亡国のリベラル派知識人の一人・上野千鶴子先生(承前)

前稿の「プライム・ニュース」の記事で取り上げた古市憲寿くんは、『絶望の国の幸福な若者たち』という本も書いている。その他にも何冊かの上梓がある。
この本のアマゾンのレビューには79の書き込みがあり、その内訳は五つ星21、四つ星19、三ツ星11、二つ星11、一つ星17となっている。まあ好悪相半ばするという結果になっている。適当に読んで見た。そして、こんな風に評価が二分すること自体、色々な意味で、日本の現在の状況を表わしているといえると思ったのだが、その一つに次のような記述があった。

「この著者は、ポエム(詩)をアピールしてAO入試(小論文・面接だけ)で慶應大の環境情報学部に入学。その後、東大院だが、実は院に関して言うと、東大院は定員が日本で最も多いので、かなり入りやすい。難関試験を突破しているわけではないのである」「彼は慶應義塾大学SFC研究員と称しているが、あくまでも「訪問研究員」に過ぎない点には注意である。SFCが実施する研究に参加する目的で受け入れられている研究者に過ぎず(あくまで研究所の訪問者に過ぎず)、慶應との雇用関係にはない」

「AO入試」って何なんだろうと調べてみたら、慶応が最初に始め、各大学に波及した、学力テストを排して論文と面接だけの入学選抜方法なのだそうだ。すぐに著しい学力の低い学生が入学することが問題となって、いまは廃止される傾向にあるという。前稿で紹介したKAZUYA_CHANNELでは「偏差値が高く、偏左値も高い」と斬っていたが、「偏差値は低く偏左値は高い」と訂正する必要があるようだ。
彼の別の著書『僕たちの前途』のレビューには「彼は慶応大SFCに詩をアピールしてAO入試で入学しているが、本書を読むたびに最低限の学力試験は必要だと感じてしまう」というのもあった。

「戦争になったら逃げる」と言ったことは、前稿で紹介したが、『絶望の国の幸福な若者たち』の中でも「逃げる」と書いているらしく、次のようなレビューがあった。
「戦争になったら逃げる」「元日本人たちが、日本ではないどこかに行っても幸せに暮らしていてくれればいい」
このお花畑思考にはウンザリ。いったいどこへ逃げるのか聞いてみたいものだ。絶望の程度が、よその国ではもっと強烈だと思いますが。「ダメになりそうなら逃げればいい」という思考でやっていたら、本当に「絶望の国」になります」

ここで、ふと考えたのだが、彼の考えって中国人民解放軍の幹部の考えと同じではないか。人民解放軍の幹部のほとんどは、不法とされる外国人パスポートを所有しているという。国がヤバくなったら、脱出するためで、家族はすでに外国に居住させており、お金もすべて外国の銀行に入れている。
香港返還が近づいたとき、大量の香港・チャイニーズが外国に移住したのはよく知られているし、支那事変の時にも同じことがあった。
自分にとって大切なのは家族や親族だけであって、決して国や国家ではないというのが、昔からのチャイナ人の考えだったことは、歴史上で明白に示されている。

「プライム・ニュース」キャスターの反町さんは、必死に「そうはいっていても、ほんとは逃げませんよねえ」と言っていたのだが、ぼくも、彼が日本人のDNAを持っておれば、決して逃げたりはしないのではないかと思うのだ。
かつて阪神大震災のとき、ぼくの友人のご子息は、六甲山頂のホテルで、麻雀をやっていた。突如の地震は彼の身体を壁に叩き付けるほど強烈だったという。
麓にいる両親が大丈夫かと、彼は大急ぎで山を下った。家に向かう途中で何人ものけが人に遭遇し、医師である彼は、通り過ぎるわけにはいかず、救助し応急処置をした。両親のことは気がかりだったが、けが人を知って知らんぷりは出来ず、家に着いたのは昼前だったという。
この話を聞いて、こうした危急存亡時の行動は、人間のDNAに刷り込まれているのではないかと、ぼくは思った。
神戸の暴力団は、炊き出しを行った。それを聞いたアメリカの記者は、暴力団だったらそういう時は略奪をやるのではないかと言ったという。それを聞いたぼくは、このDNAは各国共通のものではなく日本人特有のものなのだと思い直したのだったが、東日本大震災や原発事故を経たこの頃になって、その思いはさらに確固としたものとなっている。

古市憲寿くんの著書に、『上野先生、勝手に死なれちゃ困ります 僕らの介護不安に答えてください (光文社新書)』というのがある。この本の帯に、「これで安心して死ねるかしら」に対して、残された教え子・古市憲寿が待ったをかける、とある。
なるほどそうなのか。上野千鶴子の教え子だったのか。ぼくはおおいに納得したのだった。
この、その言説を聞くほどに吐き気をもよおすほどの女性について、以後書こうと思う。

