少し前、スティーブ・ジョブスが亡くなって、マッキントッシュのことを書きました。
それで、むかしコンピュータの雑誌に『パソコンおりおり草』というタイトルでエッセイを連載していたことを思い出し、<高田直樹ウェブサイトににようこそ>にこれを、載せることを思い立ったわけです。
ふた昔以上も前のコンピュータに関する記事はノスタルジーもあって、興味を持って読んでくださった方も多かったようです。なかには、これは一種の文化遺産ですよなどという人もありました。
この28回の連載が終わると、調子に乗ってしまった僕は、すぐにつづけて、単行本にならなかった山渓の連載『なんで山登らへんの』アップすることにしたのです。
この15・6年前の『なんで山登らへんの』、けっこう雑な推敲を経ていない駄作だと、その当時は思っていたのですが、今改めて読んでみると、その内容が結構面白いのです。その当時はあまり理解されなかったようなのですが、今になってみると、なにか予言めいたことが多く書いてあったことが分かります。
このシリーズも今10回まで来ているのですが、この1956年2月号の「守銭奴の国の行く末を担うのは、誰や」という項は、手前勝手的になかなか面白いと思いました。
なので、ここに転載することにした訳です。
なんで山登らへんの 第10回 1996.2.1
体験的やまイズムのすすめ
先日のウィンドウズ95騒ぎは、まるで馬鹿みたい。大体「すごいですねぇ。ウィンドウズ95」などという人がいたら、その人はほとんどコンピュータが分かっていないと考えていい。大宣伝の親方・発売元のビルゲーツも言っているとおり、「そのうちにはマッキントッシュOSに追いつきたい」というような代物で、発売と同時に次の製品97がアナウンスされるような、中継ぎ製品なのです。
ところが、それに人びとはお祭り騒ぎのように群がった。
どうやら日本はおかしい。
ボジョーレ・ヌーボー騒ぎみたいなもんではないか。ぼくはそう思いました。喜んで買って帰っても、まったく旨くない。
ウィンドウズ95の場合、買って帰ってすんなり動いたという人はそんなに多くなかったはずです。
一方では、取り付け騒ぎみたいなことも起こっている。相次いで銀行が倒産してゆく。
住専処理問題では、ほとんど国が抱えたに等しい莫大な借金を解消するのに、冷静で論理的な方策を探るかわりに、甘え根性丸出しで責任のなすりあいをしている。にもかかわらず、大半の日本人は国を信じ切り、まあ何とかなると太平楽を決め込んでいるという感じです。
外国から金を借りるのにジャパンプレミアムという特別な金利を上乗せしないと借りられないくらい円は信用をなくしているのに、官僚も国民も、経済大国意識が抜けず、アジアの国ぐにを見下している。
先日のAPEC大阪会議での出来事は、結構けっさくで、ぼくは大笑いしたものでした。
事務局が、参加した国々の報道関係のスタッフにホームステイをしてもらおうと、大阪市民に呼びかけ協力家庭を募ったのだそうです。正確な数は忘れましたが、何百もの家庭からの申し込みがあったそうです。ところがやってきた記者達からの反応はまったくなかったのです。
あわてた主催者側は、急進計画を変更して、夕食だけの訪問に切り替えたのだそうですが、申し込みはたったの3人だったといいます。ぼくの思い過ごしかも知れないのですが、この企画にはひょっとして、アジア人蔑視があったのかも知れない。
だいたい報道関係者は、仕事で来ているのであって、遊びやお金稼ぎに来ているアジアの留学生とは大違いです。日本人が馬鹿にしているかもしれないタイ人にしても、日本に留学するのは、二流三流で、エリートはアメリカ、ヨーロッパにゆく。
もともとホームステイなどというものは、個人レベルで行なわれるべきことではないかと思うのです。例えば、外国旅行先でその国の誰かと知り合って、食事に招かれる。そこで日本に来たら私の家に滞在しなさいよ、というような話になるわけです。
ほとんど全ての日本人は、パックツアーだから、こんな出会いやチャンスは絶無です。それに、そういうコミュニケーションが取れるような教育を受けてもいません。金儲けのビジネスとしてパックツアーが成り立っているわけだし、ホームステイも日本のそれは、馬鹿な生徒・学生の親をたぶらかせて稼ぐビジネスとして成り立っています。
