特定秘密保護法案がマスコミ挙げての反対キャンペーンの中をものともせずに衆院を通過したようです。
まあよかったと、ぼくは思っています。
なぜそれほど必死に反対するのか、昭和二桁とっかかりのぼくにも、あんまり分かりません。
国民の知る権利がいわれます。確かにそれはあるでしょう。
東京新聞の社説では、「国民の「知る権利」と安全保障は、いわば綱引きのような関係である。政府は「秘密にしたい」と言い、国民は「情報を公開してほしい」と願う。調整をどのように図ったらいいのか。」
綱引きの関係ってなにそれ。安全保障を確保すれば、知る権利が侵される。国家の安全保障は何よりも優先しないといけないのではないですか。そうでなければ、国民生活が侵されることになる。
朝日の社説はこう書いてます。
ーー町村信孝元外相はこう言った。「知る権利は担保したが、個人の生存や国家の存立が担保できないというのは、全く逆転した議論ではないか」
この発言は、国民に対する恫喝(どうかつ)に等しい。国の安全が重要なのは間違いないが、知る権利の基盤があってこそ民主主義が成り立つことへの理解が、全く欠けている。ーー
民主主義が成り立っても侵略されたらおしまいではないのでしょうか。それに、その民主主義によって選ばれて成立したのが政府であるということをどうするのですか。
ネットには各新聞の社説がずらずらと載っているので飛ばし読みしたのですが、どれもこれも話の内容が幼稚すぎるという気がしてしまいました。現状認識や世界情勢への考察を欠いています。
その一例を挙げてみましょう。これは京都新聞の一面の連載コラム「天眼」の最初のものです。
筆者はあの浜矩子先生です。このおばさん、アベノミックス完全否定の論者で反リフレ派の筆頭経済学者です。そのぶれない主張は、空気ばかりを読んでいる学者の中でそれなりに聞くところのある人だと思っていたのですが、安全保障に関してはとんでもない考え、というか空っぽの考えの持ち主であることを知りました。
タイトルに示されるように「秘密がないのが一番」。それはその通りです。でもその内容は、あまりに幼稚すぎる。簡単に要約するとこんな具合です。
秘密は、それを絶対に守れる証がないと、教えてもらえない。だから、内緒話の仲間に入れてもらいたければ、秘密を守るための法律が必要だ。政治家たちは、こんな風にいう。
三つの盲点がある。
第一、秘密などない方がいい。
第二、内緒話を分かち合い始めると、ろくな結果に終わらない。
第三、隠し事をしていそうだと思われると、ひどい目にあう。
そして、第二点の例として、落語の「紙入れ」の枕の部分を挙げるのです。それはこんな話。
豆腐屋のおかみさんが間男をしている。その秘密を知ってしまった江戸っ子のお兄さん。絶対にしゃべるな。どんな拷問を受けても秘密を守れるならという条件で人に話す。こうした会話が繰り返されて、話は豆腐屋の旦那に達してしまうという話。
第三点の例としてまたもや落語で、「天狗裁き」。夢の中身を話す話さないと夫婦喧嘩の末に閻魔大王が登場するというたわいもない話です。
そして結語はこうなっています。
「誰もが、誰に対しても、隠すべきことが何もない。誰もが誰かに依存して生きるグローバル時代には、それが一番だ。」
なんじゃこれは。そう思いませんか。けっこうぼくは驚いてしまったのです。何ごとであれ「グローバル」という語句を口にする人は危険というぼくの持論の実例がここにあります。
こんな感じの主張を聞いて、そうだそうだと共感する人がデモをしているとしたら、それはちょっと違うんじゃないかと思うのです。
もともと今回の特定秘密保護法案の前身は、35年ほど前にあったようです。1985年の第102回国会で自民党議員より衆議院に議員立法として提出された「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」というものでした。この通称「スパイ防止法案」は次の103回国会で審議未了廃案となりました。
全野党がこぞって反対、マスコミも大反対をしたからでした。
しかし廃案となったスパイ防止法の一部は、2001年の自衛隊法改正に伴って、一部が自衛隊法に取り込まれているのだそうです。
35年前に廃案となった法案が名前を変えて再登場したというわけです。そしてやはりこんども全員猛反対という状況は同じだといえると思います。たとえば、東京新聞には「秘密保護法案265人反対 憲・刑法学者ら声明」とあり、その全員のリストが載っています。まったく驚いてしまいました。
前の例にならってか、審議未了廃案に追い込めと叫んでいる人は沢山いるようですが、ぼくはたぶん通るのではないか考えています。これはやっぱり世の中・世界情勢の変化というべきでしょう。
ぼくがここで取り上げたいと思うのは、先頃ネットで買った『民間防衛』という本です。フルタイトルは『あらゆる危険から身をまもる民間防衛 スイス政府編』で、原書房からの翻訳本です。ソ連邦崩壊前に各家庭に配布されていました。