MissUenoリベラル派の代表的フェミニストである。日本学術会議会員で、東京大学大学院人文社会系研究科教授だったが、いまは退官して立命館大学大学院先端総合学術研究科、特別招聘教授となっている。
ベストセラーで、80万部近く売れたという『おひとりさまの老後』でこう書く。
<「おかあさん、ひとりになって心細いでしょうし、火の始末とかも心配だから、こちらへ来ていっしょに住んだら?」という子どもからの誘いを、わたしは”悪魔のささやき”とよんでいる>
シングルライフを唱え、子供を持たない彼女は、親を気遣う子供の心情を「義理や意地」と決めつけ、同居の誘いを「悪魔のささやき」と揶揄嘲笑する。

以後アトランダムに、彼女の著書から抜き書きを示してみることにする。
<パンティーと天皇制。両者には奇妙な符号がある。どちらもワイセツなものにフタをしてかくす働きをする。逆に言えば、そこにあれば何でもない「裸の王様」にタブーというフタをすることで、かくされたものの価値を高めようとする>『スカートの下の劇場』(河出文庫)
<したいときに、したい相手と、セックスする自由を。したくない時にしたくない相手とセックスしない自由を。そしてどちらの自由を行使してもどんなサンクションも受けない権利を>『発情装置』(筑摩書房)
この「性の自己決定権」とやらを説く文を、潮匤人は「汚物のごとき悪臭が漂う。上野氏が暮らす世界には倫理も道徳も廉恥もない」と評した。

上野編『戦後思想の名著』(平凡社)では、「上野千鶴子は八十年代前半に欧米のマルクス主義フェミニズムをいち早く日本に紹介したフェミニストの一人」と紹介している。
東大・上野ゼミの「ナショナリズムとジェンダー」のテーマの一つは「なぜ性奴隷が誕生しなければならなかったのか、そこから見えてくるものはなにか」だった。東大では慰安婦を性奴隷と教えるらしい。
心ある人は「羞恥心を喪失したフェミニスト」と眉をひそめ、半ば無視する。しかしマルクス主義フェミニスト・上野千鶴子はひるまず、こう書いた。
<おまんこ、と叫んでも誰も何の反応も示さなくなるまで、わたしはおまんこといいつづけるだろう>『女遊び』(学陽書房)

上野千鶴子氏を一気に有名にした事件があった。
2012年12月、社会学者の上野千鶴子さん(64)が朝日新聞の人生相談で、男子中学生の性処理問題について触れ「熟女にやらせて、と頼めばいい」などと回答し、読者を仰天させている。自分も若ければ、男子中学生の「筆おろし」をしたいそうで、「正気なのか?」「淫行をお勧めしてる?」などという意見が「ツイッター」で一気に広まった。」
上野さんは回答で、男性というものは性欲に振り回される生き物だから同情に堪えない。でも いまは、性欲がピークなはずの男子高校生は、女性と付き合うのは面倒と言っている、とした上で、「まず覚えていてほしいのは、異性とつきあうのはめんどくさいってこと。友達になるだけでめんどくさいのに、パンツまで脱いでもらう関係になるのはもっとめんどくさいです」
と説明し、この「めんどくさい」ことを避けてセックスする方法がある、と伝授。
「経験豊富な熟女に、土下座してでもよいから、やらせてください、とお願いしてみてください」
これには、ネットも炎上したようだ。

下ネタ話が得意と自認する彼女だが、そうした話をするには秀でたセンスと表現力と素養が必要だ。そのすべてを欠く彼女は、悪臭を放つ言辞をまき散らし、十人のうち一人くらいは喝采する人もいるかもしれないが、残りは鼻をつまみ、横を向く。
彼女の不潔なリベラル思想は「わたしは外国が好きだ」という。
<選んで生まれてきたわけでもない国に、たまたま同じように所属しているからといって、どうして気持ちも通い合わない人と運命をともにしなければならないのだろう>(『国境お構いなし』朝日新聞社)

この著名なリベラル派あるいはリベラル教の教祖ともいえる人が、流してきた害毒は計り知れないのではないか。そんな気がしてしまう。そう考えれば、あの古市くんも年若い被害者なのではないかとも思えてきたりするのだ。
まだ若いのだし、もっと勉強して、でも方向が重要で、間違った方向で勉強したらもっとおかしくなるのだが、年がいったら、考え直すこともあるかもしれない。
レビューの一つに「50才になったときに読み返すと出版したことを後悔なさるでしょう」というのがあったが、もっと早く気付いてくれることを願っている。

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