新しい年を迎えて(その2)

 大学を終えて、化学を教えることになったぼくが赴任したのは、京都の桂離宮の近くにある桂高校でした。
 共産党や社会党の支援を受けていた蜷川知事の京都府は日本で有名ないわゆる民主教育の中心でした。社会党、共産党の違いはあれ、日教組傘下の京都府教職員組合は極めて強い存在でした。
 多くの活動家教員の影響を極力少なくするため、京都府教育委員会は、活動家の教員を一箇所に集めるという方法をとりました。その高校が桂高校でした。そうしたことを知ったのはずっと後のことです。
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