「9.11で世界は変わった」と10年前の2001年に、ぼくは書きました。(ウェブサイトの記事索引から「体験的自然教育論もっと外で遊ばなあかん(1)」参照
9.11のあと何を信じたらいいのか分からないような状況になったと感じ、では本当にぼくにとって信じられるもんはなんなのだろうかと考えました。考えあぐねて到達した信じられるものは、自然だった。大自然の中には、神がいると言い切れると思えましたし、自然そのものが神だった。
山登りを始めた頃のこと。雷鳥沢をあえぎ登り別山乗越に出ると、劔岳を眼前にする。初めて見た時は本当に衝撃を受けたものでした。その巨大な偉容は、まさに岩の殿堂と呼ばれるにふさわしいエネルギーの塊だった。右の方八ツ峰からチンネ、主稜線から主峰に至るスカイラインは、さらに左に早月尾根につながる。そしてカニのはさみから猛々しい岩峰の獅子頭、そして2600峰にと下る。カニのはさみとは、よく名付けたと思われる、まさにカニのはさみのように尖った岩峰が二つに裂けていました。何年かして、いつとはなしにカニのはさみは消えた。はさみの片方が欠け落ちたのです。
穂高岳の滝谷にはクラック尾根という岩尾根があり、そこにはメガネと呼ばれる箇所がありました。岩尾根が極度の薄くなってそこに穴があるのです。メガネもやがてなくなりました。
黒四ダムが出来てしばらくした頃、その上流の黒部峡谷に黒五ダムができました。でもこれは人間が作ったものではありません。御山谷の山が大きく崩落して黒部峡谷を塞き止めたのです。それは、自然が一夜にして作ったダムでした。
翌年、この自然のダムの上流に行き、イワナを釣りました。背骨の曲がった岩魚が釣れたのです。多数の岩魚が死んだのだと思いました。イワナも大変だったのだと想い考え込んだものでした。
人間は自然保護などというけれど、自然は大きな自己破壊を行うものである。自然の一部である人間もまた破壊されることは避けられないのではなかろうか。
黒部の源流で、太腿ほどもある岳樺の樹がなん百本も、まるで神の大刀で切り取られたようになっているのを見たことがあります。固い雪でコンクリートされた所を、新雪雪崩のエネルギーが薙ぎ取ったのだと思いました。
津波は海の雪崩みたいなものなのでしょう。
3.11以後、日本は間違いなく変わったと思います。また変わらなければならない。