サッカー・ワールドカップの戦いを観て想ったこと

 サッカーのワールドカップの決勝トーナメントが始まりました。
 今日録画してあった決勝トーナメントのギリシャ・コスタリカ戦を観ました。まことに熾烈な戦いで、手に汗にぎり、画面に釘付けのまま見終わりました。
 前半は0−0で推移。後半にはいってすぐコスタリカの地をはうようなミドル・シュートがあっけなく決まります。どうやらキーパーはシュート動作が他のプレーヤーの影になって見えなかったようです。
 ギリシャは、日本戦のときとは別のチームのような戦いざまで攻め立て、コスタリカのディフェンダーは2枚目の警告をもらって退場し10人となります。ここぞとばかりギリシャは攻め込みますが、同点ゴールは奪えず、そのままロスタイムに入り、ギリシャの命運もつきたかと思われた時、シュートのこぼれ球を蹴り込んで同点ゴールが生まれました。
 必死に守りを固め逃げ切るつもりのコスタリカにも、終了間際になって集中が途切れ、ギリシャのパワー・プレーが功を奏したのでしょう。
 延長戦に入っても双方得点は出来ず、PK戦となりました。先攻はコスタリカで、3人目までは双方とも成功させますが、4人目になってギリシャが失敗し、5−3でコスタリカの勝利となりました。

 ぼくはもっとあっさりギリシャは負けると思っていましたから、この結果には少し驚きました。一次リーグのギリシャ戦でもし日本が一点先取しても同点にされたかも知れない。そんな気もしました。それほどギリシャは凄まじかった。
 思い出せば、コスタリカと日本は、直前強化試合で相見えていました。前半で先制点を許しますが、後半で3点を返し3−1で見事に勝利しているのです。この戦いの模様はYouTubeで見ることが出来ます。コスタリカに逆転勝利 ~フロリダ合宿国際親善試合~  
 この試合の他の二戦もいずれも逆転勝利で観ていて気持ちのいい戦いでした。
 それが一体本番ではどうなってしまったのか。

 一次リーグ敗退が決まった三戦目のコロンビア戦を、ぼくは納得しながら見ていました。その戦いざまは悪くなかった。それはサムライブルーと呼ばれる日本にふさわしい戦いだと思いました。サムライはその戦いざまと死に様が肝要であり、見事な玉砕だと思ったのです。褒めてあげるべきだと思いました。
 ふつう日本は惨敗したといわれていますが、0−1では惜敗で、1−4では惨敗などというべきではないと思うのです。日本は見事に戦ったと思います。
 
 ワールドカップでのサムライブルーの戦いを観ていて、ふと頭に浮かんできた文章がありました。それは次のようなものでした。
<このままいったら「日本」はなくなつて、その代わり、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るであらう。>
 これは、あの割腹して果てた真正日本男児・三島由紀夫が遺した言葉です。日本はもうそんな「ある経済大国」になってしまっているのではないか。サムライブルーの若者には真の闘争心が欠けているのではないだろうか。そんな気がしたのです。

 ワールドカップは色々なことを思い起こさせてくれるようで、こんなことを思い出しました。
 ぼくが教育実習に行ったときの指導教官で、ぼくに沢山のことを教えてくれたK先生は、ある時何の脈絡もなくこんなことを話しました。
 それは、彼の親友で同僚でもあるH先生についてのことです。H先生というのは砲丸投げの国体選手で巨漢と言ってもいい人です。一方K先生はテニスやスキーの名手でしたが、極めて小柄でした。
 「あいつと喧嘩になることがあるかも知れん。もし取っ組み合いになったら、まあ勝ち目はないやろ」
 「せやけど、俺考えたんや。負けるわけにはいかん。噛み付いたろ思てるねん」
 なぜそんなことを話されたのか分かりませんでした。巨漢にも立ち向かう勇気を教えようとされたのかも知れない。ウルグアイ代表が試合中に相手に噛み付いて処罰を受けたことを知って、この話を思い出しました。

 ぼくはサッカーは素人で難しいことは分かりませんが、その素人目で観ていて日本選手が技術的に劣っているとは思えません。よその国の選手には日本選手のような器用さはないし、けっこう下手に見えたりします。違いがあるとすれば、その迫力というか気迫というか、むき出しの闘争心だと思うのです。
 日本では、子供の闘争心は褒められることではないようです。幼稚園では、運動会で順位を付けないように、同時に並んでゴールする。などという話を聞いたりします。
 ワールドカップは戦いの場です。つまり戦争なのです。争いは悪いことだと教えられ、戦争について考えることさえ忌避されている國に育った子供が戦いで激しい戦いが出来るわけがない。決して譲ってはいけないものがあることを教えられないまま大きくなった日本人には、激しく戦う気迫が欠如してしまう。

 日本サッカーには決定力が欠けている。決定力を持った選手がいない。そういわれて久しい。では、決定力を持った選手が将来生まれる可能性があるのでしょうか。いやそんなもん待っててどうする。個人では無理だから共同して戦う戦術を考えないといけないのだ、と誰かが言っていました。
 でもいつかは日本にもメッシみたいな選手が現れることがあるのでしょうか。
 ぼくは、絶対にないと思います。
 むかし、ジャン・クロード・キリーというスキーの名選手がいました。彼は、1968年のグルノーブル・オリンピックで三種目すべてに優勝しましたし、あらゆる競技会で優勝したので「王者キリー」と呼ばれました。パリ郊外に生まれた彼は、大戦後父とともに山村に移り、3歳の頃からスキーを始めます。その山村のあたりでは、変なフォームで滑る子供がいると噂になったそうです。
 そのフォームやテクニックはかつてなかったものだったから、みんなは変だと思った。新しい技術というのはそうしたものです。
 日本にメッシがいて、その身体の小ささをカバーする為にドリブルを考えて実行しても、きっと矯正されるはずです。だからあのような独特のドリブルは生まれないと思うのです。
 
 ワールドカップで世界中が熱狂します。どうしてでしょうか。それが戦いであり、人間は戦いを好むからだと思うのです。二度の大戦での一般民衆を巻き込む総力戦の悲惨さを充分に体験した結果、人々はどうしたら戦争を避けることが出来るかを考え続けてきたと言えます。
 わが日本では、戦争について考えることが戦争を引き起こすという、ある倒錯した思想が蔓延しているようです。戦争について考えなければ戦争は起こらない。戦争について思考停止の状態こそが平和なのである。そういう信仰ともいえる考えの人たちは、次第に減って行くと思われます。

 今回のブラジルワールドカップが開かれているのは、南アメリカです。その地は、むかし15世紀頃、スペイン、ポルトガルの植民地でした。その地で独立を果たした国家が、どんどん勝ち進み、スペインとポルトガルが予想外に姿を消したということも、勝手に考えれば面白いことだとも思えるのです。
 それにしても、日本のサムライジャパンはこれからどうなるのでしょうか。
 いずれそのうちに、ベストフォーに残るようになるような気もするし、もしかしたら数十年経っても無理かも知れない。もしベストフォーになったりしたら、その時には、この日本国が三島が言うところの「或る経済大国」になってはいなかったことが示されたと言えるのではないか。そんな気もするのです。