ぼくが、オックスフォードのフェリックス家にホームステイしていたとき、近所の家にホームステイする女子大生が、日本への電話代に毎月15万円を使うといって日本の親は馬鹿じゃないかと近所の評判になっているという話を聞きました。
でも、日本ではオックスフォードに留学して素敵ということになりそうです。
ところで、ぼくのこうした批判的な言説に対して、かなりの日本人が、なんだか自分がけなされたように感じ、がっかりしたり憤ったりするようです。
そういう人たちをぼくは国際性のない人と呼ぶことにしています。考えてみれば、50年ほど前、マッカーサーに「日本人の精神年齢は15歳」といわれ、失望落胆し憤慨したときからなんの進歩もないみたいです。
やっぱり、日本はすこしおかしい。
*
ここで、アメリカのレビ・バトラ教授の唱える社会周期理論を紹介してみましょう。この説は、彼の信奉するインド人のサーカ博士の理論に基づいており、従って、カーストとヒンズー教の教えにのっとっているようです。
レビ・バトラは70年代にソ連邦は崩壊するという論文をものします。そして、これを本にしようとしますが、相手にする出版社はありませんでした。
そして本当にソ連邦崩壊が現実となったとき、彼の本はベストセラーとなりました。
さて、彼の社会循環説(これはぼくがかりにそう呼んでいるのですが)は、次のようなものです。
人間には、四つの種類があり、これは遺伝子によって決定づけられており、変えることは出来ない。
一つ目のタイプは、軍人タイプ。武人。このタイプの人間は、闘争と冒険、探検を好む。
二つ目のタイプは、有識者タイプ。文人。この種類の人は、美的センスを持ち、真理の追究に興味を持つ。
三つ目のタイプは、守銭奴タイプ。富者。この種の人の最大の興味は、お金でありお金を運用したり貯めることに情熱を傾ける。
最後は労務者タイプ。このタイプの人には、特にさしたる目標があるわけではなく、毎日働き食べられればそれでよしとする。
レビ・バトラに依れば、国家・社会は、このどのタイプの人間が権力を握るかによって、その形態が定まるとします。
最初はすべて、軍人国家から始まります。やがて安定期が訪れると、文人国家に移行しそしてやがて守銭奴国家となる。
守銭奴が権力を握ると、法津は守銭奴タイプに都合の良いように書き換えられてゆくし、モラルや習慣もそのタイプにとって都合の良いものに変化して行きます。
そういう国家形態を作るために最大限に協力させられることになった、もともと能力のある軍人タイプや科学者、文人芸術家タイプの人間は、自分たちも搾取の対象となっていることを知ると、反逆を企て、国家の転覆を謀ることになります。
こうして起こった変革あるいは革命によって、守銭奴の国家は崩壊し、一時的に労務者の国家が成立しますが、すぐにまた軍人国家が成立し、最初の形態に輪廻します。このようにして国家形態の循環が繰り返されることになるというのです。
この流れは、モデルですから、ひとつのステージのなかにまた別の流れがあるといった重層的な見方も可能であるし、常に一時的な逆の動きもあるわけです。
レビ・バラフはロシアはいうに及ばず、ギリシャやローマに始まって日本にまで言及しています。(参照レビ・バトラ『世界経済大崩壊』)
NHKの大河ドラマ『八代将軍吉宗』を見ていても分かりますが、徳川幕府は明らかに軍人国家として成立し文人国家に移行して行く様が見て取れます。
軍人と文人がせめぎあった明治の政府は、やがて軍人国家となり、敗戦によって擬似的に文人国家となったようです。そして守銭奴国家への移行が完了して久しいといえます。
東京の美濃部都政は文人タイプだった。鈴木都政はまぎれもない守銭奴タイプ都政だったといえるようです。青島都政や横山府政はどうなるのでしょうか。バトラ説からすると、あまり長続きしない労務者タイプということになるのですが……。
そして、いまや日本が世界一流の守銭奴国家であることに疑いを挟む余地はまったくないようです。
登山はもともと探検・冒険と密接に結びついていました。
登山の発祥ともいわれる、ド・ソシュールのモンブラン登山では、彼はヨーロッパの最高峰モンブランに登ろうとし、自分では無理だとこの山に懸賞金を掛けます。みごとこの山の初登頂を果たし賞金を手にしたのは、石切職人のジャック・バルマーでした。モンブランに登るには、氷の壁に数しれない足場を刻む必要があったからです。
