習近平さん、しっかり(補習ではなく)学習します。

盧溝橋

盧溝橋

 7月7日、北京郊外の盧溝橋にある中国人民抗日戦争記念館で、盧溝橋事件77周年記念祝典が催されたそうです。ここに習近平首相が出席しました。なぜ77周年なのか。なぜこれまで首相なぞ出ることもなかったこの式典に習近平は初めて出たのか。
 これを近平さんの焦りと見る人もいます。これまでだったら、ちょっと圧力をかけ脅しただけで、簡単に引いていたから、これだけやったら必ず屈服するはずだと思った日本が、いっこうにビビることもなく平然と耐え、諸国の評価を受けつつタイアップを計りつつある。色々政変を狙って画策することは、ことごとく上手くいかない。いらいらして、常軌を逸するようなこともやりかねないような状態になってきているともいえそうです。(7月15日の報道によれば、サンフランシスコに「抗日記念館」を来年9月に建てる計画があるという。ますますやりだしましたねぇ)

 ここで、近平さんはこんなスピーチをしたそうです。「少数の人は、侵略の歴史を否定し、
緊張を作り出している。
侵略の歴史を歪曲することを、中国
人民は決して許さない」と。
 かつてのようになにを言われても、お説ごもっともみたいな態度でだんまりを決め込むことなど絶対にしない安倍政権の菅義偉官房長官はこういいました。「未来志向の協力関係を発展させる姿勢が求められる」
 すると、これに対して中国の外交部、日本でいえば外務省は、こう返しました。
 「日本の為政者は歴史を正視するという重要な意義において最低限の認識が欠けている」
そしてこう続けたのです。「日本はこの問題について補習する必要がある」

 よく言ってくれました。外交部の言は習近平の言です。分かりました近平さん。それにしても、補習とはよくいいましたねぇ。日本人が自虐史観(東京裁判史観)に浸潤されていることを見越した言い草ではありませんか。
 私たち戦後の日本人は、正当な歴史を学ばなかった。教えられることもなかったし、捏造ともいえる偏った歴史を教え込まれたのです。たしかに学習する(補習ではない)必要があるでしょう。基本から学び直さないといけない。
 そこで、盧溝橋事件を学ぶことにしましょう。この、あの大東亜戦争の始まりとなった日中戦争のきっかけを作った問題の事件です。
 日中戦争は、正しい言い方とはいえない。なぜならその時中国という國は存在していなかった。宣戦布告もなかったし、内乱に巻き込まれた体のもので、だから正しくは支那事変と呼ぶべきだと思います。
 でも毛沢東の歴史書でそうなっているのかどうか知りませんが、みんな日中戦争という。まあここでは、そう呼ぶことにしましょう。心の中では、これ変な呼び方なんやとつぶやきながら。

 では、「盧溝橋事件」とはどんなものだったのか。まともなことが書いてある本を見ましょう。
 年表で読む『日本近現代史』を開きます。そこの「盧溝橋事件」の項にはこうあります。
盧溝橋事件 「漁夫の利」を得ようとした中国共産党の陰謀
 【東京裁判で追求されなかった真相】
 満州事変以降の日本の行動はすべて「侵略」とされているため、この盧溝橋事件を発端とするシナ事変(今は日中戦争と呼ばれている)も、日本が一方的に仕組んだこととされている。
 しかし、日本の敗戦後、東京裁判でシナ事変が審議された際にじつに奇妙なことが起きた。盧溝橋事件以降の日本の行動は批判されたのに、事件そのものについては詳しく追求されなかったのである。
 これは、いみじくも、日本人が盧溝橋事件を仕組んだのではないということを示している。では、誰が盧溝橋事件を起こしたのかというと、中国共産党である。当時、中国共産党は国民政府軍と絶えず争っていたが、劣勢を強いられていた。
 そこで、中国共産党が思いついたのが、国民政府と日本軍を衝突させることだった。要するに「漁夫の利」を得ようとしたのである。
 盧溝橋付近の国民政府軍に潜り込んだ中国共産党のスパイが日本軍に発砲したということは、中国の資料にも記述されている。
 また、事件直後に「成功せり」という電報が中国共産党の司令部に打たれたのを、日本が傍受したという証言もある。

 この盧溝橋事件についてはこの<葉巻のけむり>の2月9日の記事「レーダー照射事件と盧溝橋事件」ですでに書いていますので、それも読んで欲しいのですが、自分たちがやったのだということをあの周恩来もしっかり文字に書いているそうです。われわれは日本によって建国を助けてもらったことになるのだと。

