森友問題、加計問題、日報問題の背景

 一体いつまで続くのでしょうか。普通に考えれば異常あるいは異様としか言いようがないという気がしています。
 振り返って考えると、こうした安倍降ろしが始まったのは、安倍首相のあの時期を限った憲法改正発言からだったように思います。
 朝日新聞を筆頭とした新聞やテレビが執拗な安倍政権攻撃を始めました。
 政界の変動を狙った色々な動きがありました。総選挙の結果は見事といっては言い過ぎかもしれないけれど、安倍政権の圧勝に終わりました。
 そして野党はバラバラになりました。

 そこで、憲法改正を阻止したい勢力が次に考えたのは、自民党内を変えること、安倍総裁を引き摺り下ろすことでした。安倍首相を個人攻撃し安倍個人を嘘つきと決めつけ、総裁選で代わりを立てる。しかし、総裁選に国民は参加できません。そこで、政党支持率を下げることに集中する。そして、総裁選の対抗馬や安倍首相への批判発言を大きく報道するというやり方です。
 しかし、日替わり的に変化する国際情勢の中で、こうした努力もあまり効果的だとも言えず、逆に馬脚を表したりするという皮肉な様子も見られます。

 最近、クイズ王などと馬鹿にされている野党議員が、ネットの座談会で、こんな発言をして話題となりました。
 「ぶっちゃけます」「本気で政権を取ろうとしてる野党議員なんて、そんなに居ないですよ」
 これは、正しい見方なのかもしれない。冷静に考えれば、いくら内閣支持率が下がったところで、野党との政権交代は起こりえないことは、誰でもわかることです。
 にもかかわらず、なぜ野党は問題にもならないこと、といっては言い過ぎかもしれませんが、優先順位を違えたままで、国会論戦を展開し続けるのか。それを喜ぶ日本の周辺の国、憲法9条が改正されるのを望まない外国勢力の支援をいう人もいます。
 それは間違いないことでもありますが、問題の本質は日本内部にあるのではないかとぼくは思っているので、それについて書いてみようと思うのです。

 官僚とは
 そもそも官僚とはなんなんでしょうか。
 伊東博文は憲法制定に力を尽くしたのですが、最も力を入れたのは行政の整備だったと言われています。近代国家を支える人材養成の機関として大学を作りました。
 目標は欧州と同等の授業を行うことでした。そのため、イギリス、フランス、ドイツなどから多くの教員をお雇い外国人として招きました。給料は高額で、日本人の3〜10倍だったとも言われます。明治政府は彼らに母国と全く同じ授業をして、同等の学力をつけることを望んだのです。
 そんな外国語の授業を当然日本人の学生は、理解できません。そのための準備として第一高等学校を作って外国語を学ばせました。いわゆる一高の学生は東京帝国大学に進みました。彼らが官僚となります。彼らは優秀なエリートとなって日本の近代化を支えたことは間違いありません。

 日本が戦争に負けると、東大の教授のほとんどはGHQによって追放されます。そして代わりに舞い戻ったのが、それまで軍国化の波の中で左翼危険思想の持ち主として追い出された人たちでした。
 あるいは、例えば、法学部の宮沢俊義氏のように、熱烈な天皇主義・国粋主義を唱えていた人が、180度の転向を遂げ左翼に変わるということもありました。そういうわけで、官僚養成機関としての東大は、東京裁判史観の巣窟あるいは左翼思想の砦となりました。
 そして東大の学閥が形成され、その支配は全国の新制大学に及んで行きました。

 若い頃、結構なんどもぼくは、霞ヶ関の外務省を訪れたことがありました。パキスタン大使館の文化担当官だったおじさんで、お酒の飲み友達で、ウルドー語の先生でもあった人を訪ねたのです。その時、ぼくはそこにいる人たちが、独特の雰囲気を持っている人で普通の人ではないという感じがしたのです。一番印象的だったのは、その人たちの眼でした。その眼は、なにか無表情で冷たくて昆虫の眼という感じだったのです。

