光る緑色細胞(Oct4-GFP)はSTAP細胞ではなかった

 今日、笹井教授の記者会見を見た。TVの生中継では、肝心の学術的な説明に入ったところで、ぷつんと切られてしまい、ミヤネ屋がしょうもない振り方をしてイラっとした。しかし夜にはニコニコ動画に全会見がアップされ、終わりまでじっくり観ることが出来た。それは、3時間20分にも及ぶ長時間のものだったが、退屈せずに最後まで見た。
 笹井さんはなかなか立派な報告を行ったと、ぼくには思えた。
 この研究の発案者はバカンティー教授、そのアイデアを実践研究したのは、小保方さんと若山さん、そしてnatureへの論文作成への協力を行ったのは、笹井さんだった。

 先日の小保方会見の後、ぼくは、前にも増してSTAP細胞というものに興味を持った。世界中誰も追試実験に成功しない中、小保方さんは200回成功したといい、他にも成功した人があると言い切った。一体これはなんなんだ。
 それで、主にインターネット上の情報を漁り、調べることにした。
 STAP細胞とは何なのか。
 iPS細胞は、山中因子と呼ばれるたったの4種類の遺伝子を加えることによって細胞が初期化されることが知られ、すでに人間の細胞における実用化に入っている。
 一方、STAP細胞は比較的若いマウスの細胞に酸性のストレスを与えると、その8割は死滅するが、生き残った2割の細胞が遺伝子の再構成を行い、どんな組織にもなりうるいわゆる多機能細胞に変化するというものだ。

 ハーバードのバカンティ教授の指導を受けた小保方さんは、2012年「nature」誌にレポートを投稿したが、「数世紀に及ぶ生物細胞学の歴史を愚弄するものである」として、突っ返された。2013年には、バカンティ氏を筆頭に彼の兄弟その他の名前を列記した特許申請が成された。小保方さんは、最後の4番目に並んでおり、これがノーベル賞もらうことになっても、彼女は外れる。なぜならノーベル賞は3名が限度だからなどといわれていたそうだ。
 それにしてもこの特許申請は凄い。
 A method to generate a pluripotent cell, comprising subjecting a cell to a stress.(細胞をストレスにさらすことを備える多能性細胞生成方法)というものだ。しかしこの特許申請は認められないといわれていた。それはどうしてかといえば、ひとつには「人々を運ぶ箱で、多数個の車輪を有し鉄製の2本の線路上を走行する装置の作成」というのと同じで、あまりに包括範囲が大きすぎるのだ。
 さらに、それより決定的なことは、同じような特許申請が、すでに日本の女性によってなされていたということだった。

 それを行ったのは、2011年、東北大学の出澤真里教授だった。「生体組織由来細胞を細胞ストレスに暴露し生き残った細胞を回収することを含む多能性幹細胞又は多能性細胞画分を単離する方法。」である。
 彼女が行ったのは、人間の骨髄や皮膚の細胞に、無血清培養、HBSSによる培養、低酸素培養、トータル3時間の間欠的短時間トリプシン培養などのストレスを与えることによって、多能性幹細胞が出来るというものだった。
 この時に出来た万能細胞(多機能幹細胞)は「Muse細胞」と呼ばれ、出澤教授はMuse細胞の発見者として知られている。小保方さんは酸というストレス液を使って、Muse細胞を作ったのだという人もいたようだ。
 
 話が逸れているので、元に戻そう。
 STAP細胞を作るにはどうするか。通常の細胞にストレスを与えると、それが過度の場合には細胞は死滅するが、そうでない場合は生き残るものもあり、この時に遺伝子の「リ・プログラミング」が行われるとされる。
 この時に使われる試料としての細胞には、T細胞と呼ばれるリンパ球からの細胞が用いられる。その理由は、通常の細胞にもごく少量ではあるが、ES細胞と呼ばれる万能細胞に変化し易い細胞が含まれるので、そういうことが絶対にないT細胞が使われるのだそうだ。
 笹井さんは、8割が死滅する程度の酸のストレスの場合を例にとり、2日おきの変化の過程を詳しく説明した。
 この説明の過程で、彼が、今回の小保方さんのSTAP細胞は出来ていないと考えていることが分かった。だから、彼が後で述べた論文は取り下げる必要があるという考えは、ここでもう分かった。

 STAP細胞の生成を実証するには3つの方法があるといわれている。
1. Oct4-GFPの発現
2. テラトーマ
3. キメラマウス
 GFPというのは、緑色蛍光タンパク質のことである。日本の下村脩は1960年代に、お椀クラゲの蛍光物質であるタンパク質を発見したが、後に応用技術としてこの蛍光物質の遺伝子を組み込むことによって細胞発光による遺伝子研究が発案され、2008年に下村教授はノーベル賞に輝いた。
 万能細胞に変化させる細胞にGFP組み込み操作をしておくと、出来た万能細胞は、蛍光を発する。これが、Oct4-GFPというわけだ。なんどもTV映像で流れたあのグリーンに光る細胞である。これをライブ・セル・イメージングと呼ぶらしい。
 笹井さんは、ここでこれはSTAP細胞ではない。しかし、特異な細胞だと述べた。これを合理的に説明するにはSTAP細胞を作るSTAP現象を認めざるを得ず、STAP細胞生成は有望な仮説であるとした。
 (STAP現象とSTAP細胞を分けて考える必要があるのではないかとぼくは考えていたのだが、この質問をした女性記者に対して、笹井さんは両方は同じことだと答えた)

