「イスラム国」、この一知半解なるもの

 ISILという名前で呼ばれ、我が国では「イスラム国」と呼ばれる国家形態をとるテロ集団が起こした、2名の日本人人質拘束事件は、予期した通りの悲劇的な結末で終わった。
 世界一平和な国で、70年の永きに渉って戦争をせず一人も人を殺していないなどと誇らしげに唱える人をなるほどと思い、お金こそすべて、お金があれば何でも出来ると思い込んでいる多くの日本人に取っては、まことにショックな事件だったといえる。
 バカな戦争をして負けたけれど、大いに反省しているし、謝ってもいる。武器は捨てたし、どこも攻めようとしていないのだから、どこの国へ行っても敵対する人はいないだろう。もし日本がヤバくなったら、安全な他所の國にお金を持って逃げればいい。そんなことを考えていた守銭奴みたいな日本人は、大変だ、どこに逃げても狙われると焦ったかも知れない。

 この事件が始まるとともに、テレビ各社の報道は、「イスラム国」に埋め尽くされるという、一種異様な状況になった。
 この少し前に、いわゆるパリの連続テロ事件があったことと、安倍首相が中東訪問中であったことがその理由と思われる。この報道の中で、陰に陽に見え隠れしたのは、安倍政権のしくじりを指摘しようとするもので、正面切ってその積極的平和外交を支持するものは、少なかったように思えた。
 にも拘らず、アンケートによる調査では、安倍政権の中東政策を過半数の国民は支持したし、内閣支持率は上昇さえした。その意味する所は、冷静聡明な大半の国民がテレビ報道を斜めに見て、鼻先であしらう人の多いことを意味していると見るべきだろう。

 テレビ報道には多くのイスラム関係の専門家が登場した。しかし、ぼくがなるほどと思って聞いたものは、極めて少なかった。みんな勉強はしているけれども、ムスリムと肌で付き合いイスラム教を感じ取れている人は少ないと感じたのである。これは、ぼくもおなじで大きな口は聞けないのだけれど、みんな一知半解なのであった。
 事件が結末を迎えた後に始まった国会では、民主党や共産党などの議員が「イスラム国」を刺激したのは、配慮が足らなかったと、けっこう激しく安倍首相を追求した。
 こうした人たちに共通してみられる特徴は、国際関係に関わる視点の欠如のように思われる。これは、左翼やリベラルの人たちに見られる共通点でもある。
 なぜそうなるのだろうか。彼らには日本と言う国家認識というか国家観がない。だからその思考はどうしても立ち位置を欠いた一種のアナーキズムの形を取るのだろう。その頭の中には日本はなくて、地球市民があったりする。もう古いのである。

 かつての安保闘争の時代、マルクス主義を唱える共産党系の学生は、通称ミンコロなどと蔑称されていた。力を持っていたのは全共闘で、彼らはトロッキストであり、アナーキーな色彩を濃く帯びていたと推測している。その当時、もっぱら山登りに邁進してこうしたことは下界の騒ぎとお山の大将を決め込んでいたぼくの独断に過ぎないのだが…。
 このアナーキーズム的な考え方は、マルクス史観とともに戦後日本の先進的な考え方とされ、社会学、歴史学などの学会やマスメディアの世界に深く浸透し、いまに引継がれていると思われる。権力を嫌い、国家を嫌う。原発反対の人の大半は、原子力よりも国家なり、国家権力が嫌いなのである。自由と平等を抑圧するものとしてのみ国家を捉え、国家権力を縛るものとしてのみ憲法を規定するという浅薄な発想をもっているように思える。