 大学で教鞭をとっていた頃、ずっとぼくに付いていた助手で親しく付き合っていた男が、警察庁のコンピュータ関係のキャリア官僚になりました。彼はぼくにこんな話をしたのを覚えています。
 「入庁の式のための予行演習があるんです。それはそれは厳格なもので、一挙手一投足まで、厳しく規制されます。例えば、直立不動の姿勢の時の両足の開きを、一人一人順に分度器で測るんですよ。何度も何度も繰り返しやられます。それは何時間にも及ぶんです。1日ではなくて、何日もですよ。あれは間違いなく、一種のイニシエーションですよ。」
 「あれをやられたら、誰でも自分は普通ではない。特別な人間だ。そう思うようになりますよ」
 大学院で心理学専攻だった彼の言葉は、大変それなりに真実性がありました。
 官僚というのは、そんなエリート意識を持っていることは間違いない。その時そう思いました。
 国会などで見る現在の官僚の方は、ごく普通でそんなエリート意識を感じさせないとも言えるようですが、そのある独特の慇懃さの中に、やはりぼくはエリート意識を感じ取っています。
 問題は、このエリート意識が「ノブレス・オブリージュ」としていい方に働く場合もあるし、「面従腹背」官僚を生む場合もあるのではないか。通称「ビーチ前川」のような、とんでもないエリート官僚が問題であることは間違いのない事実と言えます。

官僚と政府
 戦後官僚はしっかりと日本を支えてきました。GHQは日本の多くの仕組みを破壊したけれど、官僚には手をつけませんでした。
 優秀な官僚は戦後も大いに機能を発揮し、日本の高度成長を支え続けました。日本の官僚は世界一優秀と言われ、それは事実だったと言えます。
 政権がどんどん変わっても、日本は安泰で問題ないとも言われてきました。しかし考えてみれば、官僚は政治を支える集団です。だから政府替れば官僚も入れ替わる。それが普通です。ところが米国などと違って、日本はそうした交代がありません。
 新参の大臣の下に経験豊富な官僚がいる。こうしてことから、この上下関係の逆転が生じてきたのでしょう。
 こうした状況を打ち破るために、政治主導が唱えられたのでしょう。

 この政治主導を唱えて政権を奪取したのは、民主党政権でした。彼らはそれなりの理想を掲げて古い制度を刷新しました。その一つが「次官級会議の廃止」でした。
 各省のトップである次官が毎日会議を行います。この会議には国会に上がる議題が審議されますが、ここで全員の賛成がないと議題とはならないのです。
 だから新しい法律を審議するにもここを通さないと議題になりません。このGHQが定めたという会議を廃止したことによって、政府は官僚の支配を一部撥ね退けることができるようになりました。
 これがあったからこそ、安倍政権は日銀の総裁を入れ替えることができたし、法制局長官も替えることが出来たといえます。

 とはいえ、ながきに渡る自民党政権の中で、官僚組織あるいは行政には多くの癒着が生まれていました。政治主導を訴え、アベノミックスを推進するための改革を行おうとしても、長年続いてきた利権構造は複雑強固で、なかなか進みません。
 安倍政権はこれを岩盤規制と呼びました。そしてそれを打ち破る方策として、特区構想を考えたのです。全体の変革は無理だから、地域を限って特区とし、そこでは色々な改革を可能としようとしたのです。色々な特区が考えられました。
 この特区構想を推進する会議が設けられ、安倍首相はその議長となります。そうした状況では、すべての案件は安倍案件と呼ぶことも可能でした。
 
 今見てきたように、官僚集団と政治家集団との間には、望ましい関係が作られているとは言いがたく、それが問題発生の大きな原因の一つになっているということです。
 森友問題や再燃した家計問題の底にあるのはこうした問題です。

情報公開法
 正式には「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」、いわゆる情報公開法が施行されたのは2001年ですから、もうだいぶ年月が経っています。しかし今なお十分に情報公開がなされているとは言いがたいのではないでしょうか。政府や官僚は、なかなかすべてを明らかにはしません。
 とはいえ、なんでもかでも公開すればいいというものでもないと思うのです。森友問題の国有地売買交渉のような記録は、行政の記録として後の時代のためにすべて残すべきだと思うのです。しかし残しておくと都合の悪いものは廃棄するということになっているようです。
 この辺については、公開できる範囲なり、年限を明確に定める必要があるでしょう。
 そういう秘密保護の規定がなく、ただ公開法のみがあるので、今度のように個人的なメモが、リークされるということになる。

