ぼくが望む死のデザイン(1996.9.1)

なんで山登らへんの 第17回 1996.9.1
体験的やまイズムのすすめ


 朝起きて人は朝刊を読む。でもぼくの場合、寝る前に朝刊を読むのが常です。
 決してすがすがしい気分でもなく、なかばボーとして、ぺらぺらとぺージを繰りながら、タイトルを見てゆくという感じです。昔からの習慣のせいかスポーツ欄はまず見ません。
 不思議なことにこのごろは、昔はおもしろくもなんともなかった一面に面白いタイトルが並んでいると思うことが多いのです。
 さきごろのリヨンサミットの時などは、日本の首相もようやく平常の構えで振舞えるようになったと、そのパフォーマンスのような写真を見ながらうれしく思ったのです。これまでの首相は、みんなまるで中国の高官のように、やけに構えてこわばった笑顔あるいは変に尊大な態度などが多いように思っていたからです。
 もっとも、あまりに明るすぎるのか、深刻な表情の他国の首相と対照的で、いまの世界が直面している大変な状況の理解が、もしかしてちょっと少ないのではないかしらと、ほんの少々心配になったのですが……。
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