10年後の独立を約束してはいたが、依然強大な利権をもっており、マッカーサーは政府の軍事顧問だった。
日本帝国がフィリピンに攻め込んだとき、マッカーサーは軍司令官だったが、いち早くオーストラリアに逃去った。

マッカーサーは、占領軍の司令官となって日本におもむく時、天皇を潰してくると言ったといわれている。当時アメリカ国民の80%が天皇の処刑を望んでいた。大統領になることを夢見ていたマッカーサーは、アメリカで人気を得る為にはそうしたかったかもしれない。
しかし、そう出来ない理由があった。一つは対ソ連との関係である。ソ連は「天皇制」なる呼称を作り、その廃絶をコミンテルンのテーゼに掲げていた。つまり、天皇を廃絶することは、日本の共産化を意味していた。これはアメリカにとって許しがたいことだった。
さらにいえば、ボツダム宣言の時点で、天皇の地位を保全することは、アメリカ国防省で既定であったという事実があり、これは文書に残っているという。
この「天皇制」という用語について付け加えれば、本来はマルクス主義者の用いる用語であり、明治後期から敗戦までは「天皇制」と表現することは反体制であるとみなされ、一般には認知されていなかった。司馬遼太郎は「天皇制という語は、えぐいことばであり、悪意がインプットされている」と述べている。
「皇室のいやさか」を願うものは、したがってこの言葉は使うべきではない。宮内庁の正式用語「皇室制度」を使用するべきであると思う。

マッカーサーが天皇に会って、その発言に驚き、考えを変えたというのは、うそ話といっていい。
しかし、日本通の情報将校フェラーズの考えは、アメリカ政府やマッカーサーに大きな影響を与えていたと思われる。
フィリピンでマッカーサーの軍事秘書で、心理作戦本部長でもあった時、フェラーズは、次のように書き記している。
「天皇として、そして国家元首として、裕仁は戦争責任を免れない。彼は太平洋戦争に加担した人物であり、戦争の扇動者のひとりと考えなければならない」としたうえで、日本敗戦時に「大衆は悪質な軍人たちが聖なる天皇をだましたと悟るだろう」「天皇を退位させたり、絞首刑にしたりすれば、すべての日本人の激しい暴力的反発を招くだろう」、だから「アメリカは後手に回らず、先手を打たなければならない。しかるべき時に、天皇及び国民と、悪質な軍国主義者どもとの間にくさびを打ち込むべきである」

マッカーサーに請われて軍事秘書になるまでに、フェラーズは、ワシントンで戦略情報局(OSS、CIAの前身)で米国心理作戦の中枢、計画本部のナンバー4になっていた。
そこでのフェラーズは、対日工作のみならず対独工作を含む世界的規模での心理作戦立案にたずさわっており、その手腕が評価されてマッカーサーに招かれた。
つまり、米国の国益に沿ったグローバルな戦後世界の設計こそフェラーズの情報将校としての主任務であり、日本での天皇利用もこの文脈に沿ったものだったといえる。
だから、フェラーズを親日家で日本の理解者などととらえるのは、大きな間違いであると思う。
その天皇制保持・不訴追工作も、当時の米国心理作戦の一部と見るべきであり、米国有数の有能な情報戦エキスパートであったフェラーズの人物像に焦点を当てる必要があると思われる。

話がもっぱらフェラーズに偏ってしまった。
映画に戻ろう。
ぼくにとって、印象的だったのは、次のシーンだった。
フェラーズが関屋宮内次官に会見に行くシーン。まず、宮内警備兵の言葉を日本人通訳が、上手く歪曲して伝える。この時の警備兵の対応が立派であった。
sekiyaS関屋宮内次官が、天皇が戦争に賛成したかを質問されて、明治天皇の御製を朗々と拝唱する。
「四方の海 みなはらからと 思ふ世に など波風の 立ちさわぐらん 」
(四方の海にある国々は皆兄弟姉妹と思う世に なぜ波風が騒ぎ立てるのであろう)
フェラーズは、全く分からなかった。それは白人の理解を超えるものだった筈である。再度の質問にもう一度、やりましょうかといわれてフェラーズは退散する。
ぼくはこのシーンで、下関戦争後の講和交渉を思い出していた。高杉晋作は、幕府の命で砲撃しただけと言い張り、値段の交渉になると、暗唱している「古事記」を朗々と朗読したという。結局長州藩は一銭も払わなかった。

kasimaSアヤの叔父は、ワシントンの駐在武官であったのだが、彼が説く日本精神や日本のこころは、その英語ともども実に見事だった。映画に於いて、このように簡潔かつ直裁に日本国が語られたことは、かつてなかったのではなかろうか。

konoeS近衛文麿が、日本の侵略戦争について、あなたたちの真似をしただけだと述べ、それはまことに正しい主張だった。しかし、フェラーズは歴史の講義はもう結構と聞こうともしなかったのも当然のことだった。
実際の歴史では、この人は大変問題の人であり、日本を戦争にのめり込ませた元凶ともいえるから、負けてからいうな。いうなら戦争前にもっとなんとかせんかいなと思ってしまった。

それにしても、これはやはり名画であり、後世に残る映画となるかもしれないと思った。日本が天皇をいただく国家であるということを明確にした映画であるからだ。どの場面だったか定かではないが、宮内庁の許可を要する場面があり、よく許可したものだ、たぶんプロデューサーが奈良橋さんであったからだろうという話を聞いた。
この映画がきっかけとなって、ハリウッドではなく日本で同じように日本を描いた映画が作られることを望みたい。

ハリウッドでこのような日本の国を描いた映画を作ることが何故可能だったのでしょうという質問を受けた。
ぼくにもよく分からない。しかし、その内容はともかくとして、日本を描いたハリウッド映画は多い。なぜなのだろう。
ぼくの勝手な推測を行う。
ハリウッドは牛耳るのはユダヤ人である。日本人とユダヤ人はある親近感を持っているらしいのだ。だからイスラエルと日本は親和性があるといえるようだ。

満州国を作った石原莞爾などが、河豚(ふぐ)作戦なる計画を立てたことがあった。このユダヤ人を満州国に誘致移住させようという計画は結局没になり実行されることはなかった。
しかしこの計画が没になったのを知りながら、本国の指令を聞かずにナチス独逸から逃がすのに協力した日本人がいた。外交官の杉原千畝氏である。彼が救ったユダヤ人は6000人といわれる。
シンドラーが救ったのは僅か1200人だった。イスラエルが親日国となるのもうなづける。
最近では、イスラエルは周囲の中東の回教国から目の敵とされ、極度の緊張感の中にあり、やがて滅びると予測する人も多い。
我が国日本も近隣諸国、とはいえ二国だけなのだが、による侵略の危機にさらされている。イスラエルが日本にシンパシーを感じているというのも納得できる話なのである。

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