 「イスラム国」なる名称について述べる。この呼び方を嫌う人が多く、アイシスとかアイシルと呼んでいる。ISISというのは、イラクとアルシャムのイスラム国(Islamic State in Iraq and al-Sham)の略称、すこし広がってISILイラクとレバントのイスラム国(Islamic State in Iraq and Levant)となった訳で、どちらにしてもIslamic State(イスラム国)なのである。
 ここでいうレバントとはなんであるか。それは地域を示す呼称であって、Wikipediaでは次のようになっている。
 「レバントまたはレヴァント」 とは東部地中海沿岸地方の歴史的な名称。厳密な定義はないが、広義にはギリシャ、トルコ、シリア、キプロス、レバノン、イスラエル、エジプトを含む地域。現代ではやや狭く、シリア、レバノン、ヨルダン、イスラエルを含む地域を指すことが多い。
 この日本語の「イスラム国」が嫌われるのは、どこの國も國として認めていないし、また、イスラム教を代表する國という誤解を生じるからということのようだ。しかし、国連で認められていない國など台湾を始めとしてゴマンとある。ISと呼んでもイスラム国と呼んでも同じことなのだから、NHKが用いるのはけしからんなどと息巻いても仕方ないことではなかろうか。
 
 イスラム国はどうして生まれたか。その経緯をかいつまんで述べてみる。
 かつてのソ連がアフガニスタンに侵攻した時、世界中からムスリムが聖戦士(ムジャヒディーン)として馳せ参じた。彼らはアメリカの援助のもとに戦い、ソ連を駆逐した。この紛争の後、オサマ・ビン・ラディンはアルカイダを創設する。ムジャヒディーンは世界中に散り、各地のテロリストの核を形作った。
 湾岸戦争があり、9.11同時多発テロが勃発した。アメリカは対テロ戦争を宣言し、アフガニスタンのタリバン政権に匿われていたビン・ラディンを追ってアフガン戦争を始めた。一方、イラクのフセイン政権を倒して民主政府を作るという稚拙な考えによって、秘密の大量破壊兵器を持っているというでっち上げの口実を作り、英米はイラクを攻めてフセイン政権を倒した。

 しかし、戦後の処理に失敗し、宗派対立による3つ巴の内乱状態となり、この統治権力の空白状態に「イラクのアルカイダ」が生まれた。さらに、軌を一にして、いわゆる「アラブの春」とよばれる民主化の波が中東の諸国に広がったが、アメリカには従来のように、これを収める力はなかった。シリアのアサド政権の揺らぎによって生まれた混乱に乗じて、「イラクのアルカイダ」が膨張浸食し、このアルカイダは「イスラム国」を名乗ることになった。
 アルカイダを引継いで生まれたとはいえ、「イスラム国」の特徴は領土を持ち、領域の住民を支配していることである。支配者層には、フセイン政権時の政治家や官僚、軍人などが加わっている。
 アメリカと手を携えてアルカイダと戦ったパキスタンは、同時にアルカイダの支援も行っていた。ビン・ラディンはパキスタンの陸軍の町・アボタバードに隠れ住んでいる所をアメリカ軍の特殊部隊の急襲によって殺害された。

 アルカイダの頂点に立って、「アメリカ人を殺せ」というファトア(託宣)を発していたビン・ラディンは殺されても、アルカイダは消滅しなかった。消えるどころか、世界各地の紛争地帯に成立し続け、自爆テロを実行し続け、「グローバル・ジハード」とも呼べる現象を呈することになった。
 自爆テロを行ってアルカイダを名乗るというアルカイダのブランド化、そしてどこからともなく承認を受けるという、いってみればジハード集団、過激集団のフランチャイズ化ともいえる現象が見られるようになっている。
 昨年急速に拡大し、「イスラム国」を名乗るようになったこの過激集団は、あまりの過激さ故にアルカイダ集団からははじき出されたとされていた。
 とはいえ、その登場はまことにドラマチックな演出にあふれ、それが故に世界中のムスリムの若者を引きつけたと言える。このことについては、後で述べることにする。

