向田邦子のドラマと玉音放送

 今月の始めから、CSテレビのTBSチャンネル1で向田邦子のドラマが、2週間にわたって連日放映された。
 何度も見たものもあったが、ぼくは大好きなので、連日見ることになったのだが、いつも胸苦しくなり、特に終戦特別企画の作品では涙があふれてきて困った。番組を列挙すると以下のようになる。
向田邦子新春ドラマ

響子「響子」

「空の羊」

「終わりのない童話」

「小鳥の来る日」

「あ・うん」
さらば向田邦子

「風立ちぬ」


「言うなかれ、君よ別れを」

「言うなかれ、君よ別れを」

向田邦子終戦特別企画

「いつか見た青い空」

「言うなかれ、君よ別れを」

「蛍の宿」

「昭和のいのち」

「あさき夢見し」

 すべてには向田邦子の独特の抑制の利いた女の情念が流れており、これは向田邦子のドラマの通奏低音的なテーマとも言える。それはときとして、背徳的なものに増幅する。とくに「響子」では、向田邦子としては特異的ともいえるエロスが描かれた。
 「終わりのない童話」では、家族への愛のために転向したマルキストの元教授と戦前の時代状況が描かれていて、めずらしい作品だと思った。
「あさき夢見し」の一場面

「あさき夢見し」の一場面

 「風立ちぬ」以後の作品では、母親役の加藤治子と娘役のの田中裕子が岸恵子と清水美沙に替わった。終戦特別企画の作品にはかならず、東京大空襲があり、悲しく純真な青年特攻兵があった。そして、たしか2作品には軍人の切腹場面があった。
 以上はすべてTBSのものなので、NHKではどうなのだろうと興味を覚え調べてみた。
 1972〜2011の40年ほどの間に取り上げられたのは次の8作品であったようだ。

『桃から生まれた桃太郎』

『阿修羅のごとく』

『あ・うん』
『阿修羅のごとく パート2』

『蛇蝎のごとく』

『続あ・うん』
『胡桃の部屋』

『思い出トランプ』
『男どき女どき』
『父の詫び状』

『胡桃の部屋』
 TBSとくらべると明らかに違っている。その違いを見るとNHKが嫌うのはどういうものなのかが明白に分かり、嗤(わら)いたい気分になった。

 終戦特別企画のものに限らず、向田邦子のドラマは必ずと言っていいほど玉音放送で終わる。向田邦子に限らず終戦の場面には必ずと言っていいほど玉音放送が様々なドラマで用いられている。だから誰でも知っていると思っているようだ。
 しかし、知っているといっても、「堪え難きを耐え、忍びがたきを忍び、・・・」ぐらいではないだろうか。だいたい、それだけの部分しか用いられないのだから、もっと知りようもないのだ。
 向田邦子のドラマでは、玉音放送「終戦の詔勅」がかなり長く用いられている。「朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ(余はここに、国家国体を護り維持しえて)」というところもはっきりと聞き取ることが出来る。

 敗戦から70年が過ぎ去り、玉音放送を聞いた日本人はかなりへったと思うのだが、そうしたことに関係なく、「終戦の詔勅」の中身をしっかり知っている日本人は少ないのではないだろうか。ぼく自身、一応玉音放送を聞いた国民学校の生徒だったから、知っているつもりをしていたのだけれど、実は「堪え難きを耐え、忍びがたきを忍び」だけしか知らなかった。
 そのことに気付いたのは、4年前のことで、しっかり読んで内容が分かったとき大変驚いたのだった。それですぐに<葉巻のけむり>に「終戦の詔勅」を書いたのだった。2011年9月3日のことだった。戦後70年のいま、日本国の国民はみんな、改めて「終戦の詔勅」を熟読すべきではないだろうか。ポイントをいくつか挙げてみよう。

 陛下は原爆投下について明確に述べておいでになられる。原爆投下は紛れもない国際法違反であり、東京裁判で作られた事後法としての「人道に対する罪」に該当するといえる。だから自分のことには目をつぶって敗者を裁いたのが東京裁判であり、このこと自体がそのインチキさを証明している。
 詔勅では次のように宣下された。「敵国は新たに残虐なる原子爆弾を使用し、いくども罪なき民を殺傷し、その惨害の及ぶ範囲は、まことにはかりしれない」
 このまま戦争を続けると、日本民族の滅亡を招きかねない。「さらには人類文明そのものを破滅させるにちがいない。」
 そんなことになったら、自分はなんといって「皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にあやまればよいか。以上が、余が帝国政府に命じ、ポツダム宣言を受諾させるに至った理由である。」

 これに先立つ前段で戦争に至った理由が述べられている。
 「そもそも、帝国臣民の安寧をはかり、万国が共存共栄して楽しみをともにすることは、天照大御神からはじまる歴代天皇・皇室が遺訓として代々伝えてきたもので、余はそれをつねづね心がけてきた。先に米英の二国に宣戦した理由も、実に帝国の独立自存と東アジア全域の安定とを希求したものであって、海外に出て他国の主権を奪い、領土を侵略するがごときは、もとより余の志すところではない」
 侵略ではなく東アジアの解放が目的であったことは次の箇所でも明らかにされている。「余は、帝国とともに終始一貫して東アジアの解放に協力してくれた、諸々の同盟国に対し、遺憾の意を表明せざるをえない」
 
 つづいて、今後大変な苦難が訪れることは間違いないし、自分もそれはよく知っている。「しかし、ここは時運のおもむくところに従い、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、それをもって万国の未来、子々孫々のために、太平の世への一歩を踏み出したいと思う」となる訳である。
 この「ここは時運のおもむくところに従い」の「時運のおもむくところ」は、元々は「義命の存するところ」だったのだが、皇室官僚によって書き換えられたと言われている。この書き換えによって、「終戦の道を選ぶのは道義的に正しい」というのが、「終戦はそういう成り行きなのだから」という馬鹿げた内容になったと言われている。

 この詔勅には、国民はしっかりと「神州の不滅」を信じて頑張ろうという呼びかけもある。
 ところが、日本は「神の国」と言っただけで左翼リベラル野党から猛烈な批判を受け、辞任に追い込まれた首相もいました。天皇陛下は東アジアの安定を希求したのであって侵略はしていないとおっしゃっています。日本が侵略したと唱える人たちは、天皇陛下を嘘つきというのだろうか。問いただしたいと思っています。
 向田邦子のドラマを見て、胸苦しくなんともやり切れない気持ちになり、筆がそれ且つ走ってしまいました。
 是非いちど「終戦の詔勅」を精読されるようお願いしたいと思います。
終戦の詔勅