なでしこはなぜ勝ったのか

ぼくは、野球は好きではありません。これといった理由も見つからないのですが、どうも性にあわないような気がする。
むかし、誰かが「ほんまにハラタツノリや」といったのですが、ぼくはそういう名前の野球選手がいるのを知らなかったので、語呂合わせのシャレが分からなかった。

その頃、Numberという雑誌が原稿を頼んで来ました。若くてコワイもの知らずのぼくは、高校野球は高校生の人間形成を阻害するというような主旨の原稿を書きました。担任していた野球部の生徒の実例をあげながらの原稿は、けっこう説得力があるつもりだったのですが、いまにして思えば、とんだ若気の至りだったようです。
以後その雑誌からは、二度と原稿依頼は来ませんでした。

一方サッカーはきらいではない、というより、この頃では大いにはまっているというべきです。
話はむかしに飛ぶのですが、大学生の頃、文化祭最終日の体育祭マラソンでグラウンドでテープを切った直後のことでした。
文化祭には山岳部は三重県鈴鹿の御在所岳岩場で、岩登り合宿をするのが習わしになっていました。だからぼくは、鈴鹿からマラソンを走るために帰って来たのでした。マラソンの賞品は、なかなか豪華だったのです。このお山からのマラソン参加は毎年繰り返されたので、参加の連中はスタート前にぼくを見るといやな顔をしたものです。

ゴールを切って、深呼吸をしているぼくに、そのサッカー部のキャプテンは、「サッカー部に入ってくれませんか。直ぐにレギュラーで出てもらいますから」と息せき切った感じでいいました。
でもぼくとしては、山登りに夢中ですから、そんな気はさらさらなかったのです。でもキャブテンの是非にとの頼みに押し切られた感じで、練習試合に参加したのです。

とにかくボールを追いかけて必死に走りました。気がつくと、ぼくはグランドに延びて横たわっていたのです。20分とは経っていなかったでしょう。
ラグビー部の友人が「あほか、お前。づっと全力疾走してたら倒れて当然じゃ。ラグビーでもサッカーでも、ここちゅう時だけおもっきり走るもんなんや」

ぼくが、サッカーに興味を持ち出したのは、1997年の「ジョホールバルの歓喜」辺りくらいからでしょうか。「ドーハの悲劇」(1993年)などは、覚えがありませんから。
1998年の夏、ぼくはヨーロッパを旅していました。ある日、アムステルダムで昼食をとりに、レストランに入ったのです。なんか変でした。だれもテーブルに来ません。呼んで現れたボーイの態度がよそよそしく、そわそわしています。注文した料理も一向に出てきませんでした。

どうしたのかと問いただして、ワールドカップでオランダが戦っている最中だと分かりました。今だったら充分理解を示せたでしょうが、その時は、ちゃんと仕事せんかい、とけっこう憤慨したのを覚えています。
この時、オランダは準決勝で、ブラジルと対戦しており、延長戦にもつれ込んだ末、PK戦で敗れたのだそうです。プラジルは決勝戦で開催国のフランスと対戦し、3−0で破れています。

2002年には、ワールドカップ第17回大会が日本で開催されました。この時は、韓国との同時開催というかつてなかった形になりました。どちらも自国開催を主張して譲らなかったので、そんなら両方でやったらぁ、ということになったのだと聞きました。どちらかと言えば、野球一色だった日本にサッカーが多いに認知されることになったのは、喜ばしいことだと思っていました。

しかしぼくが、決定的にサッカーに興味を持ったのは、その2年後の2004年にUEFA欧州選手権でギリシャが優勝したことによります。
これは、まったくの驚き以外の何者でもなかった。ギリシャというのは、1930年以来ずっとすべて予選敗退、あるいはグループリーグ敗退でした。欧州選手権でも、1960年から予選敗退を連続11回も繰り返していたのです。
そんなチームが、優勝するなんて一体どうなったのか。興味を覚えたぼくは、録り置いたDVDで全試合を観たのです。

ドイツ人監督、オットー・ハーゲルの戦術は負けないで勝つ、守って勝つとというものだったようです。準々決勝以降の3試合はすべて1−0、しかも決勝点はすべてヘディングで決めていた。
ここでぼくが漠然と感じたことは、サッカーというのは強固な哲学みたいなものが必要なスポーツなのではないか、ということでした。

その頃偶然に観たのが、日本の女子サッカーでした。少し驚きました。力強さとかパワーはなかったけれど、なよなよしながらも、スポンとシュートを入れるところは、男のサッカー以上ではないかと思ったのです。何より観ていて楽しいサッカーでした。「女子サッカーってけっこうなもんや。男より上かもしれんぞ」とぼくはもらしました。それがなでしこだったのです。

今回ええとこまで行くとは信じていたけれど、まさか優勝するとは思いませんでした。だって、十数回勝つことなかったアメリカを優勝戦で破ったのですから。
で、本題なのですが、なでしこは何故勝ったのでしょうか。
皆が大騒ぎし、その理由に付いても色々といわれているようです。あげることの出来る理由はいっぱいある。そしてその全ては正しいと思います。

ぼくが注目する事実はひとつ。なでしこのメンバーは試合前に日本女子サッカーの歴史を記録したDVDを観ました。普通はやらないことでしょう。このことは決定的に重大だと思うのです。
彼女等は、来し方をふりかえり、今と比べ、そしてもし負けたらという危機感を共有し、勝つことへの決意をかためたのです。危機感、モティベーション、責任感などは極度に高まった。

ここから敷衍して考えられることがあります。
日本という国の歴史を振り返れば、これまで幾度となく、危機的な状況に立っています。それは、幕末であるし、明治期であるし、アジア・太平洋戦争であるし、そしてその度ごとに危機感を共有し結束して、奇跡的ともいわれるような立ち上がりを見せてきました。
今ぼくが思うのは、そうした歴史を学ぶことが極めて必要なのではないか。そうした危機感の共有があれば、子供じみた言葉狩りみたいなことや、ゆとりや遊びのない今日的状況を脱して、大人の対応が取れるようになるのではないか、というようなことなのです。

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