『風立ちぬ』を見て

PosterOrg「風立ちぬ」を見ました。
なるほど、これではベネチア国際映画祭で賞が取れなかったのも当然と納得できました。「千と千尋の神隠し」を見た時は、これは賞を取るだけのことはあると思いました。
昔はそうでもなかったのですが、いつほどからか、彼の作品はどうもしっくり来ないと感じ始めるようになっていたのです。どうしてなのか分からなかったのですが、数年前からたぶん3.11の後ぐらいから、その原因が分かってきたのです。
彼の映画には、日本がないのです。たしかにそこに描かれる自然は日本の山の風景です。それは、ぼくの瞼にはっきりと残っている北アルプスの黒部五郎岳と薬師岳の間の高原状の上の岳周辺の風景だったりして、なんとも引き込まれそうに感じたりしたものです。
しかしその自然描写は別にして、登場人物は日本人ではなくて国籍不明です。彼の作品の登場人物は形は日本人だけれど、国籍不明の地球人ともおぼしきものたちで、まあその辺が外国人にも受け入れ易かったのかもしれません。
「千と千尋」の風呂屋にしても、あれは日本というよりチャイナみたいです。

そんなわけで、ぼくにはそうしたある先入観があって、それがまた、この「風立ちぬ」という零戦と日本人を描いた作品を見る気になった原因だったともいえるでしょう。
見始めてすぐに眠くなり、ものすごい火災の場面にもかかわらず、少し居眠りをしたようです。その光景をぼくは、東京大空襲だと思っていたのです。
でもすぐに、これはどうもつじつまが合わないと思い、それから、そうかあれは関東大震災だったのかと納得したのでした。それにしても、あのものすごい描写には、すこし違和感を感じたのです。
堀越二郎という天才設計技師に関しては、よく描かれていると思いました。彼の運命的な恋がもう一つのストーリーなのですが、どちらが主なのかがハッキリしないのです。
たとえば、この作品を一枚の写真とすれば、あなたは何を撮りたかったのですかと聞きたいような気分になるし、撮りたいとしたテーマがピンぼけだったりしている。見終わった後、どうもそんな感じのフラストレーションを感じてしまう映画だったのです。

海軍の常識を遥かに超えた要求に対して、堀越設計技師は「はいはい、やりましょう」と二つ返事で引き受けます。実際はそうではなかった。これはまず気になったところでした。彼の優秀さを描く為には、軍とのやり取りを描く必要があると思いました。
堀越二郎が作ったのは、零戦という戦闘機だったことは見るものは誰でも知っていると言っていいのだけれど、宮崎駿は零戦と明示はしたくなかったようです。翼の折れ曲がった違う形の飛行機が出てきます。零戦が現れるのは最後のあたりに申し訳程度に出るだけでした。出てくるのは、真っ白いプラスチックのような紙飛行機のような感じの編隊なのでした。
堀越二郎という天才が傑出した飛行機を作ったことは描きたかったのかもしれないけれど、それは戦闘機でその優秀さは、敵機を撃墜する空中戦性能によってのみ証明できるわけです。でも、そのことは決して描きたくはなかった。
大きく画面に現れたのは、無惨な零戦の残骸の山が描写されます。なぜそうなったのかの説明は全くありません。なぜ残骸の山となったのかの説明が全くない。
だから、マニアックな設計者がたまたま優秀な飛行機を作っただけで、それが戦争に使われたから残骸となったとういう、面白くも何ともない話になっているといっていい。この不自然さがピンぼけの一つの理由だと思われます。

こうしたストーリーの虫食い状態を補完する為に用いられたのが、悲劇的な恋の物語だったと思われます。タイトルからすると、こちらがメインのはずですが、実際は、その内容のディテールからいって、こちらはどうやらサブストーリーのようです。一体どっちなんや、ハッキリしてくれという気分になりました。
この映画を見て涙を流した人が多いようなのですが、ぼくは大分変わっているのか、最後まで泣きたいような気分にはなりませんでした。
エンディングの画面になってから、館内の照明が明るくなるのが待ち遠しい気分でした。
こういう映画を作るのは、宮崎監督には所詮無理なのではないかという気もしたのです。

そんなわけで、家に帰ってから、まず「風立ちぬ」についてネットで調べてみました。
多くの人が、素晴らしいとか泣いたとか書いているのに驚きました。やはり、ぼくは変わっているのかなあとも思いました。
そこで、宮崎駿氏について調べることにしました。人を知るには、生い立ちや若い頃に何をしていたかを調べることは、大変重要な着眼点です。
「宮崎駿 思想」でグーグって見ました。なんと約 945,000 件がヒットしました。
<一族が経営する「宮崎航空興学」の役員を務める一家の4人兄弟の二男に生まれ、太平洋戦争中であっても何不自由なく幼年時代を過ごした。
学習院大学を卒業、大学時代から社会主義思想に傾倒するようになり、東映動画入社後は結成間も無い東映動画労働組合の書記長に就任、激しい組合活動を行った。>

