終戦の詔勅

日本が起こした(あるいは、起こさざるをえなかった)戦争は、あの「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び・・・」で知られる終戦の詔勅で終わった。
この玉音放送もまた録音盤に収録された。徹底抗戦を信じていた日本の国民は、この放送によって敗戦を知った。録音は皇居の地下室で行われた。徹底抗戦を主張するごく一部の軍人グループは皇居に乱入し、この録音盤を奪い取って玉音放送を阻止しようとした。隠されていたので見つけ出せず、放送阻止は未遂に終わったという。

ところで、みなさん。玉音放送を全部聴いたことはありますか。ぼくはない。先頃、敗戦記念日前後で、相次いで太平洋戦争関連の番組が放送された。興味を持ったぼくは、インターネットで玉音放送の全文を知ることがで出来た。驚いた。特に次のような一節があることを全く知らなかった。

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ぼくは軍国少年ではなかった

どうやらぼくは軍国少年ではなかったと思える。同年輩の人たちの話から、考えるとどうもそんな気がする。どうしてか、少々気になることではある。何故なんだろうと考えてみた。

満一才になった時から小学生に行くまでの期間、ぼくは祖父母の元で育った。そこは、丹波の山里で、鹿が現れたり、狸が樹に攀って柿を食べていたりというような場所だった。町中にいたら、大人達の話を聞いて戦争のことも少しは聞き知ったかもしれないけれど、トンボや蝉と遊ぶ子供には、まったく関係のないことだった。
学校に行くようになっても、この傾向は変わらなかった。だから、国民学校の門をくぐって、奉安殿の前を通過するとき、「歩調取れえ」「かしらみぎい(頭右)」と号令をかけていても、それはたんなるプロシージャーに過ぎなかったようだ。(奉安殿というのは、天皇陛下のご真影が収められている建物で、校門を過ぎた辺りにあった)

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