<いやさか>を乾杯発声に

 テレビで、あの銭形警部の声優納屋悟郎氏が80なん歳かで亡くなったと報じていた。銭形警部のあの声はしっかりと耳が覚えているが、その声の持ち主の顔は初めて見た。およそ声と顔がマッチしないことに驚いた。
 ルパン3世は大ファンだったから、テレビでは熱心に視聴したものだった。最近になって、主人公のルパンは、地球国・自由村の住人であって、祖国を持たない男である。そういう男を自分は描きたいと作者のモンキー・パンチが語っていたことを知った。ゴルゴ・サーティーンもその無国籍性において同じであるといえる。
 これは、考えてみれば、日本アニメの独自性ともいえることであったし、それはまた祖国を語ることが悪ではないにしても、ある後ろめたさを感じさせるような戦後の時代に見事に適合していたのかもしれなかった。
 万世一系を貫く天皇制を護持して、ようやく国体を守ることは出来たとはいえ、歴史上初めての敗戦のショックは大きく、大東亜戦争を支えた八紘一宇の思想や天皇陛下万歳思想は、口にするのさえはばかられる悪とされた。大東亜戦争は軍部が起こした侵略戦争で、その結果日本国民が被った無差別爆撃である東京大空襲での10万人の死者や、広島・長崎での30万人を超える死者は、自分たちが悪かったのだ、一億総懺悔が必要なのだ。という思想・論理が日本人によって組み立てられ、「過ちは繰り返しませんから」という銘碑に刻まれることになった。
 この思想の流れが、いまなお生き続けていたことが、近年の日本海周辺の情勢の緊迫化によって顕在化したと考えられる。
 
 天皇制が残されたのは、もし天皇なり天皇制に手をつけたら、間違いなくゲリラ戦が発生し、連合軍は大きな被害を覚悟しなければならないと考えられたからであろう。あの当時、日本はとてつもなく強い国であり、アメリカと戦える唯一の国だったのである。当然、ボツダム宣言は、無条件降伏などではなくて、降伏の条件を列記した文書であった。その条項の一つに、軍隊がその時点で無条件に降伏することが記されていたに過ぎないのである。
 これを、無条件降伏と強引に言いくるめ、国際条約・ジュネーブ条約に書かれた降伏国における占領軍の行為の限定を無視して、不法な条約違反を行ったのは、GHQであった。
 
 サンフランシスコ講和条約で、独立を勝ち得た、あるいは占領状態を解かれた、もっといえば、休戦状態がおわった日本は、ここですべての立て直しをすべきであった。しかしそれをするのは難しかった。
 先に述べた、無条件降伏に関しては、国会において何度も問題になり、その都度政府与党は、「無条件降伏であった」言い続けたのであり、これはサンフランシスコ講和条約後も変わることはなかったのである。
 靖国問題、竹島問題、北方領土問題などは、つねに中国・韓国からの圧力と呼応する日本内部の日本人、日本国が滅ぶことは望まないにしても、弱小化してもかまわないと考える日本人が存在したからだと思われる。彼らは、天皇制に反対であり、国家とは個人に対立するものであって、そういうものを成立させている国境がなくなれば、個人が自由を謳歌できるユートビアが到来すると考える。
 国家のイメージを持たない彼らは、戦うべき明確な対象がなく、戦いにのみ意義を見いだした。「明日のジョー」があこがれのイメージだった。

