【討論!】「サブカルチャーの現在」を見る

SakuraTitle 桜チャンネルの討論番組「サブカルチャーの現在」を見ました。桜の討論番組は、どれでもそうなのですが、3部に分かれた3時間の長さで、民放やNHKとは違って討論らしい議論が、ゆったりと続きます。これに比べると、長さだけは同じとはいっても『朝生』などは、まるで小学生の口喧嘩に悪のりした、あまり賢くない担任教師が一緒になってふざけているように思えてきます。
 先日の『朝生』では、田原総一郎氏は、「国家は必要ない。公共が必要なのだ」と宣われた。この人は、みんなの本音を引き出したり、議論を盛り上げる為に、好き勝手に心にもない発言をするという自己弁護の逃げ口上を用意しているらしいのですが、如何せんその卑怯さに隠された本音をつい吐いてしまうというお粗末を繰り返しており、その迷走する番組をパネリストが必死に引き戻したり、フォローしたりしています。
 それにしても、国家観のない人にどうして国益を考えることが出来るのだろう。そういう人は、不思議に「生活者」という言葉を使う。どうも国民という表現自体がが嫌いらしいのです。国民も嫌いだし、国家はもっと嫌い。国家がかかわるもの、たとえば原発はアプリオリにキライで原発反対となるのでしょうか。このことについては、別の稿に改めて書くつもりです。
 それにしても、『朝生』はまるで、耄碌老人の介護番組と化しているともいえる惨憺たる状況を示しているようです。先日の番組を見て格別その感を深めた次第。
 
 さて、「サブカルチャーの現在を見る」の最初の部分を少しだけですが紹介することにしました。
パネリスト:
 佐藤健志(評論家)
 上念司(作家・経済評論家)
 杉原志啓(音楽評論家・学習院女子大学講師)
 田中秀臣(上武大学教授)
 古谷経衡(著述家)
 星飛雄馬(著述家・評論家)
 三浦小太郎(評論家)
司会:水島総

佐藤氏「ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義」という著作のある佐藤健志氏は、次のような話をし、大変面白かった。早速この本をヤフーの古本サイトから購入することにしました。



subculture・サブ・カルチャーの定義
 社会における文化活動の中で、規模や影響力の点から「傍流(=サブ)」と見なされるもの。かつての紙芝居、貸本屋。
 反対概念は「メインストリーム・カルチャー(主流文化)」である。
 いずれもその質とは関係がない。

popculture・ポップカルチャーの定義
 社会における文化活動の中で、「発表された時にすぐ、多数の人々にアピールする」ことを目的に作られたもの。
 反対概念は「クラシカル・カルチャー(古典主義文化)」である。これは社会的エリートの存在を前提にしている。
 →「サブカル」は、規模・影響力の両面で、決して現代日本文化の傍流ではない。従って、ポップカルチャーと呼ぶのが適切。
 これは、時流に乗ってさえおればよく、それが最大の目的であって、表現する物の主体性は二次的な物である。
 従って、日本のポップカルチャーは日本を主語とする必要はなく、あるいは主語としてはいけない。
 面白い例を挙げれば、「ルパン3世」。この最初の作品で、作者のモンキー・パンチが面白いことを言っている。「ルパン3世というのは、無国籍的な漫画を作りたいと思って作った。日本人の心を唱うとか、日本人の魂云々とか、日本人ということを強調したことは、どうも好きじゃない。ルパン3世というのは、地球国自由村の住人である」

ぼくもむかし、ルパンの大ファンで、フジコは大好きだったし、大変熱中して見たものでした。ところが、先日WOWOWで放送があってので、録画はしたのですが、どうしたわけか、あまり見る気にならなくて見ないまま消してしまったのでした。なんでだろう。自分が変わったのか時代が変わったのかと不思議だったのですが、なんとなくその理由が分かったような気がしたのです。

このルパン3世は、「わたしを愛したスパイ」を、真似している部分が多いのだが、ジェームス・ボンドは至る所で、イギリスのスパイを主張する。例えば冒頭の雪山の逃走劇で飛び降りときのパラシュートのマークがユニオンジャックなのである。別のシーンで使われるバルーンにもユニオンジャックが描かれている。
つまりジェームス・ボンドは、まぎれもなくイギリスを主語としたスパイなのである。

一方、ルパンを追い続ける銭形警部は明らかに日本を主語としたキャラクターであり、世界中どこでも日本のパトカーに乗って現れる。それはまるで、この作品が書かれた当時(1978年)の日本の企業戦士を表しているといえる。

この作品は、大変完成度の高い作品なのであるが、その理由は次のように考えられる。日本カルチャーは明治以後の歴史の過程において、欧米の文明と衝突しては自分のアイディンティーを取り戻すという巨大な作業の中で、それが押さえ込まれることが多々あった。
ところがポップカルチャーでは、最初から日本を主語にする必要がないのである。これが日本のポップカルチャーのクリエイティビリティの高さを支え完成度を高めたのだが、これは当たり前の話なのである。

このように、ポップカルチャーは日本を主語にしなくていい、という自由度を持っている一方で、いつでもそこへ逃げ込めるというのは、日本のポップカルチャーの限界でもあろう。そろそろその軋轢が表面化してくる時期じゃないかと思っている。

もともと、ぼく(高田)は、漫画オタクでもないし、音楽にしてもクラシックの方が、という人だから、この【討論!サブカルチャーの現在】という番組、3部を通せば3時間にも及ぶ長丁場の動画を見続ける気はなかったのですが、この佐藤氏の明快な語りに眠気が吹っ飛び、最後まで見続けることになりました。
これを受けて、司会の水島さんはこんなことを話しました。

78年といえば、わたしと同級生だった村上春樹という人、あの人には日本というものがない。無国籍文学。ちょうど今の指摘が全部当たっている。

古谷さんはこんなことを話した。
いまや、サブカルチャーはメインカルチャーである。そしてそのメインカルチャーの前衛こそが漫画である。そう思っている。

このあと、大変面白い指摘と分析が続くのだが、もう止めにします。興味のある方は直接見てください。
でも思いつくままに挙げてみると・・・。
「宇宙戦艦ヤマト」が戦うどこかの敵の星の司令官が、あの南雲艦長とおなじナグモとなっているとか。その他もろもろ。
戦後封じられた戦争や戦闘の描写が、劇画では許されていた。

AKBはデフレ時代が生んだポップカルチャーとしてのシステムである。
丸刈り事件は、許されない一線を越えたものであった。自発的であったとしても、それを公表してはならなかった。

日本の漫画が、世界を席巻したのは、このような無国籍故のどの国にも焼き直せる容易さがあったのではないかという指摘もありました。

興味のある人の為に、それぞれリンクを張っておきます。

1:31/3【討論!】サブカルチャーの現在[桜H25/2/23]




22/3【討論!】サブカルチャーの現在[桜H25/2/23]




33/3【討論!】サブカルチャーの現在[桜H25/2/23]