<一貫して反戦、戦争の悲惨さ、愚かさを描き、『風の谷のナウシカ』以降は環境保全を主題とした作品を作り続け、湾岸戦争に対しては米国政府の方針に反対の立場を表明していた。また『紅の豚』も湾岸戦争に対する反感が作風に反映されている>
KurenaiPig『紅の豚』という作品は、自然破壊プロテストのようなものを作り始める以前のもので、ぼくもその大仰なダンディズムが気になりながらけっこう楽しんでみた記憶がありました。
この作品は、日航がバックアップをしたと聞いていたのですが、当時その理由が分からず、不審に思っていたのです。いま、それは日航の共産党系の組合が支援したのだと納得出来ました。
この作品は、イタリアのファシズムを批判しつつ、飛行機好きの自分を表現した映画なのだそうです。イタリアで、当時共産主義者は豚と呼ばれたそうです。この作品の中の「飛べない豚はただの豚だ」という台詞は、自虐的に自分を規定しつつ肯定するある迷いを表現しているとも考えられます。

<ホントの苦労をしたことないボンボン。鳩ポッポと似たようなところがある。マスコミが宮崎の経歴をほとんど報道しないので、このことは一般に知られていない。宮崎のイデオロギーは日教組とほぼ同じ。だからマスコミや学校は、それを隠して、宮崎アニメを盛り上げようと囃し立てる>
また、こんな記事もありました。
SentoTihiro<「千と千尋の神隠し」で、千尋が止めるよう言うのを無視して、両親がゴチソウを食いあさってブタに変貌していくシーン……当時、子供がいたわけでもないが、自分は非常に不愉快な感情を覚えた。本来なら逆に、ゴチソウを食べようとする子供を注意して、親が止めさせるべきもののはず。他にも、「崖の上のポニョ」では子供が親を呼び捨てにしてたりとか・・・親を貶めるような映像を、無意識下で子供に刷り込んでいるのである>
「千と千尋の神隠し」の舞台となったのは、現代の風俗業なのだそうです。これは全く気がつきませんでした。宮崎監督自身が次のように語っていますから、これは本当です。
「今の世界として描くには何がいちばんふさわしいかと言えば、それは風俗産業だと思うんですよ。日本はすべて風俗産業みたいな社会になってるじゃないですか」(日本版『プレミア』の2001年6月21日号)
いずれにしろ、この作品では、子供の自立と成長を描きたかったわけで、それは成功し、だから賞を取ったのでしょう。

若い頃、左翼思想に傾倒し、ゲバ棒を振るった人たちのうち、さっさと考えを改めるだけの客観性と柔軟性を持った人は別として、そうでない人たちにとって、その後の日本は大変苦しい環境になっているといえます。
自分の考えと全く整合性の取れない、ベルリンの壁崩壊、天安門事件などなど、次々と起こる世界の変化や事件は、自分の考えの訂正を迫るものだったのですが、それを認めることは自分の生活史の否定ひいては自己の否定につながりかねません。3.11以後の日本の国内・国外の状況は、彼らに取ってさらに厳しいものになったのですが、原発という新たな攻撃目標が現れそこに生き甲斐を見いだす人もいるようです。

Poster宮崎駿氏は、『紅の豚』以後、この迷いの中で作品を作ってきたのではないかと思われます。日本の神話や民話に題材を求めても、『古事記』や皇室制を認めない立場では、整合性の取れた作品を作ることは所詮無理だったというべきなのです。
整合性が取れていないことを認めたのか、それを人に押し付けることによって自分の整合性を取ろうとしたのでしょう。開き直って、彼はこう語っています。
<整合性を求める人たちはそうすることで「戦前の日本は悪くなかった」と言いたいのかもしれないけれど、悪かったんですよ。それは認めなきゃダメです。慰安婦の問題も、それぞれの民族の誇りの問題だから、きちんと謝罪してちゃんと賠償すべきです。領土問題は、半分に分けるか、あるいは「両方で管理しましょう」という提案をする。この問題はどんなに揉めても、国際司法裁判所に提訴しても収まるはずがありません。>
しかし仮に、こうした考えにしっかり立って、『風立ちぬ』を作ったならば、それはそれなりに立派な作品になった。ぼくはそう思います。

中途半端なつじつま合わせや、ぼかしや強いていえば騙しを交えて作った作品が評価されるはずはありません。彼は引退表明の記者会見で「また作品を作りますか?」と問われて、準備に最低5年間は掛かるからもうやりませんと答えていました。
自分の考えの揺れと現実との不調和の整合性をとる為には、それだけの時間がかかるのかなあとぼくは考え、そんな無理なことを強いるのは可哀想だとも思え、だからもう完全に引退してもらった方が、日本の子供のためになるとも思ったのでした。