最初の人種差別撤廃法提案(世界変動へのきしみ2)

 世界が大きな変動を迎えていることは、いま世界で起こっている様々な事件をみれば誰でも気がつくことではないでしょうか。思いつくままに挙げてみると、たとえばアラブの春に始まる中東アラブの動乱やテロ事件。ウクライナ問題。パリの連続テロ事件とその後の巨大デモ。直近の所ではアジアインフラ投資銀行(AIIB)などなど。
 さて、前稿の続きは、コリアとチャイナがなぜ勝ちにこだわるのだろうか。そういう疑問でした。それは言い換えれば、悪い國の日本をやっつけることによって自分の國が成立したのだ。そう言いたい。そういう建国の大義を唱えたいということのようです。中国の国歌は義勇軍行進曲とよばれる人民解放軍の歌なのですが、そこで唱われる敵とは日本軍のことなのです。
 この國は、一応憲法も法律もあるのですが、その上には共産党の独裁があるという独特の國で、選挙など一度も行われたことはなく、民衆の承認を受けた國とはいいがたいのです。そのため悪辣な日本軍を倒した共産党の国家というでっち上げの建国の作り話を喧伝してその支配の正当性を唱え続ける必要があるのだと思われます。

 まもなく今上陛下はパラオのペルリュー島をご訪問なさいますが、これは陛下の長年の念願だったと聞きます。ドイツの支配下にあったパラオ諸島は第一次大戦後、国際連盟からの依頼を受けて敗戦までの30年間日本が信託統治をしていた島でした。
 初めての総力戦としての第一次大戦が終わり、戦争の悲惨さを存分に体験した後、パリでの講和会議が開かれました。この会議では、多くの国際法が決められました。もう戦争が起こらないようにしようと国際連盟が作られました。
 重要問題については五大国(イギリス、アメリカ、フランス、イタリア、日本)の1国2名の全権で構成された十人委員会で行われることになっていました。
 日本は、この会議で「人種差別撤廃法案」を提出します。白人による有色人種へのひどい差別がアジア・アフリカの植民地において行われていましたし、アメリカに移民した日本人への差別も大問題であったからです。日本はかなり執拗に根回しを行ったのですが、植民地を持つ白人国家にはなかなか受け入れがたかったようです。イギリスの外相は説得に訪れた人に「ある特定の国において、人々の平等というのはありえるが、中央アフリカの人間がヨーロッパの人間と平等だとは思わない」といっています。
 議題にするかどうかの投票が行われ、アメリカのウィルソン議長を除く16名が投票し、賛成11票だったのですが、議題にはなり得ないという議長判断で決着したのです。最も強硬に反対したのは、アメリカとイギリス植民地のオーストラリアでした。
 日本は人種差別の撤廃を唱えた歴史上最初の國であることを忘れてはならないと思います。

 パリ講和会議で敗戦国だったドイツから譲り受けた形で、日本はパラオの統治を行ったのですが、欧米の植民地支配とは全く異質のものだったと思われます。
 この講和会議で悪者のレッテルを貼られ、とてつもない賠償を要求されたドイツは、経済的な国家破綻にひんすることになり、ここに国家社会主義を唱えるナチスが誕生する訳です。ナチというのは「国家社会主義ドイツ労働者党」の国家社会主義の頭文字をとった呼び方です。ヒトラーのとった国家社会主義は間違っていたとはいえません。ただ、ユダヤ人の殺戮は間違いでした。しかしその人数にはフレームアップがある。その数殺したとすると、十数秒に一人殺さないと勘定が合わないという話を聞いたことがあります。