 この前段に続く項は【事件不拡大の為に努力した日本】です。
 ふつうは、日本は侵略したという前提で、日本が好戦的で事件を拡大したとされていますが、真逆です。
 日本軍は、事情を聞く為に付近にいた政府軍に軍使を送ります。ところが翌朝またもや発砲がある。日本は不拡大の為に協定を結びます。
 いずれにしろ執拗な工作によって日本は巻き込まれることになりました。
 ここで日本が悪かったと頭で思い込んでいる人がいう意見は、日本軍がそんなチャイナにいるのがいけなかったのだ。これはなんにも分かっていない馬鹿げた考えで、日本軍の駐留は条約によって認められていた。今の在日米軍と同じことだったのです。
 悪いことに日本国内の状況もよくありませんでした。この本の記述によれば、「社会主義改革を目論む新官僚たちが継戦を訴え、当時の近衛内閣にはそれを押さえる力がなかったのである」

 戦後日本には、戦前のことを知る為の本が存在しませんでした。マッカーサーの指令で日本中から本が接収されました。チャイナの歴史のような「焚書」が実行されたのです。別に危険な神国思想を説いた本というわけでもなく、あらゆる本が対象になりました。地図なども対象でした。
 現在YouTubeには西尾幹二氏の「GHQ焚書図書開封」というのが連載されていて、そうして消えた本の内容を知ることが出来ます。もう100回を遥かに越えています。【GHQ焚書図書開封】
 文字資源だけではなく、人的な資源も戦前の人もみんな公職追放となりました。そして、戦前に左翼思想の危険人物としてマークされていたような人が、多くの大学で学長となりました。その大部分の人たちは世界革命を進めようとするコミンテルンの指示を受けるような人でした。彼らは弟子を呼び集め学閥を作り官僚に送り込みました。
 このように真実を知る為の資料は焼却され、皇室制度を持つ日本の國の形を変えてしまおうという偏った考えに基づいた思想を基盤とした教育が、新聞・テレビ・学校で行われたといえます。ぼくを含めて、戦後の世代は、そういう状況の中で育ちました。現在の国会議員のほとんども同じだといえます。

 そんな状態の戦後でしたから、ぼくが、信用のある出版社だと信じてきた、たとえば岩波書店などというのも、あまりまともではないということに気付いたのは、比較的最近のことです。
 だから、勉強するとしても、戦後の定本とされているような本を、信用して読むべきではありません。比較的最近のベストセラーといわれたような本はやはり要注意です。孫崎享さんの本などは、いまでは正体が知れていますから、まともに読む人は限られるかもしれません。
 不思議なことに、まともな歴史書などほとんどないようにぼくには感じられるのです。だいたい歴史学会では「五箇条の御誓文」のことを「五箇条の誓文」と呼び、「御」を付けると白眼視されるのだそうです。そんな正しい時間軸を持たない学者にまともな歴史が書けるわけがない。

半藤一利『昭和史』

半藤一利『昭和史』

 学者ではありませんが、ひとかどの歴史家ぶった時間軸の欠損した一例として半藤一利『昭和史』を取り上げます。帯に「各誌絶賛のベストセラー」と書いてあって、よく売れたらしいのですが、この人の歴史認識は変だし、軍事関係の知識や理解度は稚拙に過ぎ、戦争の史実の検証を欠いています。
 
 この人は、日本には仮想敵国はないと断言します。
 「忘れてはならないのは、北朝鮮にはさしたる海軍がないことです。つまり、北朝鮮が本格的な日本上陸作戦を行ってくる可能性はゼロです」(ダイアモンド社「愛国者の条件」2014年)と断言しています。
 ほんとにさしたる海軍がないんですか。
 ロメオ級潜水艦約20隻、特殊部隊の潜入・搬入などに使用されると考えられる小型潜水艦約60隻とエアクッション揚陸艇約140隻を有していて、海上自衛隊の16隻を凌駕している。大規模な特殊部隊を保持するなど、いわゆる非対称な軍事能力を維持強化している。「防衛白書」にはそう記述されているのだから、彼の言っていることは、ほぼ想像と妄想みたいなもので、書いていることもいい加減と言っていい。

