戦時募集工(いわゆる「徴用工」)裁判に端を発する日韓問題で、日本が行った貿易規制強化の処置に韓国が逆上して、WTOに提訴すると報じられていました。
この裁判については、項をあらてめるつもりですが、ここでは、WTOの一般理事会に出席した韓国の官僚が、お笑い番組のキャスターを髣髴とさせるような弁論を展開した様子を知り、そのあまりの可笑しさにこらえきれず、ここに、その一部始終を報告します。
日本の処置は世界経済に破壊をもたらす。今回の輸出規制は徴用工問題がきっかけだ!
これは外交上優位に立つため戦略的に計画されたに違いない!
貿易を政治目的で使うことは大惨事を生みがちなのは、皆さんも知っているでしょう!?
日本の輸出規制処置は、WTOで合意されている基本原則と真っ向から対立する!3品目は世界的に日本が供給を独占している!日本の今回の処置は、意図的に韓国の生産を妨げるのが目的!
韓国の半導体生産を止めることは、世界中の生産者に悪影響を及ぼす!
日本は政治的近視眼!
外交を回復するのが、私の一般理事会および日本への主なメッセージだ。
韓国人と日本人は外見が似ている。たとえ席が入れ替わっても、議長にも他国にも見分けがつかないだろう。両国間は長い歴史の間で、われわれは話し合いを通じてさまざまな問題を解決してきたじゃないか。
少なくとも、握手の写真一枚でも報道されれば、国際社会の不安を解消できるだろう。
~昼休み後~
日本国代表との直接対話を提案して、すでに2時間が経過したので、日本の回答を聞きたい。
<日本の回答>
「今回の運用見直しは禁輸ではない。徴用工に関わる「対抗処置」ではない。既に韓国には丁寧な説明会をやったが、韓国から追加質問があれば、引き続きやり取りを続けることは、韓国と確認済みだ。」
二国間では、猫とねずみの追いかけっこが続いている。韓国はこのようなトムとジェリーのショーには辟易している。トムはジェリーの突然の攻撃に驚き身を隠し続けている。
日本は「見ざる言わざる聞かざる」の三猿だ。日本は、われわれに対して行ったことを説明する勇気がないのだ。日本は被害者を見ないし、何もいわないし、被害者の話も聞かない。
この議場にいる各国に提案する。この韓日の直接対話に反対するなら、起立してほしい!
誰もいない。それでは、一般理にて全会一致で同意を得られたと、本国に公電する。もしこの理解が間違っていたら、手を挙げてほしい。
<誰も立ちませんでしたし、手も挙げません。ここで、議長の制止が入ります>
議長「双方ともそれぞれの見解を述べたと思うので、日本から発言はありますか?」
キム・スンホは「NO! NO! NO! まだ半分しか終わっていない!」と叫び、続けました。
日本人とコミュニケーションをとる時は、「建前」によってミスリードされないよう気をつける必要がある。
日本人の本意を見つけるためには、建前のベールの奥を見る必要がある。
それは砂糖でコーティングされた苦い殻と一緒だ。いかに砂糖が厚く殻をコーティングしていても、殻は砂糖にはならず、苦いままなのだ。
ルールブックにて、安全保障例外に関しては同意する。しかしそれはあくまでも「例外」であり、例外というものは、本体の付属品、つまり「しっぽ」である。犬は犬、犬がしっぽを振るのであって、逆ではない。犬の尻尾がどれだけフサフサであったとしても、しっぽが犬を振ることはできない。
(注:安全保障例外というのは、WTOにおいては、ルールブック21条において、安全保障は例外とされています。韓国エリートの訳のわからん笑える論理構築)
<たまりかねた議長が割って入ります>
「申し訳ないが、まだまだ長い議題が残っており、私には一般理事会での全ての議題を本日終える責任がある。心から、両国が友好的に解決することを望みます」
<一般理事会終了後の各国の反応>
「アメリカ」
韓国の起立発言は論外だ。あれは、議長が職権で介入してもよかった事態。あんなものは絶対真似しちゃいけない。それと比較して日本は冷静に対応された。評価する。
「EU」
一般理事会は政治的なショーの場ではない。二国間協議の開催を、突然支持しろなど前代未聞。韓国の信用問題に関わる酷い醜態。日本が抑制的な対応をされてよかった。
「オーストラリア」
韓国は、後半完全に行過ぎてしまい、聞いていても侮辱的であった。当然、韓国の立場を支持できるわけがない。それに対し、日本と議長が冷静に威厳をもって対応されていたことを評価する。
キム・スンホ氏は帰国後ラジオ番組に出演し、次のように語っている。
「ライオンがけんかに負けて、隅っこに行って傷をなめているようなもの。おおらかな心で大目に見てやりましょう」
「日本は国際世論戦に失敗した」
「日本側の処置があまりに荒唐無稽だったため、全ての国、通商を知る人は特に開いた口がふさがらないほどあきれていた」
ぼくは、なんだか悲しくなってきたのです。どのようにしたら、こんな人間が出来上がるのだろう。
私たち日本人は、恥の文化の中に育ち、恥を知っている。「うそつきは泥棒の始まり」であり、「おてんとうさんが見ている」と教えられる。
あの国では、「泣く子はお餅を一枚余計にもらえる」し、これも諺にいわく「嘘をつきとおせば、千坪の美田が手に入る」し、「一緒に井戸を掘り、一人で飲む」ともいう。そこには、私たちには考えられない価値観の世界があるようなのです。