 テラトーマというのは、万能細胞を生体組織に埋め込むと、腫瘍ができるが、これがテラトーマ(奇形種)と呼ばれる。この写真が、あの問題となったテラトーマの染色映像のカラー写真で、これの使い回しが問題となったのだが、笹井さんはこれに関しては、テラトーマの生成を説明しているだけなので問題ではないとした。
 キメラマウスというのは、万能細胞をマウスの胚にいれて発育したマウスには、2組の両親・4種類の遺伝子を持ったマウスが出来るというのだが、ぼくにはその理由が分からないし、だから説明も出来ない。ともかく、これが決定的なSTAP細胞の立証になるというのである。この分野における世界での第一人者は、若山さんである。

 若山さんは、小保方さんから渡された細胞を使ってキメラマウスを作ったのではないか。しかし、何らかの不審を感じた彼は、その細胞のDNAを調べた。そして、それが、彼女が使っているマウスではない、別のマウスのものであることを知り、渡された細胞がSTAP細胞ではなく、ES細胞だったのではないかという疑念を抱いたのではなかろうか。そして論文の取り下げを求めたわけだ。
 それにしても、小保方さんが確信的に言い切る200回ものSTAP細胞の作成が、ほんとに可能なのか。時間的にいってほぼ不可能と考えられるのだ。しかしOct4-GFPの作成ならそれは可能である。つまり、小保方さんは光る細胞Oct4-GFPがSTAP細胞と思い込んだというわけなのだろう。この思い込みは笹井さんも同じだったと思われるのだが、この会見ではそんなことはおくびにも出さず、STAP細胞になる可能性のある特異な細胞という見解を述べた。
 小保方さんの作ったOct4-GFPは、STAP細胞ではなかった。なぜなら、キメラマウスは出来なかったし、テラトーマの写真も、そのOct4-GFP注入によって出来たものではなかったのだから。

 前稿でも書いているように、ぼくは小保方さんを支持する心証を持っていたのだが、その後、いろいろ調べているうちに、200回という数字を理解するには、小保方さんの思い込みという他はないと思い至っていた。Oct4-GFPの発現をもって、STAP細胞マーカーがあるのだから、STAP細胞が出来たのだと思ってしまった。であれば、検証はつじつまを合わせておけばいいと考えたのではないか。それはまったく、科学者失格の思考なのだが、そう思わなかったというのは信じがたいことではある。
 もともと、Oct4-GFPをSTAP細胞マーカーと考えるのが間違っていたのである。おそらく、笹井さんもそう考えていたのではなかろうか。
 しかし、この会見では、彼はそうはいわず、Oct4-GFPの発現は極めて特異的なことであり、STAP細胞の存在を予測させるものではあるというような表現を使っていた。

 笹井さんは彼女の過ちを防げなかったことを詫びていたが、それを防ぐのはおそらく無理だったと思われる。STAP細胞は巨大な夢であり、日本の二人の女性がその糸口を掴んだことは、誇るべきことではないか。ぼくにはそう思える。
 山中教授のiPS細胞にしても、彼は細胞初期化の因子を見つけるには無数ともいえる組み合わせを試す必要があり、とんでもない時間がかかると考えていた。ところが、助手の一人が、思いつきで、試みた組み合わせが大当たりして、山中因子と呼ばれる組み合わせが見つかったのである。
 今回の問題は、もうこれぐらいにした方がいいのではないかと思える。事の推移を静かに見守るという態度を取るのがいいとぼくは思う。

 この記者会見でも、無知をさらけ出したと思える的外れの質問が多く見られた。それが3分の2を占めたと言っていい。一方、やはり科学系の雑誌の記者などには、かなりまともな質問をする人もいた。
 ぼくは、あの小保方会見で問題になった電気泳動の写真、あれがどういう意味で論文に載せられたのかの意味が分からず、笹井さんからの説明を待っていた。しかし、あの張り込み挿入した写真についての言及はなく、またそれを質問する記者もいなかった。
 あの電気泳動写真自体、何の意味もないもので、それを載せたことは、笹井さんの免疫学への理解のなさを示しているという意見がある中で、それが取り上げられなかったのは残念だった。

 司会者に何度も遮られつつ、次々と無意味な質問を続ける質問者も多い中、3時間20分に及ぶ記者会見は、日刊スポーツの記者の質問を最後に終わった。
 その記者はこう訊いた。「あなたは、論文は私がそばについて話し合いながらまとめましたといいましたが、それをした場所は研究室ですか。そうでないならどこですか?」
 周りから、少々の失笑が漏れたようにも感じられた。
 小保方さんの記者会見のときもそうだったのだが、質問者の顔が見たいと思うことがままあった。
 なんとか質問者の顔もフレームで見れるような編集をしてくれるように、ニコニコ動画にお願いしたい。
 この日刊スポーツの記者の顔は心底見たいと思った。

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