「あおり運転」に思う

 近頃、「あおり運転」というのが、大変問題になっているようです。
 「あおり運転」とはなんなのか。Wikipediaでは次のように説明されています。
 あおり運転(あおりうんてん)は、道路を走行する自動車に対し、周囲の運転者が何らかの原因や目的で運転中に煽ることによって、道路における交通の危険を生じさせる行為のことである。
 そして、では具体的にはどんな行為をいうかについては次のように定義されています。
 前方を走行する車に対して、進路を譲るよう強要する行為のほか、車間距離を狭め、異常接近したり、追い回し・無理な割り込み後の急ブレーキ・ハイビーム・パッシング・クラクション・幅寄せ・罵声を浴びせる、などによって相手を威嚇する、嫌がらせや仕返しをする行為などが挙げられる。

 この説明にある「なんらかの原因や目的」で煽るとされていますが、その原因や目的はなんなのか。面白がってというのもあるかもしれないけれども、それは少数であって、ほとんどがなんらかの憤りを持って行うのではないか。
 おそらく道をふさいでノロノロ走り、先に行かせない。法定速度を守ってるという大義名分を盾に、一種の嫌がらせを行っている車に対しての報復かもしれない。ぼく自身の体験からそんなふうに考えていたのです。
 この問題が言われ出した時からぼくはそんな懸念を抱いていました。それで何人かの人に訊いて見たのです。煽られる側にも問題があるんではないかと。みんなぼくに同意したのです。

 最近では、車載カメラという便利な機器ができたので、煽られた状況を記録に残せます。
 ある人が煽り運転をされた映像をネットに投稿し、その絵を見た第三者がこれを警察に訴え、それを行った人が逮捕されたという事件があったのだそうです。
 ワイドショーで、この事件が報道されていました。映像が流れます。
 比較的狭い人家を抜ける道を何度も右折そして左折としながら、かなり長い間走ります。この道は30km制限の道で、車載カメラは28km走行を示していました。
 
 人家を抜けると、大きく開けた田園地帯に入り、二車線で黄色の追い越し禁止分離線のある直線道路が伸びていました。制限速度は40kmとなります。
 ここで、後ろから一台の車が反対車線に膨らんで追い越しをかけ、やや前に行ってから、止まります。そこから出てきた男が、近づくと、
 「なにノロノロ走っとるんじゃ」
 「制限速度守ってます」
 「バカモン」
 「警察呼びますよ」
 というやりとりが、記録されていました。

 おそらく、かなり長い間、後ろの車はイライラしていたのでしょう。先を急ぐ車が後ろにいたら、傍によって、あるいは止まって先に行かせればよかったのではないか。そうすれはこんなことにはならなかっただろう。ぼくはそう思ったのです。
 でも、コメンテーターでそんなことをいう人は誰もいませんでした。
 もし狭い路地で誰かが、追いついてきて、息を切らせていたら、誰でも傍によって先に往かせるでしょう。それが普通だし、傘をさしていたら、相手に当たらないように傾けるのが普通です。それが習わしであり、日本古来の伝統とも言えることのはずなのです。
 車に乗った途端どうしてそれができなくなるのだろうか。

 アメリカでは、おそらく、日本のような「あおり運転」はないと思います。どうしてか分かりますか。そんなことをしたら、たちまち、「ズドン」とやられるからです。
 アメリカでは、4車線と5車線の道路もあって、前が塞がることは少ないようなのですが、そんな状況は経験したことはありません。
 いつか、ロスの友人のカマールの家に滞在していた時、拳銃を撃ってみたくなりました。郊外には射撃練習場があるというので、連れて行ってもらうことにしました。
 彼が兄のシャムスから借りてきた車に乗り込んで気づいたのですが、後ろの窓ガラスがなく、ビニールシートが貼ってあります。どうしたのかと聞いたら、昨日高速を走っていてどこかから撃たれたらしいというのです。驚いて、どうしてそんなことをする奴がいるんだ。カマールはケロリとして、単に面白がって狙撃したんだと思うよ、と答えたのです。

