憲法は国の形を定めるもの

 じつはずっと気になっていた。
 だれもかれもが、どの議員もどのコメンテーターも「憲法は権力を制限するもの」あるいは「政府の力をコントロールするもの」という。
 なんかおかしい。ほんとにそうなんか。自動車保険や生命保険の約款じゃないだろう。そんな風に感じていた。

クイズ質問をする小西洋之議員

クイズ質問をする小西洋之議員


 この馬鹿の一つ覚えみたいな台詞は国会の予算委員会の質問で、多くの議員が馬鹿みたいにあるいは誇らしげに唱えるのを聞いた。
 さきごろ、小西洋之という民主党議員が、憲法の条文の内容や憲法学者の名前を問いとするクイズ質問を、安倍総理に指差しを繰り返しながら、訳知り顔で執拗に行い、大方の失笑と顰蹙・怒りを買ったことは記憶に新しい。
 その後、Wikipediaの小西洋之の項に、多分自分で書いたと思われるのだが、<安倍総理は憲法学の第一人者である「芦部信喜」などを知らず、改憲を主導しながら憲法を理解する勉強すらしていないなどを明らかにした」としている>などとと記している。(質問の動画はYoutubeに多数のアップがあるのでご覧下さい)
 ぼく自身かなり腹が立ったので、調べてみることにした。そして、いろいろと興味ある歴史的事実が分かって来た。

魔物宮沢 占領軍の占領規定的色彩をおびた日本国憲法は、マッカーサーの命を受けたホイットニーとケージスによって起草されたのですが、ここに日本の憲法学者を付け加えなければなりません。それは東大法学部の宮沢俊義教授でした。彼は敏感にホイットニーとケージスが人権を重視していることを察知してすり寄り、地位を得て行きます。そして、いわゆる東大憲法学を作り上げ創始者となります。
 憲法はそれ自体に改正条項がありますが、基本的な部分は変えられないとする考えが普通です。日本の場合、その成立時には諸外国も大いに評価した立派な帝国憲法がありました。
 これをいかに不都合なくマッカーサー憲法にすげ替えるかは、学問的にも大きな課題でした。
 宮沢教授は、日本には8月に革命が起こったので憲法が変わったのだといういわゆる「八月革命説」を唱えてこれを切り抜けました。なんとも乱暴というか破廉恥というか。
 そして、人権を憲法の上におく学説を作り上げます。
 「憲法は人権のためにある」という訳です。
 「人権は永久に不滅です」と唱えて宮沢東大憲法学が確立します。「人権は神聖にして犯すべからず」となりました。
 福祉や人権尊重は国家を安定して統治するための手段であるのですが、この国際常識が東大憲法学では逆転して、人権こそ絶対の目的となりました。
 宮沢教授は、この手段と目的の倒錯を「コペルニクス的転回」と名付けました。そして高らかに宣言しました。「立憲主義とは人権の実現です!人権は憲法の前にあり、憲法の上にあるのです」
 でも少し変だと思いませんか。
 いくら変でも、司法試験にもその他の試験にもこの考えが問われる訳だから、日本の公務員の頭は全て、少なからずおかしくなっているのかもしれません。

 人権は個人個人にありますから、その衝突が起こります。その時はどうするか。宮沢教授は解決を「最高裁にゆだねる」としました。最高裁は「法の番人」となりました。この「法の番人」は宮沢教授の造語だそうです。
 絶対的な権力を振るうGHQの権威を背景に、宮沢教授の東大憲法学が支配的になり、彼は死ぬまで学会の最高権威でした。 
 この宮沢教授の愛弟子で、東大憲法学を完成させたのが芦辺信義・東大法学部教授です。あの不埒男・小西議員が「知ってますか」と安倍総理に迫り、知らないのかとあざ笑ったその人です。
 芦辺教授のやったことは、「最高裁が憲法判断しない理由付け」でした。
 専門用語を駆使して、宮沢教授の東大憲法学の穴を埋めて行きました。宮沢教授が創った建て前を弟子の芦辺教授が整理し、そして東大憲法学を中心とする日本国憲法学が完成したのです。
 宮沢は人権を絶対至上価値とする東大憲法学を創り、人権の相互衝突が起こったときは、最高裁にゆだねるとしました。そして弟子の芦辺が「最高裁は憲法判断できない」とする東大憲法学を完成させたのでした(統治行為論)。
 ぼくはいま分かったような気がしています。昨日報じられた水俣訴訟が何故50年も掛かったのかが。

 日本が強い国、自虐史観の国から脱却するには、予想より遥かに長い年月がかかるかもしれません。なぜなら、日本の官僚の頭から東大憲法学的発想がなくなる必要があると思えるからです。
 裁判官や官僚や内閣法制局の頭が切り替わるのは容易ではない。ほとんど無理かもしれません。
 長い年月がかかる。憲法も繰り返し何度も変えていく必要があるかも知れないと思います。

竹崎長官 明日は「憲法記念日」ということで、改憲について問われた最高裁の竹崎長官は、「憲法は国の形や構造を定めているもので・・・」だからその改正には広く国民の議論にゆだねる必要があると答えていました。
 これは嬉しい驚きで、始めて胸にすっと落ちる言葉を聞いたように思いました。
 そうなのです。憲法は人に人格があって哲学・思想があるごとく、国の国柄・国の形を規定するものの筈です。
 憲法=Constitutionというのは、構成、構造、気質などという意味があります。
 個人の権利や人権の問題に関わる裁判でのいまの状況を解決するためには、東大憲法学の呪縛から解き放たれる必要があると思えるのですが、そんなに簡単ではないと考えられます。
 こんな記事を見つけました。
 「朝日」を操る魔物の正体
 いずれにしろ、この憲法探求で、全く知らなかった日本の別の闇をかいま見たようで、大変勉強になりました。