ノーベル文学賞にボブディラン

 ノーベル文学賞はボブディランというシンガーソングライターに決まりました。ちょっとびっくりしました。
 ボブディランについては、ぼくは何にも知らず、ただ昔歌った歌詞にあった記憶があっただけでした。それで、その覚えている歌詞の切れ端「聞いてたボブディラン」でグーグッてみると、「学生街の喫茶店」が出てきました。
 そうか、そうか、そんな歌だったなと、大変懐かしく、正確ではないメロディーを口ずさんでしまいました。

 ちょうど1年前の全くの同日、つまり今日10月14日に、ぼくはこの<葉巻きのけむり>に「日本人のノーベル文学賞」というタイトルで記事を書いていました。考えてみれば、受賞発表が同日だっただけで、驚くほどのことではないかもしれません。
 それはこう始まっています。
 「科学分野で二人のノーベル賞の受賞があり、たいそう誇らしい気分を覚えました。いっぽう毎年、巷というか出版業界の期待を担っていると思われる文学賞では、今年も期待外れの結果に終わりました。なんだかホッとしました。」
 あんまり、一致しているので、これにはやはり少々驚いています。

 今年も村上春樹の受賞はないだろうと、勝手に思い込んでいたので、今年は「やはりな」と思いました。
 ボブディランの受賞の理由として、「米国の偉大な歌の伝統で、新しい詩的な表現を創造してきた」と報じられていました。
 なるほど、「米国の偉大な歌の伝統」か。ボブディランの作品は米国の歌の伝統に立っているのかと、ぼくは納得したのです。でも、彼のことを全くと言っていいほど知らないぼくは、どう伝統に則っているのかわかりません。ちょっとネットで調べることにしました。

 大変な波乱に富んだライフストーリーを持つ人だということがわかりました。それに、ノーベル文学賞の候補になったこともあったらしい。「米国の歌の伝統」ということに関係していると思える、こんな記述を見つけました。
<「コーヒーをもう一杯」は、ボブ・ディランがエレキ音楽を作り始めて10年近くが経ち、円熟味を増してきた時期の作品です。一緒に暮らしてきた恋人と別れ、別の町に行くことを決意した男の心情を歌っています。旅立ちの前に、彼女のこと、彼女の家族のことを思い出し、「僕が行く前に、もう一杯コーヒーを」と彼は言います。
♪コーヒーをもう一杯 旅立つ前に
♪コーヒーをもう一杯
♪眼下に広がる谷に向かって行く、その前に
メロディラインは、ネイティブ・アメリカンの民俗音楽の影響を強く感じさせます。>

 昨年の記事にも書いたのですが、村上春樹の作品をなぜか好きになれないのです。「IQなんとか」というのが出て、えらく評判になって、本屋さんに山積みされていたので、立ち読みしたのですが、全く買う気にはなりませんでした。
 仮に彼が受賞したとして、その理由に「日本の伝統」というような字句が入るようはことは考えられない。つまり彼の作品の特徴はその「無国籍性」にあると思うのです。
 彼の作品の背景はどこの国であってもよく、登場人物は何国人であっても構わない。祖先もなく家族もさして重要ではない。怠惰気ままに生きている人をなんとなく安心させる内容のものではないか。ほとんど読みもしないで、あてずっぽうですが、なんだかそんな気がするのです。彼もまた、おそらく日本のことを「この国」と呼ぶのではないか。

 いわゆるハルキストと呼ばれるファンたちの不満の理由は、これだけ多くの国々の言葉に翻訳され、これだけ多くの人々に読まれているのに、なぜ賞がもらえないのか、というものだったようです。それに対してノーベル賞はファン投票によって決まるものではない。数は問題ではないという反論もあったようです。
 それで、今回改めてボブディランと村上春樹を並べてみて、ボブディランが劣っているところはなんなんだろうと考えてみました。どうもないようで、ディランの方がみんな上のようなのです。
 どうやら、今回の受賞でノーベル文学賞の雲行きというか傾向が変わったようで、そうなると、ハルキストは絶望せざるをえないことになるのでないか。そんな気がしてしまうとともに、安心してしまうのです。