「主権回復の日」について

 先月の4月28日は、サンフランシスコ講和条約が発効した日で、「主権回復の日」とされています。しかしこれはいわゆる祝日とはなっていません。この条約によって、占領状態が終わったわけです。1952年のことですから62周年になります。
 占領とはいっても、無条件降伏したわけではなかったし、政府機能も国会も普通に正常に働いていたことからも分かるように、正確には、ポツダム宣言受諾によって、戦争状態から休戦状態になったといっていい。
 だから、その状況を終わらせる為に講和条約の締結が必要だったわけです。戦争から休戦、そして講和という流れです。この当然の流れを国際法(ハーグ陸戦条約など)を無視しての占領政策を行ったのがマッカーサーでした。
 ぼくたちは、無条件降伏して講和と教えられたようですが、これでは理屈に合いません。

 14・5年前から、この主権回復の日を記念日としようとする意見があり、毎年公式ではない式典は行われていました。一昨年、第二次安倍内閣は、公的行事として天皇・皇后両陛下の列席のもとに式典を行うことを閣議決定し、昨年には初めて政府の行事としての式典を行いました。
 これに猛反発したのは沖縄でした。というのは、サンフランシスコ講和条約では、沖縄は依然として米軍の占領下におかれることとなっていたからです。沖縄が返還されるにはなお20年ほどの年月が必要でした。
 そういうこともありましたから、生活の党 、日本共産党、社会民主党などは、天皇の政治利用と批判しましたし、沖縄では主権回復どころか「屈辱の日」と呼ぶ集会が開かれる始末でした。
 そんなこともあってか、安倍政権はその柔軟性を発揮したようで、今年は式典は取りやめたといえます。

 敗戦後の片山内閣は新憲法にふさわしい国民の祝日法案を作ったのですが、そこに含まれていた紀元節を「建国の日」と呼び方を変えた祝日は、マッカーサーによって、削除されたのでした。
 紀元節というのは、「日本書紀」に記された神武天皇の即位の日です。それは西暦でいえば紀元前660(BC660)であり、西暦年代に660を足したものが、いわゆる皇紀と呼ばれるものです。
 あの有名な零戦、ゼロ式戦闘機がなぜゼロ式なのかをご存知でしょうか。それは、あの戦闘機が作られたのは西暦1940年、皇紀2600年でした。皇紀は下2桁で呼ぶのが習わしだったそうで、だからゼロ式なのです。
 ちなみに、インドネシアの独立宣言の日付は05となっていますが、それが1945年8月17日、つまり皇紀2605年だったからなのだそうです。その時日本はすでにポツダム宣言を受諾していました。このことは、インドネシアの独立に日本陸軍の軍人が大きな援助・協力をしたことの証だとぼくは思っています。

 サンフランシスコ講和条約が締結されて、日本が主権を回復しても、マッカーサーに削除された「建国の日」が復活することはありませんでした。反対する勢力がいっぱいあったからです。国会では何度も上程されては、廃案になっています。
 ようやくこの「建国記念の日」を定める祝日法案が通ったのは、1966年のことでした。
 ぼくが、初めての外国・パキスタンに行ったのは、この前年1965年でした。ぼくは、先遣隊で本隊より一ヶ月先に派遣されていました。カラチに着いてまもなく日本大使館主宰の「天皇誕生の日」記念パーティーが行われることになりました。このパーティには各国大使や軍人・財界人などを招待します。この招待状の宛名書きを手伝いました。
 大使館の日本人の人たちは「天皇誕生の日」とはいわず、みんなが「紀元節」と言っていたのを、印象的に覚えています。外地にいる人たちにしてみれば、天皇誕生日は神武天皇即位であり、「紀元節」だったのかもしれません。

 昨年初めて政府主催で開かれた「主権回復の日」の式典では、一つのハプニングがありました。
 式辞は述べられませんでしたが、臨席しておられた天皇・皇后両陛下は、内閣官房長官の菅さんが閉会の辞を述べると、退席しようとなさいました。
 すると、会場前席の誰かが、突然「天皇陛下万歳」の叫び声を揚げたのです。すると、壇上の安倍総理を含む全議員が唱和し、会場全体が万歳三唱を行いました。天皇・皇后両陛下はお立ち止まりになり、その後出席者に何度も会釈なされながら退席なされたのだそうです。
 想像するに、この盛り上がりは参列者の人たちにとっては、けっこう感動的な情景だったと思われます。

 こんなこともあったから、今年の式典は計画されなかったのではないかと思うのです。そしておそらく、かなり長い間、再度行われることはないでしょう。
 ぼくは思うのですが、「主権回復の日」の式典はなくていい。どうしてかというと、日本は本当に主権を回復しているとはいえないのではないか。そう思うからです。講和条約を結んだから主権を回復した。そんな単純な断定が出来るのだろうか。
 本当の意味で、日本は主権国家といえるのだろうか。そんな疑問が、「主権」という物について調べているうちにどんどん膨らんできたのです。
 拉致された同胞を放置して、占拠された島から目をそらして、領海内で逮捕した外国人を解放して、などなど、主権国家としては考えられないようなことが多すぎるのです。
 だから、「主権」とはなんなのかとか、「主権国家」の条件とは、などについて考えなければなりません。
 本当の意味で、日本が「主権国家」となった時、「主権回復の日」を祝ったらいいと思うのです。