 情報公開法には、公開請求を受ける必要のない事項が明記されています。それは安全保障上の案件、外交上のものなどです。
 日報問題で、黒線で消された部分があったり、真っ黒の文書が示されるのは、こうした理由によります。
 ここでマスコミ・野党が問題にしているのは、文民統制違反です。文民統制とはなんなのか。
 文民統制とは、ぼくの理解では、軍隊は軍以外の政治家によってコントロールされねばならないという決まりのことです。いわゆるシビリアン・コントロールは世界の常識となっています。
 戦争以前の日本の国会では、軍人の大臣が、特に226事件の後、強権を振るい政治を動かして、戦争に突入したという反省があります。
 なぜシビリアン・コントロールが世界常識として重要かというと、軍隊というのはそれだけ強烈な実力組織であるということで、普通の法律ではなく、軍法会議で裁かれ、命令による殺人は合法とされます。そうした組織だから、それは政治の支配下に置かなければならないということです。

 自衛隊は軍隊ではないので、軍法会議を持ちません。もし憲法改正がなって、9条が書き換わり自衛隊が軍隊相当のものとなっても、軍法会議に当たるものは設置することはできません。
 どうしてかというと、憲法第六章司法の第76条の2項に次のように定められているからです。「特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。」
 GHQはここまで周到に日本の無力化を図ったのか。マッカーサーという男は、ホントにえげつない奴だと思ってしまいます。
 だから、9条の改正で、自衛隊が、自衛権を持つ実力組織という規定がされただけでは十分ではなく、自衛隊裁判所の設置を可能にすべきなのです。

 話を元に戻して、日報問題では、野党はやたら、この文民統制を追求してました。しかし軍隊でないとしている自衛隊に対して、やたらシビリアン・コントロールを叫ぶのに、ぼくはいささかの違和感を覚えていました。
 国民からなる武装集団で、いわば警察官並みの集団が、外国では軍隊として行動する。そこには大きな矛盾・無理があり、整合性が取れません。これが、国会での戦闘か戦争か混乱かなど不毛の言葉遊びみたいな押し問答の原因です。
 そんな軍事上の機密事項ともいうべきものが記された日報なるものが、シビリアン・コントロールの問題だなどと唱えるのは無理がある。ぼくにはそう思えます。
 情報公開法と秘密保護法、この対立する二つの法律を調和的に運用するルールが必要とされている思っています。

 内閣官房参与の飯島勲氏は、解散総選挙で国民に信を問うべく決断せよ!とおっしゃっています。今解散しても、与党の議席は7つ減るだけという見立てです。
 確かに、いま安倍叩きをやっている政党に票が集まるわけはありません。日本もアメリカと同じく、フェイクニュースまがいが溢れていて、世論調査もその信憑性が問われています。
 何年も前のことを針小棒大に騒ぎ立て、騒ぎ立てているのは野党とマスコミだけのような気がしています。国民は冷静に見ていると思うのです。  

 昭恵首相夫人まで引っ張り出して、ロッキードとの語呂合わせでアッキード事件などというとんでもない造語・雑言が言われていますが、森友問題とロッキード事件とは全く違います。そこに金銭的な利得が存在しないからです。
 森友問題で安倍政権を追求する側は、決してすべてを公開しているわけではなく、自分たちに不都合な事実は見事に隠しています。それはネットの情報をつぶさにチェックすれば、はっきりとわかります。
 不利なこと不都合なことを隠し、都合のいい事実をピックアップして自分たちのストーリーを作って追求ネタにしていることは明白だと思えます。

 家計問題は、あの加戸愛媛前知事の国会招致での証言を聞けば一目瞭然の話です。その内容を全くと言っていいくらい報道せず、前川前次官の発言ばかりを取り上げているマスコミは、本当にどうかしています。
 日報問題もそんなに延々続けるような問題ではないし、森友問題は単純に国有地売却をめぐっての不動産屋たちの悪巧みストーリーに過ぎません。
 もういい加減にしてくださいという気持ちになっています。

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