 関係ない話ですが、この拳銃レッスンについて書いておきます。これは大変貴重な経験でした。あれ以後、映画などでも、前とは全く違ったリアル感で見ることができるようになりました。
 カマールは、俺は銃には触れない主義だと言って、撃とうとはしませんでした。
 そこには、老若男女たくさんの人がやってきていました。みんな銃の入ったケースを下げていました。何人かに聞いてみました。週に数回来る。理由はやはり、使うからには正確さが必要だからという答えでした。
 
 レッスン料は、2時間で確か30ドルだったと思います。女性のインストラクターが、厳しく指導してくれました。
 まずは、机上に置かれた拳銃を取りあげることから始まります。
 「ノー!」と何度も叱責されました。引き金に指をかけてはいけない。持った銃の銃口は天井に向いていないといけない。
 2時間のレッスンが終わった時、インストラクターは、少し言い淀みながら、真剣な面持ちで「ところで、あなたはどうしてこのレッスンを受けたいと思ったの」と尋ねたのです。
 「いや、単に経験したかっただけ。日本ではできないからね」
 彼女の顔に安堵の色が浮かび、嬉しげに「そうだったの」と言いました。
 彼女はぼくが、誰かを殺すための練習に来たかもしれないと思ったらしいのでした。

 アメリカというのはそういう社会のようです。
 バンコックのAUAという語学研修学校に留学していた時、スピーキング担当のカティヤ先生は、父親はトルコ人母親はイラン人でアメリカ生まれの回教徒という人でしたが、こんなことを語ったことがありました。
 アメリカでは誰にでも愛想よくしないといけないのよ。エレベーターに乗り合わせたら、みんなに笑顔で、敵意がないことを示さないといけない。そうしないと、誰かが、こいつは俺を敵だと思ってると思い込んで、撃つかもしれない。
 だから、みんなみんな愛想がいいのよ。わかるでしょ。

 話を「あおり運転」に戻します。
 ヨーロッパでの運転で、一番経験が多いのは、イタリアです。イタリアの道路は日本と同じように狭く、車同士が競り合う事も多いようです。
 でも、街中でのマナーは抜群で、例えば、ピエモンテ州のクーネオという町では、信号のない横断歩道がたくさんありますが、道端に立つ人影をみれば、すべての車はきっちりと止まります。
 山道のワインディングでは、どんな車も低いギヤーでエンジンをフル回転させて、猛烈に追い越して行きますが、「あおり運転」などする車を見たことはありません。
 ハイウェイ〜では、キープ・レフトが厳密に守られています。
 日本では、キープ・レフトを守らない車が多いようです。これが、「あおり運転」をもたらすのかもしれません。

 「お先にどうぞ」をモットーにすることを呼びかける。それをワイドショーのコメンテータに望みたいと思います。またぼく自身、「お先のどうぞ」とやって、「あおり運転」などされないように気をつけたいと思うのです。
 

「あおり運転」に思う」への1件のフィードバック

  1. おっしゃる通りです。最近テレビで放映された煽りの問題を所謂専門家を含め問題視しています。しかし現実私も76歳の高齢者ですが片側二車線道路の右側車線を前方車間を大きく空いた状態で走行する方々、特にご婦人や東北地方のドライバーにはイライラします。従前はパッシングでその状況を判断し先行車は回避したものです。しかし最近はそれを違法と勘違いして自ら危険回避の行動をせずに堂々と自己主張するこの様な世の中になってしまいました。
    いかに法定速度での走行とはいえ後続車の状況を理解せず運転を継続した結果、煽られの被害者扱いを主張する嫌な世の中になりました。運転は心の譲り合いなど遠い昔話です。道路は自分だけのものではありません。私も含め”ゆとりある運転”で自動車という便利な移動手段を楽しめたらと思います。

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