最下端にロレンスが背後から奇襲したアカバがある。

最下端にロレンスが背後から奇襲したアカバがある。細長いアカバ湾の一番奥がアカバである

むかし、ぼくが大学生だった頃の有名な映画『アラビアのロレンス』がある。これは、イギリス陸軍の情報将校T.E.ロレンスが、アラビアの砂漠でベトウィン族のアラブ人と一緒にオスマントルコに戦いを挑む砂漠の反乱の物語である。ぼくはのめり込んで何度も見た。ロレンスについては、何冊かの伝記はもちろんその著書『知恵の七柱』も読んだ。
 この映画の最初の山場は、海に面したアカバを背後から衝く為に、不可能とされている砂漠を横断するという場面だ。このアカバは現在のシリアの最南端に位置している。ロレンスは、ただ純粋にアラブの自立を願って戦うのだが、それはイギリスの領土獲得の謀略であることを知り、失意のうちに本国に戻り、バイク事故でなくなる。
 イギリス、フランス、ロシアなどは、謀略的な条約によってオスマン帝国の広大な領地を分割した。サイクス・ピコ条約が有名であるが、それ以外にも2つの計3つで、三枚舌外交などと言われる。三枚舌とは、フサイン=マクマホン協定、サイクス・ピコ協定、バルフォア宣言の三つである。
 上の地図に見られる國の国境線が、直線であることに気付く。東ローマ帝国を飲み込んで成立したオスマン帝国は、一次大戦後このように切り刻まれ切り取られたのである。

 半世紀ほども前になる「アラビアのロレンス」封切りの頃、梅棹忠夫先生の『文明の生態史観』という本が出た。地球の中央、ユーラシア大陸に起こった古代文明が周辺の極東と極西に伝播して近代文明と国民国家を形作るが中央は没落する。そういう文明をマクロに捉えた新しい視点は注目を浴びた。何よりヨーロッパ諸国と日本を対等に置いたことが、学問的にどうこう言うより、気分がいいではないか。当時そう思ったのを記憶している。
 この時、梅棹先生はテーマであるヨーロッパと日本以外の地域(彼が第一地域と名付けた所)をどう捉えていたのか。
 そこには、中国世界、インド世界、ロシア世界、地中海・イスラム世界があった。この旧世界の自己完結的な4つの世界は、近世になると、清帝国、ムガル帝国、ロシア帝国、トルコ帝国になり、それぞれの国家構造が完成したと考えていた。
 その後は、帝国はそれぞれに異なった経路で崩壊してゆく。多くの國が欧米の植民地となったが、大東亜戦争の衝撃によって植民地を脱した国々は、それぞれが進展の道をたどってゆく。その中で、最も進化の遅れた、そしていまも遅れているのが地中海・イスラム世界といえるのだ。

オスマン帝国(トルコ帝国)

オスマン帝国(トルコ帝国)

 オスマン帝国は600年ほども続いた大国だった。イスラム教を国教としていたから、ヨーロッパとは異なった政治形態を持っていた。統治者はスルタンと呼ばれたが、それはイスラム法が定めるカリフではなかった。
 オスマン帝国が衰退した時期には、統治力を強める方策として、スルタン=カリフが強調されることはあったが、カリフではなかった。
 イスラム世界の最高統治権威であるカリフは、現在に至るまで、ずっと空位であったともいえる。
 オスマン帝国はトルコ系民族による征服王朝であり、支配層はトルコ人であったが、その領内にはアラブ人、エジプト人、ギリシア人、スラヴ人、ユダヤ人などなど、多数の民族から形成される複合的な多民族国家であった。
 これらの異民族を統治するため、支配下の民族に対する制約は極めて緩いものだった。いわゆる「柔らかい専制」といわれるもので、イスラム教以外の宗教であるキリスト教ギリシア正教やユダヤ教、アルメニア教会派など非ムスリムにたいして改宗を強制せず、宗教的集団を基本的な統治の単位としていた。
 色々な意味合いで、いにしえのオスマン帝国の時代は、アラブのムスリムに取っては憧れの形と言えなくもない。

 名称をISISからIS(「イスラム国」)に変えるとともに、指導者のアブー・バクル・アル=バクダーディーがカリフになったと宣言した。それは、世界のムスリムの最高権威に就いたことを意味していた。そして、「イスラム国」への移住を呼びかけたのである。
 この呼びかけが行われたのは、7月1日だったが、7月4日には首都とするイラク北部のモースルの大モスクの金曜礼拝に姿を現した。預言者ムハマッドの子孫が被るものとされている黒いターバンを被り、説教檀に登って説教する映像が世界に流された。
 すぐ後に断食月が訪れ、ムスリムの信仰心は高まる。この時期、日中は断食しているが、デレビの宗教にちなんだドラマを各局競って流す。一年のすべてのパワーを注ぎ込む勢いなのである。この時期の最後、断食明けの説教イベントにバクダーディは入り込み、最高の視聴率を得た。その説教から、人々が世直しの気迫を感じ取る演出が成されていた。