実に興味深く、いまの日本にとってはまことに示唆に富んだ記述があると思えました。
戦争による災害時の救急法や安全対策もあるし、原爆被害の解説もあります。
さらには、戦争に負けて外国に占領された時の身の処し方や地下組織の作り方、組織防衛や祖国を回復するための戦闘法などについても細かに記述されているのは驚きでした。
比較的最初の部分に「自由と責任」というタイトルの項があります。こう書いてある。
民主主義は個人の意見を尊重する。これが民主主義の最も大きい長所の一つである。民主主義国家では、個人の私的な言行にまで介入することはない。報道、ラジオ、テレビは自由である。
各人は、平時には少しの困難もなく外国へ行くことができる。各人は、自己の気に入った政党を選ぶことができる。
“自由”が空虚な言葉でない国、自由の内容がちゃんと充実している国では、このようになっている。
しかし、国家は共同社会を守らなくてはならない。そのため、国家は、特にスパイ行為と戦う義務を持つ。スイスには思想に関する罪というものはないが、しかし、われわれの防衛力を弱めようとする連中は、監視しなければならない。内部から国を崩壊させようとする作業が、公共精神を麻痺させる者によって企てられる可能性が常にある。
自由は良い。だからといって無秩序はいけない。
故に、国家的独立の意思を無くしてわれわれを弱体化させようとするイデオロギーに対して、人々の注意を喚起する必要がある。教育者、政党、組合、愛国的グループなど、世論に影響を及ぼす立場にある人々は、すべて、 自らの責任を絶えず自覚しなければならない。
東京新聞に名を連ねた学者先生方は、こうした考えに対して、使い古された通り一遍のスローガンではないことばで、きちんと反論できるのだろうか。
さらに引用してみよう。次は「敵は同調者を求めている」という一文。
ヨーロッパ征服を夢見る、ある国家の元首が、小さなスイスを武器で従わせるのは無駄だと判断することは、誰にも納得のできる話である。単なる宣伝の力だけでスイスをいわゆる「新秩序」の下に置くことが出来ると思われる時に、少しばかりの成果を上げるために軍隊を動かしてみたところで、何の役に立つのだろうか。
(中略)
数多くの組織が、巧みに偽装して、社会的進歩とか、正義、すべての人間の福祉の追求、平和というような口実のもとにいわゆる「新秩序」の理想を少しずつ宣伝していく。この「新秩序」はすべての社会的不平等に終止符を打つとか、世界を地上の楽園に変えるとか、文化的な仕事を重んじるとか、知識階級の耳に入り易い美辞麗句を用いて…・・。
不満な者、欺かれた者、弱い者、理解されない者、落伍した者、こういった人たちは、すべて、このような美しいことばが気に入るに違いない。ジャーナリスト、作家、教授たちを引き入れることは、秘密組織にとって重要なことである。彼らの言動は、せっかちに黄金時代を夢見る青年たちに対して、特に効果的であり、影響力が強いから。
またこれらのインテリたちは、本当に非合法な激しい活動はすべて避けるから、ますます多くの同調者を引きつけるに違いない。彼らの活動は、”表現の自由”の名のもとに行われるのだ。
「外国の宣伝の力」にはこう書いてある。
国民をして戦うことをあきらめさせれば、その抵抗を打ち破ることができる。
國は、飛行機、装甲車、訓練された軍隊を持っているが、こんなものはすべて役に立たないということを、一国の国民に納得させることができれば、火器の試練を経ることなくして打ち破ることができる・・・・。
このことは、巧妙な宣伝の結果、可能となるのである。
敗北主義ーーそれは猫なで声で最も崇高な感情に訴える。ーー諸民族の間の協力、世界平和への献身、愛のある秩序の確立、相互扶助ーー戦争、破壊、殺戮の恐怖…。
そしてその結論は、時代遅れの軍事防衛は破棄しよう、ということになる。
新聞は、崇高な人道的感情によって勇気づけられた記事をかき立てる。
学校は、諸民族との間の友情を重んずべきことを教える。
教会は、福音書の慈愛を説く。
この宣伝は、最も尊ぶべき心の動きをも利用して、最も陰険な意図のために役立たせる。
最後に一つ。これで終わりにします。
「乗っ取り戦争」というタイトルのついたものです。
第1段階: 工作員を政府の中枢に送り込む
第2段階: 宣伝工作。メディアを掌握し、大衆の意識を操作。
第3段階: 教育現場に浸透し、「国家意識」を破壊する。
第4段階: 抵抗意識を徐々に破壊し、平和や人類愛をプロパガンダとして利用する。
第5段階: テレビ局などの宣伝メディアを利用して、自分で考える力を奪ってゆく。
最終段階: ターゲットとする國の民衆が、無抵抗でふぬけになった時、大量植民。
さて、我が国日本はどの段階なのでしょうかね。第3段階を通り越していることはハッキリしているのですが・・・・。