 彼らは、まず日本をソ連の侵略から守れるだけの防備能力を持った国にする安保条約に反対し、安保闘争を組織し大国民運動を繰り広げた。戦争に負けてうちひしがれて帰国した大量の復員兵に大量の子供が出来た。いわゆる団塊の世代である。
 この世代の親達は、まさに180度の変換を遂げた価値観の中で、筋の通った道徳・倫理を教えることが出来なかった。
 ぼくは、中学の入試面接のことを思い出すことがある。出来たばかりの私立の中学・帝塚山中学での面接だった。面接するのは、森磯吉校長だった。
 同席した親父は、どのような子供に育てたいかと問われて、緊張した面持ちで「善良な市民にしたい」と答えた。この言葉は、やけに新鮮に響き、だから今も鮮明に覚えているのだろう。
 親父は、召集令状が来た4日後に日本が降伏したので、兵役は免れ、敗戦後は土地の小学校の校長を務めていた。しかし戦時中は、青年学校の教員を務め、多くの青年を戦地に送った。山向こうの陣屋で、参勤交代ではお殿様の宿だったという弓の指南番から沢山の弓矢を持って嫁いで来た祖母に育てられた父親は、根っからの侍だった。先祖は、あの後醍醐天皇を助けた楠木正成の流れを汲むものであるといつもぼくに言っていた。
 ぼくは厳しいスパルタ教育を受けて育った。その父親が「善良な市民」などと言ったのだ。おそらく戦後に猛烈な勉強をしたのだと思われる。戦後民主主義の学習が教員にも課せられたと思われる。その頃、教育界ではアメリカかぶれの「コア・カリキュラム」なる教程が流行であったのだが、親父が「ココアキャラメル」の看板が「コア・カリキュラム」に見えたと話していたのを覚えている。
 戦時中、日本国民はすべて、天皇の赤子だった。それが、地球市民に変わったということだったのだろう。
 後に続く団塊の世代は、アニメを読むことによって、国際化し地球市民化し国籍を喪失していったのかもしれない。

 なぜこのような話をしたかといえば、当時の日本の大人はみんなこうした混じり合うことのない二つの考え方を持っていた。あるいは、戦後民主主義の思想を取り込んだつもりであっても、むかしからの日本人の思想・考えは依然として存在していたといえるだろう。
 そうでなければ、あの安保闘争の大運動大動員は理解できない。大半の学生達は、その親達が持っていた敗戦の悔しさや、アメリカへの憤りを受け継いでいた。それが、安保反対の熱情となったのだろう。
 この運動を指導したのは、ソ連の手先のコミンテルンであったり、中共の工作員と意を通じる集団であったし、世界革命を夢想する人たちだった。
 彼らは、その後も生き続け、自民党を倒すという合い言葉で結集して政党を作った。それが民主党だったといえるのではないだろうか。

 民主党には綱領がなかった。しかし不思議なことに党旗はあった。全学連のセクトは旗を好んだからではなかろうか。日の丸を二つ重ねるという、不愉快というより気分が悪くなるようなイメージの旗を作った。さらに、急ごしらえで党旗を作るために二枚の国旗を切り裂くという、信じられないようなことも平気で出来るということも示したし、自覚しないまま無邪気に国家を喪失している人であることも示してみせた。
 やはり、国家というイメージはないのだろう。国益に関してなおざりなのも理解できることである。あの考えも思想もバラバラというよりないといっていい、有名司会者がいうように「国家は必要ない、公共が重要」なのである。
 天皇制に反対ではないにしても、平気で「天皇にインタビューしたい」などという。「外国からの賓客は呼び捨てで、天皇には敬語を使うのは間違ってる」などという若者と同列の不可思議な年寄りである。彼が、女性宮家論を指示したのは納得がいく。それは、天皇を消滅に導く論だからである。
 「国」なり「国家」という言葉自体を好まない。そうした人たちは、「国民」も好きでないから「生活者」という言葉を使う。
 ようやく、民主党の綱領が出来たという。読んでみて驚いた。失礼ながら、これは中学生の作文程度ではないか。政権を奪い返すという条文があって驚いた。そんなことが、綱領になるのか。はっきりしているのは、日本という国の明確な国家像がないことである。数人か十数人か知らないが、てんでに文を書き、それを並べただけなのではないだろうか。そして、やはり、そこには「生活者」があった。
 それにしても、大震災や原発事故が起こり、この政党集団の正体を炙り出すことになったのは、まことに幸運であったし、その後、安倍首相が誕生したのも幸せな偶然のようにも考えられ、まさに神風が吹いたとしか思えない。
 この変化が起きなかったらどうなっていたのだろうと考えると、背筋が凍る思いなのはぼくだけではないと思うのだ。