 ほかにも、こんな具合にいい加減さをいくらでも拾いだせるのが、この人の特徴といえそうです。出自が漱石の流れを汲んでるそうだから、小説・随筆を書いているのならいいとして、歴史を書くのは問題が多すぎます。
 中国に関しても「経済関係を無視してまで戦争してくることは、まずありません。領土的野心のないことはもちろんです」という。
 少し前に、この人、NHKの番組に登場して、「日本はとんでもない長い海岸線を有する國なんです。だからこれを守るということはほぼ不可能に近いのです。」と、かなり断定的な感じで言ったけれど、どう守るかについては何も言いませんでした。どうやら変に抵抗するのが問題で、従っておれば平和だ。侵略してくる國などはないという考えのようでした。
 半藤一利氏は、じつに沢山の昭和史の本を書いてらっしゃるのですが、それは自虐史観の標本と言ってもいいし、問題はやはり、史実に関する検証を欠いていることだといえます。
 東京裁判に関してこう書く。「いま流行なのか「東京裁判史観」とよくいわれます。そりゃいったい何ぞやと問うてみたいのですが、そんな歴史観があるはずはなく、私はその言葉自体が分かりませんので使いません」

半藤一利

半藤一利氏

 『昭和史』の本文の締めくくりでこう書きます。
 「いやはや、やっと間に合ったのか、本当にあの時の負けることが出来てよかったと心から思わないわけにはいきません。それにしても何とアホな戦争をしたものか。この長い授業の最後には、この一語のみがあるという他はないのです。他の結論はありません」
 彼の考える歴史は、かけがえのない過去というものに対して幼稚な子供染みた考えで、人ごとのように別の過去を想像する、浅薄な進歩主義で過去を愚弄しているとしか思えません。日本の悲しい過去になんの洞察と共感を持とうともしない、浅はかで唾棄すべき人のようにぼくには思えます。このことは、たとえば、向田邦子の作品やドラマをみて、そこに流れるものを情感として受け止めれば分かるのではないかと思うのです。
 かつて、パスカルというコンピューター言語を教えていた頃、ぼくは弟子たちに「ベーシック言語を学ぶと頭脳が破壊される」と唱えていました。
 同じように、しっかりした歴史観を持つことなしに、彼の本を読んでいると、間違いなく頭脳は破壊される。そんな気がしています。
 そんな頭脳を破壊された国会議員が、与党や党を問わずごろごろいるのが今の日本の状況ではないのか。そんな気がしてくるのです。

 そんなひどいことになっている頭脳をリセットしリフレッシュするには、強烈な刺激が必要なのかもしれません。あるいは、へたに本など読まない方がいいのかもしれません。

ショーペンハウエル『読書について』

ショーペンハウエル『読書について』

 有名なドイツの哲学者・ショーペンハウエルは『読書について』でこんなことを言っています。
「読書は、他人にモノを考えてもらうことである」
「ほとんどまる一日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でモノを考える力を失って行く」
 人にものを考えてもらっていると、どんどん頭脳は退化して行く。ちょうど、車ばかりを使っていると、脚が退化して行くように。
 新聞テレビなどを信じてはいけない。
 本を読まないでどうするのか。自分で考えることです。自分が教えられてきた考えで、現実をみて、検証してみる。おかしいなと思ったら自分で考えてみる。
 むかしと違って、ネット上は情報の渦です。そこには、知らなかったことや、自分が思っていたこととは違う事実が沢山あるはずです。どれを信じるか。それは自分の問題でしょう。
 今述べたことは、ぼく自身の経験を語ったということです。

 最後に、補習ではなく新規学習の手引きをあげておきましょう。

渡部昇一『日本近現代史』

渡部昇一『日本近現代史』

 冒頭に取り上げた『日本近現代史』は海竜社・渡部昇一著で、帯には「本当はこうだったんだ」とあります。けっこう穏健ですが、ほんとはそうだったのかと思える記述が沢山あります。
 ぼくが面白がって読んでいるのは、倉山満氏の本です。最初に読んだのは『嘘だらけの日米近現代史』で、少々驚きました。
 読んだら元気が出てくる本です。竹田恒泰さんの本も同じで、元気が出ます。日本人としての元気が出てくる本がいい本だと思うのです。
 YouTubeではCGSチャンネルは勉強になります。ここには、大量の倉山満「じっくり学ぼう!日本近現代史」や宮脇淳子「じっくり学ぼう!日韓近現代史」が載っています。CGSチャンネル

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