次の年、彼の案内で、ソシュールも登頂しますが、その時頂上で、彼が最初にしたことは、アルコールランプに火をつけ、雪を溶かし湯を沸かすことでした。のどが渇いていたからではありません。水の沸点を測定しようとしたのです。
マッターホルンをめざしたウィンパーにとって、この山は自分に挑戦している闘争の相手でした。またウィンパーと同じくイギリスから遠征し、数々の新ルートを開いたママリーもおなじく軍人科学者タイプの人間といえます。
またエベレストに初登頂したイギリス隊の隊長ハントは職業軍人でした。登山戦術やロジェスティックスは軍事行動そのものでした。
そして社会が変わるとともに登山の形も変わってきたといえます。
かつて、アメリカで「この国からエベレスト登山隊を出すなどということは、ホワイトハウスの庭にレーニン像を建てるのとおなじぐらい難しい」といわれていたのは、有名な話でした。
ところがそのアメリカから大きな遠征隊が、どんどん出るようになってきたのは、アメリカが、守銭奴国家になってくるのと歩調を合わせていたという気がしています。そうした登山の映像が、商品価値を持ち投資の対象となってきたということなのでしょう。
オリンピックの世界でもかつてあれほど嫌われたお金が大手を振ってまかり通り、世界中の国が金儲けのイベントとして開催国になりたがる。
いまや、冒険や科学技術自体が金銭で計られる時代となり、そういう状況の中でかつてのパイオニアワークなどと呼ばれた登山は死に絶えてしまったかのようです。
そして、冒険的な要素という最も重要な部分を抜き取った山登りがアウトドアの一つとして広まりつつあるようです。 ぼくはいま北海道ニセコヘスキーに来ています。2年間まったくスキーから遠ざかり、そして今回は2年ぶりに2度目のスキーというわけです。
一回目は今年の二月、パベルに誘われて、はじめてスイスでスキーをしました。日本人が大好きなグリンデルワルトやツェルマットより手前の、レマン湖を少し過ぎた辺りのローヌ河左岸山腹のモルジャンスキー場です。
アムステルダムを夜中に出発して、現地には早朝に着きました。
町外れの道には10台を超すキャンピングカーが止まっていました。中はみんな犬舎になっています。そばの雪原ではハスキー犬10匹に曳かれた犬ぞりが何台もトレーニング中でした。
明日の日曜日に競技会があるので、愛好家達がヨーロッパ中から集まってきたのです。
なんとものどかな感じです。
初めてスイスでスキーをしてまず感じたのはこののどかさでした。スキーヤーの年齢が高いからでしょうか。もう日本では見られないような流れ止めを付けた古いタイプのスキーを履いた80歳近いオールドスキーヤーも沢山いました。
リフトで数回上がったり滑り降りたりを繰り返したら、立山から薬師ぐらいまで行けてしまいそうな、広大な連山には、稜線近くから下方に全面のデブリが見て取れました。新雪のつもった朝には、危険防止のために爆薬を仕掛けて全斜面を雪崩させるのだそうです。
それほど格段にスケールの大きいスキー場に、ゴンドラがまったくなく、またTバーリフトがやたら多いのに驚きました。考えられないほど長いもの立派なものが多く、中級コースもTバーでした。
Tバーは支柱も単純でいいし、環境破壊も少ない。設置の費用が掛からないだけ料金も安くなる。
ニセコの東山ゲレンデでは、突っ立つたままゆるゆると滑るくらいの長い緩斜面のコースに豪華なクワッドリフトが、人っ子一人乗せないままむなしく動いていました。とんでもないエネルギーの無駄遣いではないか。そしてその料金に跳ね返って、高いリフト料金となっているはずです。
スイスでは、リフト料金はまちがいなく日本より安かった。
ところで、今回のニセコスキー行決定の大半の理由は、その価格にありました。大阪空港ーニセコ3泊4日12食付きで4万千百円という信じられないような安さなのでした。ただし、期間は12月17日までで日曜出発でないといけません。
ぼくがスキー用具一式を新品で揃えたのを知ったトッツァンが、パンフレットを山ほど抱えて現れ、このセットツアーを推薦したのです。
それにしても、この安さはなんなのだろう。比羅夫へのバスの中で得たぼくたちの結論は、安いのではなく、普通の時が高すぎるのだというものでした。
