高田直樹のプロフィール

アルカトラズ島にて

高田直樹(たかだなおき)
1936年京都生まれ。京都府立大学卒。同大学山岳部OB。
国際登山家。教育評論家。
大学卒業後、京都府立高等学校で化学の教鞭をとるかたわら、登山や教育についての執筆評論活動を行う。
主な登山活動は、厳冬期剱岳東大谷G1初登攀、積雪期前穂高岳屏風岩第1ルンゼ第2登、剱岳八ッ峰六峰Bフェース京都府立大ルート初登など。

1962年(昭和37年)8月、剱岳東大谷に転落した北大山岳部員の救出を芦峅寺ガイド佐伯栄治と共に行い、富山県警本部長賞(人命救助)を受ける。
1967年文部省登山研修所設立時から以後10年間研修所インストラクターを務めた。

また、海外ではカラコルム、旧ソ連コーカサス、中国など各地の未踏峰へ、隊長として数多くの登山隊の指揮をとる。中でも1979年のカラコルム、ラトック1峰(7,145m)の初登頂は世界的に知られている。
一方で、パソコンのデーターベース処理・開発の専門家としても著名。

1991年、54歳で高校を退職時、京都府より優秀教員表彰を受ける。’93年より2005年まで龍谷大学で非常勤講師(教育情報処理)として教鞭をとる。
1965年、京都山岳連盟の目指したカラコルム・ディラン蜂に最年少隊員として参加。この隊に医師として参加した作家北杜夫は、『白きたおやかな峰』を著した。この作中の竹屋のモデルとなっている。

著書
自伝的登山論『なんで山登るねん(正・続・続々)』(山と溪谷社)(1978年3月)
文庫版『なんで山登るねん(正・続・続々)』(河出書房新社)(2002年5月)
ヤマケイ文庫『なんで山登るねん』(山と渓谷社)(2014年5月)
体験的教育論 『いやいやまあまあ』(ミネルヴァ書房) 書評
『入門 TURBO PASCAL プログラミング』(ソフトバンク社)(1989年6月)
『dBaseIII PLUS ガイド』(ソフトバンク社)(1989年12月)
『FRAMEWORKⅡガイド』(ソフトバンク社)(1990年3月)
『FRAMEWORKII EZ ガイド』(ソフトバンク社)(1990年12月)など。年

専門誌・雑誌他
1970年5月〜1971年10月、月刊『山と溪谷』380号〜397号、「西パキスタンの旅」を連載。
1972年10月〜1973年4月、隔月刊『岩と雪』27号〜30号、連載「カフカズの山ールート解説」
1974年8月〜1975年6月、隔月刊『岩と雪』38号〜43号、論説「登山と神話」を連載。
1975年1月〜1977年12月、月刊『山と溪谷』436号〜471号、自伝的登山論「なんで山登るねん」を連載。
1981年1月〜1982年12月、月刊『山と溪谷』520号〜521号、「ちょっとけったいですが」を連載。
1995年5月〜1997年3月、月刊『山と溪谷』718号〜740号、「なんで山登らへんの」を連載。 
1981年7月~9月京都新聞夕刊小説欄に92回の自伝的教育論『いやいやまあまあ』を連載。
1985年12月、NEC98ラップトップ機をネパール山中で初試用。『日経パソコン』誌の取材を受ける。ソフトバンク社『Oh!PC』1985年1月号特集・ボクの夢のパソコンに『ワープロが作家になる日』を執筆。
1991年1月よりソフトバンク社『Oh! PC』誌上にエッセイ『パソコンおりおり草』を28回に亘り連載。高田直樹作品集「パソコンおりおり草」参照
1993年1月〜1994年1月、高岡市季刊広報誌『きらめき』冬号8〜冬号12、「高田直樹の異国四景」を連載。
その他、山と溪谷社出版物各誌、朝日新聞出版物など各紙誌に執筆評論多数。