『イスラム国の衝撃』

『イスラム国の衝撃』

 これ一冊で充分と言われる池内恵著『イスラーム国の衝撃』がようやく手に入り、斜め読みした。池内氏は、東大出のアラブ研究者なのだが、処女作は『現代アラブの社会思想』で、大佛次郎論壇賞を受賞している。
 この論考の内容と言えば、現代のアラブの思想家たち(及びその影響を受ける若者たち)が、当初期待をかけていたマルクス主義が破産したことからイスラム原理主義に傾斜していくさまを描いたものだそうで、まことに興味深い視点であると思う。
 『イスラム国の衝撃』によれば、「イスラム国」に集まった戦闘員たちは、基本的に個人で参加している所に特徴がある。それは決して傭兵などではないとする。現実に集まってくる戦闘員が多くおり、戦闘員を受け入れる武装集団が多く存在する。その間を繋ぐ商売が成立しているだけであって、そそのかされて戦闘員として売られているとか、金目当てで武装組織が結成されるというわけではない。
 
 池内氏の次のような指摘は重要である。
 貧困で食い詰めてやむを得ず紛争地に職を求めたとか、借金のカタに武装集団に売られたという事例が全くないとは言い切れないが、通例ではない。高い給料が支払われる訳でもなく、渡航して組織に渡りをつけるまでの費用は、自分で用意しなければならない。そして、極めて不利な装備で圧倒的な軍事力を持つ政府軍や米軍に立ち向かい、しばしば自爆テロにかり出されるのである。就職先としては到底魅力的とはいえない。
 戦闘員らは、金銭的な代償よりも、もっと崇高なジハードの目的のために一身を犠牲にするつもりで、あるいはそのような高次の目的に関与するすることに魅力を感じて渡航している、という基本をおさえておく必要がある。
 池内氏は、その妥当性や正統性は置いておいて、命をかけて参加してくる人たちの心の内側を読み取ることなしには、「イスラム国」のような現象の解決の方策はないとする。

 彼はこうもいう。
 日本ではしばしば根拠なく、ジハード主義的な過激思想と運動は、「貧困が原因だ」とする「被害者」説と、その反対に「人殺しをしたいドロップアウト組の集まりだ」とする「ならず者」説が発せられる。相容れないはずの両論を混在させた議論も多い。西欧諸国からの参加者のみを取り上げて、「欧米での差別・偏見が原因」と短絡的に結論づけ、欧米に責めを帰して自足する議論も多い。
 本書で解明してきたグローバル・ジハードという現象の性質を理解すれば、単に「逸脱した特殊な集団」や「犯罪集団」と捉えることは問題の矮小化であると分かるだろう。

 ・・・とここまで書いてきて、正直言って、ぼくは混乱状態になっている。「イスラム国」を支持すると言い切る勇気はとてもない。しかし、「自分の命を勘定に入れてやっていることに冗談ごとはない」という気持ちもある。
 脈絡なく、維新の志士が思い浮かんだりして、なお混乱してきた。
 有志連合の猛爆が行われたら、かつて我が国が被った東京空襲と同じことになるのではないだろうか、と暗澹たる気分になった。

 いずれにしろ、いまの世界、フランス革命というテロによって成立した近代国民国家にならって次々と成立した国民国家で構成された世界、いうならば国民国家体制は、民主主義や自由・平等などのテーゼの空虚化や資本主義の行き詰まりに直面し、再構成を迫られていることは間違いないように思う。そうはいっても、なんにもはっきりしないし、「イスラム国」がどうなるかも予測できない。
 分からんままに、この稿を終わろうと思う。