日本国憲法、つれづれなる雑記

 最近のマスコミは憲法に関する話が多くなっているようです。そして、どこでもまるで判でも押したように同じ内容の話が流れています。
 96条つまり2/3を1/2にして改正のハードルを下げるのは危険だ。安倍総理が目指しているのは9条の改正だ。だから9条を議論する必要があるのに、それが不十分のまま96条を取り上げるべきでない。
 だったらどうして、9条を議論のテーマにして、突っ込んだ議論をしようとしないのでしょうか。全く不思議です。
 
 もう一つのどこもかしこもの言い草は、「憲法は国民が政府を縛るものなのに、自民党の案は政府が国民を縛るものになっている」というもの。
 たしかに、むやみに縛ってもらっては困ります。人権や自由は保障されるべきです。現行憲法にははっきりそう唱ってある。
 では、自民党案ではどうなのか。それで調べてみました。PDFで書いた対照表がありました。少なからず、がっかりしました。現行憲法の僅かな手直しに過ぎない。もうちょっとましなものが創れなかったのか。そう思いました。まあ、現行憲法をあがめ奉っている人にも忖度して、字面いじりに止めたのかもしれませんが。

 マスコミがどう表現しようと、コメンテーターが現行憲法の成り立ちに関して、どう独断的で間違った(とぼくが思う)意見を述べようと、それはすべて護憲につながる文脈に向かって行くことになるのは間違いありません。それなら、はっきりと今のままでいいと言い切ればいいではないか。なんだかんだと、持って回り、充分な議論が必要ですなどと結論づける。議論がひつようなら議論の素材を並べなさい。そうもしないで、何をぶつぶつ言ってるのか。ほんとにイライラして来ます。

 自民党案を調べた結果、みんながしきりに唱える「政府が国民を縛る」とされているのは、多分第3章の国民の権利及び義務の13条だと思われます。そういえば、あの不届きものの小西洋之議員が、その内容を安倍総理に問いつめていたのは、13条だったようです。自民党案では13条はこうなっています。
==すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。==
 これのどこが問題なんだろう。そこで現行憲法はどうなってるのかと見てみます。
==すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。==

 同じじゃないか。よく見比べると、なるほど、この部分が違ってました。「公共の福祉」という限定条件が、自民党案では「公益及び公の秩序」になっています。
 「自由」とか「人権」などというものは、必ず基本的に条件付きのものです。個人がてんでに「自由」を主張したらその衝突から混乱が起こります。従ってその条件を国が定めるのが法律でその基本になるのが憲法だと思います。憲法は国が安定に存在するための決まりを定めたものという側面があり、「自由」や「人権」を達成するために存在するものではありません。
 人民主権の概念を打ち立て、フランス革命などにも大きな影響を与えた、ジャン=ジャック・ルソーもこういっています。「完全なる自由は、他人の自由を侵害する自由もあるから最も不自由な自由である」と。

 素人のぼくが考えても、自由や個人尊重などの人権の制限条項として「公共の福祉」だけでは、不十分な気がします。この部分はぼくには、現行憲法の瑕疵と言ってもいいような気もします。
 にもかかわらず、この部分の変更でもって、政府が国民を縛るなどと喧伝するのは、悪しきプロパガンダともいえるでしょう。前稿で述べた、宮沢俊義の創った「人権」を憲法の目的とする東大憲法学の理屈がまかり通っているということなのでしょう。
 憲法は「権力から国民を守るためのもの」という考えはルソーの思想に根ざしていると考えられます。ルソーは君主主権ではなく、人民にこそ主権が存すると唱えました。この考えがフランス革命で用いられ、人民主権の憲法が創られました。
 フランス革命は美化されているようですが、それは破壊をもたらしただけのものだった。ルソーも女に子供を産ませては、孤児院に放り込むようなひどい男だったともいわれています。
 今日では、エドマンド・バークなどの保守主義の再評価が行われ、フランス革命は「理性や人権の名のもとに大量殺戮を行ない、ロシア革命に至る「計画主義」の端緒となった大規模テロリズム」ということになっています。
 伊藤博文が、憲法を学ぶべくヨーロッパを訪れたのは、フランス革命直後のことで、彼は人民主権の一面をつぶさに見たと考えられます。

