パキスタン大使館昼食会と大阪のシガーパーティ

前稿で書いた通りパキスタン大使からの昼食会の誘いがあって、東京に赴いた。しかし、翌日には以前より予定されていたシガー・クラブ主催のシガーパーティーが予定されており、東京で一泊して翌日大阪に戻るという日程になった。
パキスタン大使館は以前とは違った新築の建物となっており、大使もスタッフも知らない人ばかりになっていた。
パキスタンのスタッフは、以前は各国大使館が蝟集する広尾界隈に済んでいたが、このビルが出来てからは、その中に住むようになり、それだけで年間1億円の経費削減になったと聞いた。

ナジール・サビール

8時半頃の新幹線で東京に向かい、大使館には11時半に着いた。招かれた18名のゲストは、もうみんな集まっていた。大使のヌール・モハメッド・ジャドマニ氏と副大使のサイード・アリ・アサド・ギラニ氏の挨拶を受け名刺交換。ゲストの中には数名の顔見知りもいて、懐かしく挨拶を交わした。
すぐに全員テーブルに付き昼食会が始まった。大使発声の乾杯と挨拶、メインゲストのナジールのスピーチがあり、その後全員が、自己紹介のスピーチを行った。数名の日本語のものもあったが、ほとんどは英語のスピーチだった。

ぼくは、最初のディラン峰遠征の話と、その年1965年に生まれ、麓のミナピンから名付けた娘の美奈を連れて、27年ぶりにミナピン村に再訪した話などをした。でも、後で考えると、言うべきことをほどんど言ってないことに気付き、耄碌したのかなと思って少々気落ちしたことだった。

むかし、弟子たちと中国からパキスタン入りして、カラチの総領事で旧知の今川総領事の奥様アレンジの懐石料理を頂いたときも、さらにもっと前、1969年にイスラマ近くの避暑地の高台のマリーの日本大使館別荘に滞在させてもらった時も、食器にはティーカップの受け皿に至るまですべて、日本の国章の菊の紋が入っていた。
パキスタンの食器には、国章とおぼしきものはなかったが、ナイフには国旗と同じく月と星のマークが入っていた。
前の稿のギルギットの騒動の件はたいして話題とはならなかった。食事中に前の席に座っている大使に、その件について質問したけれど、大した答えは得られなかった。
ナジールは、こともなげに「いつものことですよ」といった。たしかに日本のマスコミの騒ぎ過ぎだったと、パキスタンの常識から言えば、そういうことなのかもしれなかった。

その夜は娘の家に泊まり、翌日午後のフライトで大阪に飛んで、予定時刻にウツボ公園近くのカフェバーDBLに着いた。
大阪のリッツ・カールトンに居を構える葉巻店「シガークラブ」は、関西一円の葉巻の供給元である。年に一・二回お客を集めてシガーパーティーを開く習わしになっているようである。
この前に東北大震災援助のチャリティ・オークションがリッツ・カールトンホテルであって以来の催しである。ウツボ公園そばのDBLはお洒落なカフェレストランだった。
参加者は、20名ほどだった。

始まって直ぐに、ビンゴゲームが始まった。シガークラブのパーティには、いつもゲームとしてのくじ引きがあり、なにかの賞品があたるようになっているのが常である。こうした賞品は、もちろんシガー・クラブの提供もあるのだが、そのほどんどが常客の篤志家の拠出によるもので、前のオークションの時もそうだったが、いづれも高価なものである。たいした功徳を施す御仁がいるものだといつも感心してしまう。

ぼくは、生来くじ引きには弱いと信じているのだが、このパーティでもその確信を再確認するのが常であった。
ところが、前回のパーティーでは、大当たりがあって、数万円もするヒューミドールがあたったので驚いた。
ビンゴゲームでは、紙のシートが配られ、電光パネルに出てくる数字を押して、シートに穴をあけて行く。
ぼくにはなかなか、穴があかない。そのうちに周りの人たちが、「リーチ」と声を発し始めた。いっこうに呼ばれる数字がないままに過ぎて行った時、誰かが「せんせい、出来てますやん」と叫んだ。
あらためてよく見ると紙シートには、横一列に穴があいていた。一列に並んだら上がりなのだ。でもぼくはルールなど知らなかった。
というわけで、一番乗りの上がりだった。
上がったものから用意された籤の箱の穴に手を入れ、入ったカードをつまみ出す。ぼくが、つまみ出したカードは、白紙だった。ほんとはそこには数字が書いてあるはずで、その数字が賞品番号である。とんだ準備側の手落ちで、ぼくは再度引き出した数字は、6だった。

賞品は、<ポール・ララニャーガ>のペティコロナでこの銘柄は、ぼくの好物のものである。それと、バリ島土産のオーガニック石けん。
ララニャーガのシガーは2本あり、賞品とともに渡された説明では「キャビネット売りの葉巻です。以前はなかなか入らなくてやきもきしました。ショーツ同様、私にはなくてならない葉巻です。」と書いてある。賞品提供者はこうしたものまで用意されたとは、感心してしまった。
全員に賞品が行き渡ったが、まだ残っているというので、全員でじゃんけん。ここでもぼくはまたゲットした。一体どうなってるのかな。

最後に佐藤ドクター提供の賞品のくじ引きがあり、ここでもぼくはグレークリッフという珍しい葉巻を当てた。この銘柄は、アメリカ大統領が吸っているという。

料理はなかなかおいしかった。
シガー・クラブの美人店長さんが、一緒に撮りましょうと横に座った。ぼくは、「ブログに載せますよ。写真のキャブションは決まりました。シガークラブの店長さんは、今夜はクラブのママでした、にしますよ」と言ったのです。

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