「ラトック1遠征を終わって」(1/3)


ラトック1峰遠征を終って  高田直樹
 成功したにしろ、失敗したにしろ、遠征隊に関ずる分析は、
すべて結果論である。ぼくはそう思っています。だから、いか
にも科学的な装いで行われる因果関係の分析は、時に、実に馬
鹿げた結論を引きだすことがあります。
 というようなことを充分承知したうえで、なおかつ、ラトッ
ク1峰隊の分析を試みたいと思うのは、一つには、今の山の世
界で、行ってきました、登れました、では何とも芸のない話で
あると考えること。また、テクニカルなデータを披露してもあ
んまり意味はないし、第一、ぼく自身、むろんベースのお守り
をしていたのではないにせよ、頂上に立ってはいない以上、そ
れはぼくの任ではないと思うのです。

 そして、さらには、ラトック1峰を目指した、<ビアフォー
カラコルム隊>が、あんまり前例のない隊であったと考えるか
らであります。
 何のトラブルもなく、しかも成功裡に終った隊であっても、
すんでしばらくの間は、色々の雑然とした思いが錯綜して思
考は一種の混沌の中にあるのが常のようです。遠征が終って
約一年が経過した今、ようやく、少しは客観的に、自分達の
隊のことが考えられるのではないかと思う訳です。
 『岩と雪』七一号のTO FOREIGN SUBSCRIBERSには、
次の如き記載があります。
 ーAnd it may be a success by new kind of a
mountaineering party in Japanー
 ぼくは、だから、ここで、では、どこが、どういう風に、
「ニュー・カインド・オブ」であったのか、それを考えてみた
いと思う訳です。

1、プロジェクト・チームとしての登山隊
 登山を目的とする人間集団は、本来的に、プロジェクト・チ
ーム的な色彩を持っているはずです。ところが、現実には、そ
うした事が明確な隊はあまりなかったのではないか。これは、
遠征隊に於ては、その構成員の目的が、多岐に亘っているから
だと思います。もちろん、みんな頂上に登りたいという一点で
は一致してるとしても……。もちろん、最初から、ベースキャ
ンプで満足する、あるいはある高度に達したら、それでいい、
という人がいるのは論外としての話です。
 遠征隊は普通の場合、日本における山岳集団、山岳会やある
いはそれに類するものによって構成されてきました。それはい
わゆる中根千枝のいう「場の理論」による集団、平たくいえ
ば、「おなじ釜のメシ」集団にすぎず、その遠征は山に場を貸
りた一つの旅行にすぎない、人数の大小に関係なく、理念的に
は、トレッキングと同列だといえる、と思うのです。
 誤解があっては困るのですが、ぼくは、ここで、プ’ロジェク
ト・チームだけが遠征隊で、ほかは違うといている訳ではあり
ません。
 プロジェクト・チームとしての隊は、当然、セレクト隊、選
抜メンバーという事になり、そして、普通の場合「混成隊」と
なります。
 これまで、「混成隊」は成功しないもの、内輪もめを起こす
もの、という定説ができあがっていたようです。どうしてそう
なったのか。
 これまで「混成隊」の指導者がとったポリシーは、次の二つ
ではなかったかと、ぼくは考えます。一つは、「混成隊」にそ
の場限りの付け焼刃的「同志意識」を作ろうと試みたり、短か
い準備期問に大急ぎの合宿をしつらえ、山岳会的「結社意識」
を期待したりします。このどれも、全て疑似幻想にすぎません
から、厳しい高山の現実に直面すると崩壊して当然で、メンバ
ーは、思い違いのいらだちをぶっつけ合うことになります。
 また、上層部がメンバー個々に、秘かに、「君だけに期待して
いる」みたいな感じのささやきを行う。このやり方は、日本的
風土によく合っていて、うまくゆきそうな気がします。でも、
これまで、うまくゆかなかったのは、きっと「秘話式トランシ
ーバー」がなかったからだと、ぼくは考えています。
 ところで、こうした形の「混成隊」は、すでにもう、プロジ
ェクト・チームとはいえないことになります。
 もう一つの「混成隊」ポリシーの形は、はっきりと、全員登
頂を唱ったり、強いものが登頂できるとして、登頂チャンスの
公平化のタクティックスをとる。この場合、全員登頂というの
は、見込みによるウソをついている一種のサギ的要素がある。
それと、こうした場合、「混成隊」はプロジェクトーチームと
いうより、一つの「コンペ集団」となって、アクシデントの確
率は高まる。エベレストの国際隊がいい例のようです。このよ
うか混成隊の決定的なデメリットは、メンバーが、最後の突込
みに備えて、エネルギーを温存し、お互いに競争相手をうかが
うという状況が生じて、一向に荷上げがはかどらないというこ
とになる点です。
 そして、成功しても、失敗したときはなおさら、こうした競
争相手、いわば敵としてのメンバー同志には、冷やかなものが
残ることになるでしょう。
 さて、プロジェクト・チームとしての<ビアフォ・カラコル
ム隊>はどうであったか。
 プロジェクト・チームというものは、まず、人間関係におい
て、またその他あらゆる発想においても、あいまいさのない明
快なものであり、かつドライなものでなければならないと考え
ました。
 これは、目標の山の設定、隊員への呼びかけに於ては、ほぼ
貫けたようです。ただ一人の隊員に関しては、少々原則をはず
れたと思われるふしがあり、このことのあやまりは、後に事実
となって示されたように思います。もう少し明確にすれば、参
加不参加の決定は、神径質なまでに、相手の判断にまかせねば
ならないということです。
 電話を心当りにかけ、目的、川問、費用等を話していた頃、
一人の人は、こんなことを言って、ぼくに忠告してくれました。
 「やっぱりこういう話は、じかに会って、酒でもくみ交しな
がら、やられた方がいいと思いますよ。みんなそうするんです
よ」
 しかし、ぼくは、そのやり方自体を忌避していたのですし、
そうしないと来れないような人は、こっちも必要としていなか
ったのです。だから、この忠告を、ぼくは「ありがとう」と素
直に受けとっておきました。
 いま考えてみて、私たちの遠征隊は、プロジェクト・チーム
であったとしても、完全なものではなかったし、それは未完の
プロジェクト・チームであったといえるでしょう。ただそうし
た方向性と志向を持っていたということは、はっきりしている
といえます。
 でも、本質的に、遠征隊は、プロジェクト・チームであり続
けられるのか。とくに、苛酷な自然条件の中で、四六時中、生
命の危険におびやかされるような空間において……。
 これは、遠征期間中に、だんだんと、ぼくの心に発生した問
題でした。
【「ラトック1遠征を終わって」(2/3)に続く】

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