カニ食いに行く(1)

 先日、丹後へカニを食べに出かけた。
 カニ食いといえばもう二十年ほども前から、越前の厨というところにある「毛利」という民宿みたいな宿へ通い続けてきていた。
 ここへ行き始めたきっかけは、岐阜県の高鷲スノーパークへスキーに出かけたことだった。
 スキーと言えば、五・六十年も前からずっと信州の八方尾根周辺に行くのが常だった。考えてみれば、そんなとんでもなく離れた場所であっても、大学の頃から行っていたから、大して苦にもならず、十時間以上もかけて高速道路もない道を一晩中走っていたのだった。
 ところが、二十年前頃から、そんな遠くまで行かなくても、いいスキー場ができ始めた。

 十分な広さがあり、雪質も悪くないスキー場があれば、高速道路もできて昔よりずっと早くつくとは言え、信州くんだりまで行くことはない。
 というわけで、週末のスキーは高鷲高原ということになった。
 あの時は、先代が満州から引き揚げてきて、この土地を安く買い、開墾したという農家の宿に泊まっていた。
 連日の吹雪で、楽しいスキーもできず、こんなことなら山越えで、越前へカニでも食いに出かけようか、ということになった。

 ぼくの仲間内では、カニと言えば越前ということになっていた。これにも理由があった。
 ある年の夏、高校生の夏山合宿に同行して有峰から薬師岳を越えて劔まで縦走したことがあった。若い顧問の先生が、ビールはぼくが担ぎます。先生には毎晩冷えた缶ビールを飲んでいただきます。そういうもんだから、ぼくは毎晩冷えた缶ビールを飲んで悦に入っていた。
 ところが、その効果は劔に着いた頃出た。痛風が発症したのである。
 スキーのストックにすがりながら下山したぼくは、一行と別れて福井で下車し、教えられた海べりの宿で休養をとることにした。
 
 その時の宿が冬はカニが専門の宿ということで、以後この「こばせ」という宿に毎年出かけることになったのだった。それも年末の恒例の「カニ食いバイクツーリング」というわけである。
 いつも十数人のグループだったが、雪に降られることが多く、毎年なかなかエキサイティングなツアーとなっていた。
 そんなわけで、山越えで越前へ行こうとしたのだが、たいした当てもなかった。当時はまだWi-FiなどはもちろんYouTubeなどもなかった。
 苦労して、部屋の電話コンセントを細工してパソコンにつなぎ、ネットにログインして、宿の電話番号を見つけ出した。

 半日かけてたどり着いた宿は、6畳ほどの部屋が二つ三つある粗末な宿だった。ところが出てきたカニは変わっていた。大皿に置かれたタグ付きの茹で蟹は腹を天に向けている。
 甲羅を上にすると美味しい汁が漏れてしまうのだという。漁師であった主人はそう唱えているのだそうである。
 確かに味は抜群だった。何より値段が安かった。以後近辺のカニも比較検討したが、ここに勝るものはなかった。そんなわけで、ずっと二十年もここに通い続けたわけである。
 ここ数年は、チャイナの手先のバイヤーが割り込んできて、買い占めるので、いいものを得るのが難しくなったという。苦情を言っても、金を払ってるんだから文句ないだろうと居直るので、手がつけられないと宿の主人は嘆いていた。
 今年も楽しみにしていて、出かけようとしたら、宿を閉めたという。おカミさんが病に倒れたという。かなりショックなニュースだった。
 
 そんな次第で、丹後に出かけることになった。知り合いの紹介でいいところが見つかったようだった。どうも、年をとると講釈が多くなっていけない。ようやく冒頭の丹後のカニに戻ってきたところで、一旦休止することにします。(続く)