ここに来る前、アムステルダムのパベルからファックスが来ました。〈来年の1月20日~27日またモルジャンにスキーに行くから一緒しないか。部屋にはシャワーだけで、共同トイレだけれど問題はないだろう。7泊2食付きスキーパス付きで、900ギルダー(約5万3千円)。レンタカーを借りない場合、ジェノバまたはチューリッヒからの足代は100ギルダー(約6900円)〉などとありました。
日本から比べるとかなり安い。施設設備を勘定に入れるとうんと安いということになりそうです。
たしか一昨年、パベルが来日していたとき、大学生のぼくの末娘のアルバイト(ホテルでの結婚披露宴の給仕)の時間当たりのペイが1100円を越えるときいて、彼はえらく憤慨したものでした。学生にそんなにお金を与えるのは、本人のためによくないというのです。
親からもらいバイトで稼ぎようやく貯めたお金を、行かずとも済む高いペンションでの合宿で使い果たさせる。そんな図式でお金を回し経済活性化を図るなどというのはもう流行らせるべきではない。
*
千歳の空港について、目新しかったのは、ボーダーと呼ばれる若者の集団でした。彼らはみんな不思議に群れて、膝を抱えて床に座り込んでいます。
トオルが、「ボーダーはなぜかみんな座るんです。格好が汚いでしょう。ボードを買ってもう服を買う金がないんです」
なるほど、あまりきれいな身なりの若者はいません。ピアスをしている者もいるし、毛を染めた人もいて、スキーヤーよりフリーな感じです。
「ほれ、かわいい娘が多いでしょ。これもボーダーの特徴です」とトオルはいやに断定的に続け、そういわれてみれば何となくそんな気がしました。
ゲレンデでもボーダーがやたら増えていました。ゴンドラ乗り場に張り紙があって、ボーダーの皆さん今シーズンより乗車できます、と書いてありました。増え続けるボーダーを無視できなくなった結果なのだそうです。
リフトを降りて、ボードをセットしているボーダー達を見て、ぼくは突如理解したのでした。彼らがどこででも床に座り込むのは、ボードをセットするときにいつも雪面に座り込むからなのだろう。
雪にお尻を付けるということが、転倒の末の屈辱の姿勢であるスキーヤーと異なり、ボーダーにとっては、さあやるぞという待機のポーズなのです。
服装がきちんとしてないといっても、ボードは服装で滑るわけではない。無駄なことにお金を使わないというのは一つの識見というべきです。若者がブランドもののスキーウェアを着て満足するなどというのは、リクルートウェアを身につけるのと一緒でほめたもんではないと思うのです。
むかし、スキーは、高校生がやるには贅沢すぎると顰蹙を買っていました。毎年、山岳部主催のスキー講習会を職員会議で認めさせるのはたいへん苦労したものでした。そこで、前もってかりに山岳部に入部させ、スキー合宿という名目で実施しないといけないこともあったほどです。
ところが、いつほどからか、これがビジネスになると見込んだ旅行エージェントが乗り出してきました。
教師たちは、生徒集団を管理しやすいし、日中は生徒をインストラクターに任せきりにして、この時ばかりは保護者面をしていられる。夜は女生徒部屋の前の廊下で張り番の苦労もないというわけで大喜び。ロッジ、ペンション、ホテルでもハイシーズン中の端境期を埋めてくれると大歓迎。あっという間に修学旅行に替るスキー研修旅行が日本中をおおいました。
しかしもともといじめ問題に見られる如く、根本的に構造に欠陥を持つ学校がスキー研修でも同じように脱落者を生み出したのでしょう。
たしかに生徒は、スキーは楽しかったという。しかし、もともと学校での授業でなければ、なんでも楽しかったのです。
「早い段階で挫折したスキーヤーがボーダーとなる」というトオル説を聞いてぼくはなるほどそうかも知れないと思いました。そうだとすれば、今の画一的で大量生産の工場労働者を生産するように体系づけられた、学校という歴史的構造体の主催するスキー研修からの落ちこぼれの若者ボーダーが新しい日本を担うのではないだろうか。
ラングコンペにケスレーGSカービングターン205皿、イタリア製のウェアと全てを新品で身を固め、還暦の自分を忘れてぶっ飛んで、脚がつりそう心臓が破裂しそうになったぼくは、ぼんやりした頭でそんなことを考えていたのでした。