 フランスに限らずアメリカでも大量殺戮(南北戦争)の後に、それを行った側によって憲法が創られました。考えてみれば日本だって同じことだったといえるかもしれません。大阪・東京大空襲そして広島・長崎の原爆、とてつもない国際法に違反した無差別殺戮の後に憲法がつくられました。ハーグ条約は被占領地の法律に占領軍が手を付けることを禁じています。マッカーサーはこの禁を無視し、国会で承認させ、発布の詔勅を発せさせました。
 流れとしては、講和条約が取り決められた時点で、憲法が創られるのが普通のことです。
 ところが、日本では占領地条項として憲法が創られ、れっきとした憲法典としての帝国憲法の存在を消すことは法理論的に困難でした。そこで、ポツダム宣言によって日本には革命が起こったので、主権が天皇から国民に移ったとするいわゆる「8月革命説」、GHQを喜ばす考えが、東大の宮沢教授によって創られた訳です。
 マッカーサーは、30年ぐらいは日本を占領したままにしようとしていた。だからあんな憲法を創らせたという説があります。朝鮮戦争という想定外のことが起こり、軍隊が必要になりました。そして、彼は気付きました。満州国を認めておけば、ソ連・中国に攻め込まれることもなかった。だから、大東亜戦争(アメリカでは太平洋戦争)は、日本にとってはやむを得ざる自衛の為の戦争だったと、アメリカ議会でそう証言したのです。

 テレビのコメンテーターや、テレビ局の論説委員などという肩書きの人が、よくこういうことを言います。
 日本は無条件降伏をして、主権が天皇から国民に移りました。
 これって、前提も結論も大間違いです。でもテレビの前の人、10人が10人とも、あるいは9人くらいが間違いだと思わないでしょう。でもそう教わって来たのですから・・・。
 まず、無条件降伏ではない。明白な理由は、第5条に、以下の各条件を速やかに実行のことと書いてあります。その条件の一つが、帝国陸・海軍が速やかに無条件降伏を行い武器を差し出すことでした。
 次に、天皇は君主でもないし国王でもない。天皇に主権などなかった。大東亜戦争はフランス革命とは違います。アメリカのように謀略と殺戮の末に成立した国とは、成り立ちが全く異なります。
 ではどう言えばいいのか。
 日本は、降伏して、新しい憲法では国民に主権があることになりました。なんか、しっくりしません。
 GHQが禁じた呼称を、主権回復した後も回復していないからなのではないのでしょうか。
 こういえばまあいいような気がします。大東亜戦争に敗北し、ボツダム宣言を受諾した日本は、新しい憲法で象徴天皇と主権在民を定めた。
 
 大虐殺の後に憲法が出来たというと、イギリスには虐殺などなかったという人がいるかもしれません。そうです、ありませんでした。だから憲法もありません。文書としてあるのは、条例や裁判の判例集などで、不文律で国は運用されています。
 日本が憲法を創る必要に迫られたのは、列強の仲間入りをするために必要だったからです。しかし、欧米とは国の形も国柄も違います。なんと言っても万世一系の天皇がいらっしゃる。この権威としての天皇は、歴史的に常に権力闘争の埒外にあって、それが故に外国勢力の侵略を不可能にして来たともいえます。
 伊藤博文は、帝国憲法を創るにあたって、最も苦心したのは、この世界独自の国の形(国体)を一般的・国際的な憲法の中にいかに埋め込むかという点であったと考えられます。

 欧米の憲法には、国民が守るべき道徳的規範、徳目の記載はありません。彼らはキリスト教という宗教があるため必要でなかったとされます。明治政府は、帝国憲法とともに、この国民が守るべき徳目条項として教育勅語を発布しました。教育勅語は、帝国憲法を補完する意味で制定されたのでしょう。ところが、GHQの廃止命令によって廃止されました。
 敗戦このかた、この教育勅語に類するものはありません。
 
 最近面白いものを見つけました。「逆・教育勅語」といいます。難しい話ばっかりで肩が凝ったかもしれません。この「逆・教育勅語」で、笑ってください。
 教育勅語の逆を命令文で書くとこうなります。
一、親に孝養を尽くしてはいけません。家庭内暴力をどんどんしましょう。
二、兄弟姉妹仲良くしてはいけません。兄弟姉妹は他人の始まりです。
三、夫婦は仲良くしてはいけません。じゃんじゃん浮気しましょう。
四、友達を信じてつきあってはいけません。人を見たら泥棒と思いましょう。
五、自分の言動を慎んではいけません。嘘でも何でも言ったもの勝ちです。
六、広く多くの人に愛の手を差し伸べてはいけません。我が身が第一です。
七、職業を身につけてはいけません。いざとなれば、生活保護があります。
八、知識を養い才能を伸ばしてはいけません。大事なのはゆとりです。
九、人格の向上に努めてはいけません。何をしても個性と言えば許されます。
十、社会のためになる仕事に励んではいけません。自分さえよければいいのです。
十一、法律や規則を守り社会の秩序に従ってはいけません。自由気ままが一番です。
十二、勇気を持って国のため真心を尽くしてはいけません。国家は打倒するものです。

なんか冗談とも思えない状況が思い浮かびませんか。

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