 ナチス・ドイツを率いるヒトラーは、パリ会議で賠償としてとられた領土を次々に取り返し、瞬く間にヨーロッパ全土を侵攻します。これに対抗していたのはチャーチル率いるイギリスでした。このままでは負ける、アメリカの協力なしには勝てないと考えたチャーチルは、戦争しないことを公約に当選したルーズベルトを引き込むために、日本を戦争に引きずり込むように謀略を仕掛けます。まんまとはまった日本は大東亜戦争を始めることになりました。
 戦いに敗れた日本が世界に示したことがありました。それは日本軍の強さでした。ベリリュー島の攻略には3日間で充分だと米軍は考えていたといいます。しかしこの島に洞窟を掘って立てこもる日本軍を降伏させるのに70数日を要したのです。日本軍の死者は1万人を越えましたが、米軍も予想を遥かに上回る犠牲を強いられました。
 装備と物量に劣る日本軍がどうしてそれほど強かったのでしょうか。

 日本軍の強さは、江戸時代の国学とくに平田篤胤が唱えた平田派の国学と西南戦争にヒントがあるとぼくは考えています。あまりに唐突な話で、なんのこことか分からないのではないでしょうか、みなさん。では説明します。
 立憲君主国の国民国家として日本が成立したときに起こった内戦・西南の役の時、官軍の総指揮は後に「国軍の父」と称されることになった山県有朋でした。
 官軍は農民兵からなっており、政府が欧米から購入した新式銃を使用していました。いっぽう西郷軍は武士・氏族の兵でした。官軍は数と装備に勝っていましたが、なかなか勝つことができませんでした。
 総指揮の山県はどうしてだろうと考えたといいます。官軍の兵は地に伏せて銃を撃っているのに対し、西郷軍の兵は仁王立ちで狙いをつける。彼らは死ぬことを恐れていない。西郷さんのためなら死んでも本望と考えているのだろう。山県有朋はそう考えたのだそうです。そして、その人のためなら死んでもいいという人、そういう人を作らないと強い軍隊はできない。そう考えたのです。そして、そういう人とは天皇陛下でした。

 パリ革命によって最初の国民国家が誕生するのですが、その時ナポレオン軍は無類に強く、向かう所敵なしでした。その強さの秘密はなんだったのか。ナポレオンのためなら死んでもいいと考えるような兵士はいなかったはずです。兵士がみんな自分の領土を持ち、自分の國という意識があったからだといえます。他の國のような傭兵ではなかったからです。
 日本帝国の軍人はどうだったのでしょう。彼らは農民でした。農民はほとんどが小作農でしたが、彼らの村には鎮守の森があり、神社仏閣がありました。強い同胞意識や郷土への愛着があったといえます。
 江戸時代、この頃の日本は世界に類を見ない文化度・文明度を誇る四民がいたのですが、中心の江戸では国学が盛んでした。
 国学と言えば本居宣長がよく知られていますが、ぼくが注目するのは平田篤胤です。彼は本居宣長に私淑し勝手に弟子を名乗ります。その実証的な探究心は独自の思想を生み出し、120冊もの本を著します。
 彼は、現世と幽界の二つの世界が混じり合った世界があるという世俗の信仰を取り込んだ独自の説を唱えました。平田派の国学と呼ばれ多くの弟子が集まるのですが、その独自性から幕府に危険視され追放されることになります。
 しかし、4000人を超す弟子たちは日本中に散り、その土俗信仰と馴染みのいい神道と国家思想を伝えたのです。マルクス主義の学者のいうように、天皇信仰の強力な教育が行われるまでもなく、日本軍における天皇陛下万歳思想は難なく浸透したのだと思うのです。平田篤胤についてはこの<葉巻のけむり>の「妖怪という霊の住む島・日本」の後半に書いていますので、そちらを見てください。
「妖怪という霊の住む島・日本」
  
 という訳で、日本はともかく強かった。このことを白人たちは大東亜戦争で知りました。有色人種はそのもっと前、日露戦争で知ったのです。彼らは白人にも勝てるのだと眼から鱗で考えたのです。これが世界中の独立戦争を引き起こすことになりました。
 世界は次の段階に移ります。どうなったのかは次稿で考えたいと思います。