縄文あれこれ 縄文時代


 縄文時代は、約1万3000年前に始まり、2300年前頃まで、1万年以上続いたとされています。
 こうしたとんでもない昔の年代をどうして測るのかというと、20世紀の半ばに考えられた、炭素の同位元素を使った年代測定によって、極めて正確に測れるようになりました。炭素の放射性同位元素の半減期が5730年であることを使いますから、動植物の遺骸が必要で石とか金属とかは測定できません。
 だから土器やら石器などは、それが出土した地層に含まれる植物などを利用するわけです。動物・植物は炭素を取り込みそれで体を作っていますから。

年代表記はBCですから、2000を足してください


 まず、この1万3000年前に土器の容器があったということは、特筆すべきことです。そんな頃に鍋で煮炊きをしていた人たちは縄文人以外に世界のどこにもいないのです。ぼくは「縄文人は毎日寄せ鍋を食べていた」とよく言っているのですが、日本人の世界に誇る食文化はこの時に始まったと言えるでしょう。
 数千年遅れで、世界の4大文明などというものが こります。縄文期でいう中頃のことです。その一つのインダス文明の一つのモヘンジョ・ダロ遺跡には、ぼくも1969年にトヨタ・ランドクルーザでシンド砂漠を走破して見に行きました。
 メソポタミア、エジプト、インダス、黄河など、こうした4大文明なるものは、みんな3000年かそこらで、なぜか消えて無くなります。
 ところが、縄文文明は1万年以上も続いたのです。こんな例は他にはなく、特筆すべきことだと思うのです。

 4大文明が滅び他理由として、木を切り尽くした末の砂漠化、あるいは抗争による滅亡などが言われているようです。
 北は北海道から南は沖縄の島々にまで、広がる縄文遺跡から出土する遺骨に、戦いの傷跡と考えられるものが、一切発見されません。
 我らが祖先の縄文人は、「もったいない」の精神でものを大切にし、「バチが当たる」と思って悪いこと争いごとを避け、平和な生活を1万年以上も続けたのでしょう。

 ぼくたちが教わった歴史では、渡来人(弥生人)が稲作をもたらし、弥生時代に入ったと成っていました。
 5年ほど前、こうした常識が覆る事実が判明しました。
 「岡山県灘崎町にある彦崎貝塚の縄文時代前期(約6000年前)の地層から、イネのプラントオパール(イネ科植物の葉などの細胞成分)が大量に見つかり18日、灘崎町教育委員会が発表した。」
 縄文時代から水田によるものではなかったにせよ、アワやヒエを含めた稲作が行われていたのは間違いありません。

 渡来人による混血が起こるようになったにせよ、弥生人が渡来したなどというのは大嘘で、それは江戸人がちょんまげを切って明治人になったと言っているようなものだと思うのです。
 日本人の学者の中には、日本を外国より劣位に置くことで安心するというか、そうしたいと思うけしからん輩が少なからずいるようです。

なんじゃ、これは。そんな気がしませんか?

 10年少し前の2015年、国立民俗博物館で縄文VS弥生という展覧会が催されました。
 こんなセンセーショナルなポスターを作りました。縄文顔、弥生顔などという話はここから発したのかもしれません。でもぼくに言わせれば、それは父親似、母親似みたいな話にすぎません。
 こんな話をでっち上げたのは、学者先生だったようで、そればかりか、縄文人の頭蓋骨と弥生人の頭蓋骨の捏造写真を出したことがバレたりしたのだそうです。博物館は学者先生に担がれたことになりました。
 そんなお粗末は、今回は無いようですが、やっぱりお隣の国に遠慮しすぎているような気もします。
 そもそも、弥生って、縄文のない土器が見つかった場所が東京都文京区弥生町だった。たったそれだけのことにすぎないわけで、縄文とは格が違います。日本人の祖先の縄文人はそのまま今まで生き続けているわけです。
 
 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です