新しい年を迎えて(最終回)

 第二次大戦で、連合国を率いて日本と勝ったアメリカは世界の覇権を握ります。戦後、戦時の連合国によるいわゆる国際連合なる世界組織を作り、また米ドルを基軸とするいわゆるブレトン・ウッズ体制と呼ばれる金融支配の仕組みが作られました。これは同時に、グローバリズムの始まりとも言えます。
 歴史で初めて、マルクス・レーニンの唱えたマルクス・レーニン主義という世界革命主義によって、ロシア帝国はプロリタリアートによって倒されました。そして共産主義によって立つソ連邦が成立します。
 世界は、資本主義国グループと共産主義国グループに別れることになり、アメリカはソ連邦と対峙することになりました。ここに世界を二分する冷戦構造の世界が生まれたわけです。
 ソ連邦の人間性と遊離した計画主義経済は弱体化せざるをえず、やがて、アメリカのレーガン大統領の軍事的ハッタリ戦略に怯えた結果、ソ連邦は崩壊することになりました。
 これを見て、共産主義国家という歴史の実験は失敗だった。資本主義は優位の確証を得たのだとして、パクス・アメリカーナが唱えられました。つまり、軍事的・経済的優位による平和です。それは世界の警察の宣言でもありました。
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新しい年を迎えて(その3)

 大学に入って、ぼくが毎日のように通ったのは図書館でした。そこには高校の図書館とは比較にならないくらいの本がありました。そこにある山関係の本を片っぱしから読んで行きました。
 中には図書カードはあるけれど、本がないものがありました。尋ねると、山岳部の顧問の教授の部屋にあるということでした。かなり勢い込んで、その教授の部屋に向かいました。
 高校の教員室に入るようなつもりで、ドアを開けると、大きな机に座っているかなり年配の先生は、「君、部屋に入るときはノックするもんだよ」とぼくを叱りました。
 教授は、「山が好きなのかね」と尋ね、「山岳部に入りなさいよ」と言われたのですが、「いや、ぼくは集団に縛られるのは好きじゃありません」と答えたのです。ぼくは間違いなく、礼儀知らずの生意気な学生だったようです。
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新しい年を迎えて(その2)

 大学を終えて、化学を教えることになったぼくが赴任したのは、京都の桂離宮の近くにある桂高校でした。
 共産党や社会党の支援を受けていた蜷川知事の京都府は日本で有名ないわゆる民主教育の中心でした。社会党、共産党の違いはあれ、日教組傘下の京都府教職員組合は極めて強い存在でした。
 多くの活動家教員の影響を極力少なくするため、京都府教育委員会は、活動家の教員を一箇所に集めるという方法をとりました。その高校が桂高校でした。そうしたことを知ったのはずっと後のことです。
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新しい年を迎えて(その1)

 年が明けました。
 なにいうとるんや、年明けからもうもう二週間近くも経っとる。そんな声が聞こえてきそうです。世の中やけにスピードが重視されるようになってきました。ものすごいスピードでニュースが飛び交い、すぐに古くなって忘れられて行きます。
 ぼくのような昭和二桁のとっかかりの男には、このめまぐるしさはなんかしんどい。
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ペンス米副大統領の対中方針演説

ペンス副大統領。

 アメリカのペンス副大統領は昨年10月、ハドソン研究所という場所で約50分の演説を行った。それは対中方針演説と呼ばれるものだった。
 中国を徹底的に批判攻撃するもので、かなり驚かされるものだった。新聞各紙も取り上げた。とはいえ、その本当の意味内容を掴んだものは少なかったように思う。さすが朝日新聞は、一面トップでもおかしくないこの記事を国際面に3段で報じた。
 尖閣の施政権は日本にあるとしたこの演説を一面トップに置いたのは産経新聞だった。「これは本気の宣戦布告」だとし、1946年チャーチルが行った「鉄のカーテン」演説に匹敵すると見る人もいた。
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