TakedaTuneyasu 先日、誘われて「竹田研究会」なるものに出席し、「古事記」の講義を聴いて来た。講師はあの有名な、明治天皇の玄孫・竹田恒泰氏である。「たかじんのそこまでいって委員会」で、おなじみの人も多いと思う。
 この研究会は、全国各地16カ所にあって、竹田氏は全国を飛び回っておられる。彼がこの研究会に力を入れる理由は、次のYoutubeで明瞭に語られている。
竹田恒泰氏が語る 日本を嫌いな日本人が半分以上(16分)

 ぼくは思うのだが、戦後の日本が、敗戦によって奪われたものは沢山あった。それらを取り戻して、日本が普通の国になることを阻んだのは、中国や韓国だった。それはこうした尋常でない国にとって、それが国益だったからである。アメリカや欧州もまた日本が戦前のような強い国になることを望まなかった。
 現在のアベノミックスへの対応に見られるように、日本の立ち直りは、中国・韓国に取っては悪夢なのである。欧米にとっても、日本が強くなるのは困るのである。
 だから、これにブレーキをかけ潰そうとする。その方法としては、日本内部の協力者に頼るのが一番いい方法である。そういう人はマスコミや学者に沢山いて、選択に事欠かないようだ。
 ぼくたちは、そういう人たちを、名が知れているからとか、東大の教授だからとか、説得的な話し方をするからなどという表面的な理由だけで、信用してはならない。いいチェック法はあるのだろうか。次の倉山満氏の国際的な論争の常識は参考になるだろう。
 倉山満氏は、国際的に論争する時の常識あるいは国際法の初歩をこう説く。
1.疑わしきは自国に有利に。
2.ほんとに悪いことをしたんだったら、なおさら自己正当化せよ。
 外交官とか学者とかは、国際社会に出て行ったら、そういう風に国益を主張するのが常識なのである。思い出してほしいのだが、中華人民共和国は尖閣問題で、この常識を徹底的に守っている。日本側は逆だった。だから日本のために3つ目の原則が必要なのだが、それは悪いことをしてないのに謝るなんてのは論外である。
 この3つのことを分かっておれば、本物の外交官・政治家・学者を見抜くことが出来るし、偽物を見破れる。

 偽物を見破るぼくの方法は、その人が国家観を持っているかどうかということ。でもこの判定はなかなか難しい。まあ単純にいって「生活者」を使う人はほぼ駄目といっていい。

 話は「竹田研究会」についてなので、これまでは前置きでした。
 国を弱体化する方法は、その国の根っこを潰せばいい。つまり歴史を消せばいい。ということで、GHQは「日本弱体化プログラム」に従って、歴史を抹消したし、考古学に切り替えることで神話を教えることを封じた訳です。そこで、竹田恒泰氏は、古事記講読を日本中で行っている訳です。

 さて、この200人ほどが参加した「奈良竹田研究会」の後、近鉄奈良駅ビル内の中華料理店で、懇親会が行われた。参加者は30名ほどで、立食パーティだった。
 研究会では、最初に全員起立して、「君が代」の斉唱があった。
 懇親会では、冒頭の乾杯でのかけ声は、<すめらみこと>という発声で、全員が<いやさか>と唱和した。
 <すめらみこと いやさか>。すめらみことは天皇のことであり、いやさかは万歳である。
  一緒していたともは、この言葉自体を聞いたのは初めてだったので、少し戸惑い、なんか秘密結社みたいと言ったが、ぼくは、これはいい、なかなかいいと思った。

 戦後民主主義教育を受けたぼくには、抜けがたく<日の丸>アレルギーと<天皇陛下万歳>アレルギーがあったと思われる。
 <日の丸>のほうは、若くして登山遠征で外国に赴き、そこの大使館などに翻る<日の丸>を見て、感激した時に吹っ飛んだようだ。
 一方<天皇陛下万歳>思想は、頭では理解できたとしても、なにか違和感があることは否定できない。<万歳>自体、今も嫌われており、だからそういう集団では、代りに<頑張ろう>などと拳を突き上げている。
 しかし、<いやさか>は何とも新鮮であった。
 乾杯する時に、日本語では「乾杯」といい、中国語では同じ字で「カンペー」という。これは面白くないと感じられる。「いやさか」のほうがいい。
 今度外国人と乾杯する時には<いやさか>を教え込み、そういって乾杯することに決めた。この<いやさか>を世界に拡散させようと思っている。