Jeff Tacker先生からの手紙

Jeff Tacker先生から、いつものようにPictureCardが届きました。 PictureCard

裏には、こんな文が奇麗にプリントされていました。

PictureCard2

In March, we enjoyed another wonderful 21 day trek in Nepal Himalaya, visiting the lower canyons of the now popular Manaslu, Circui which we did three years ago, before turning off into an impressive and narrow canyon leading up to Hidden Valley of Tsum. Inhabited for a nearly a thousand years by Tibetans, and accessed only by several low passed to the north and east, it was not until the 20th century that a path was created, allowing access from Ne;al. It was a beautiful place, a hidden and spectacular valley high behind the stunning peaks of Ganesh Himal, and filled with friendly people still living an ancient lifestyle.


翻訳するとこんな風になります。

3月、私たちはこんどもまた素敵な21日間のネパール・ヒマラヤトレッキングを楽しみました。いまでは有名になったマナスル周回の下流渓谷です。 スムのヒドン・バレーへつづく印象的な狭い峡谷への屈曲点のあたりで、3年前に行ったところです。 もう千年近くもチベット族が住んでおり、いくつかの低い峠を通るだけで北や西に向かえる場所です。それはネパールからの通路として20世紀以前から用いられていました。 息をのむようなガネッシュ・ヒマラヤの高い峰々を後ろにした隠された絶景の峡谷です。この美しい場所にはいまもなお古い生活スタイルで生きる人懐っこい人々が住んでいます。


絵はがきの裏面のこの文は、同封されていた3ページの紀行文の要約です。Tacker先生は例によって、詳しい紀行文を書いてこられました。
手紙1枚目

手紙1枚目

手紙2枚目

手紙2枚目

手紙3枚目

手紙3枚目

Jeff Tackerというのは、かつてぼくが、バンコックに英語留学していた時に、AUAという学校のReadingWritingの先生だった人です。彼について話はいろいろあるのですが、簡単に説明してみましょう。
Jeffは、シアトル大学の林学科をでて、林野庁に勤めたのですが、レーガノミックスでリストラされ、職を失います。
もともと山登りが好きだった彼は、ネパールの山歩きに出かけるのに便利なバンコックに流れ着き、英語の教師をしながら、ネパールの山を歩く。
その時に知り合った、タイ女性のワニダと結婚しました。
この辺の事情は、別のブログ「高田直樹のウェブサイトへようこそ」の作品集にに『高田直樹の異国四景』というのがあって、そこの「バンコックの40日」には、こんな風に書いています。『バンコックの40日』
<23日から授業が始まりました。朝の8時からの一講はReading/Writingつまり読み書きです。先生はジェフ・タッカーというシアトル生まれの人でシアトル大学林学科卒の35歳。トレッキング大好きでネパールヒマラヤに行きたいためにバンコックに住みつき、タイ人の奥さんをもらったというようなことは、後になって分かったことですが、とにかく山が好きだということで話が合ったのです。 翌年、彼は奥さんと一緒に来日し、ぼくの家にしばらく滞在しました。日本が気に入ったとシアトル大で英語の教員免許を取り直して再来日、現在北海道で朝日教養講座の教師をしています。>

Wanda&TackerJeff Tackerはその後北海道に住み着き、いまでは3つ4つの学校の掛け持ちで英語教師をしています。無雪期の北海道の山はもう登り尽くしたようです。
紀行文を書くのは彼の趣味みたいなもので、毎年出かけるトレッキングの後には、いつも長文のレポートを送ってきてくれます。申し訳ないのですが、いつも走り読みするだけなんです。
いつだったか、北海道には文化がないと言い出し、京都の学校に変わることを考え、我が家から就職試験を受けに出かけたのでしたが、合格しませんでした。たぶん、日本語が駄目なのが原因だったとぼくは思っています。どうしてか、いつまでたっても彼は日本語を操れるようにはならないのです。

比べて、奥さんのワニダはもう日本語はペラペラになっています。日本に来た最初の頃は、我が家で裸足で外の飛び出すし、庭先では手鼻をかんだりと、タイの田舎女性然としていたのですが、その後北海道で、タイ・ダンスを指導やタイ料理の先生でテレビに出たりで、淑女然としてきたので驚いたことでした。
彼らは、2年とは開けずに京都にやってきて我が家に滞在します。
来春にもやってくると手紙に書いてありました。会うのを楽しみにしています。