いじめ自殺事件について(2)

table1大津市のいじめ自殺事件の報道は、なおも続いているのだが、先頃BS11のプライム・ニュースという番組で、この事件を取り上げていた。
政治問題などもゲストを呼んで、かなり突っ込んだ内容だったりするので、時々は見ていた。
キャスター2反町という難しい顔をした少々目つきの悪いフジテレビ政治部編集委員という肩書きのメインキャスターと、きれいな顔で賢そうな大島という女性のサブ・キャスターそれに解説委員の小林泰一郎の3名が局側のスタッフである。
「日本の教育現場、いじめの現状と対策」と銘打ったこの番組で、ぼくが興味を持ったのは、ゲストの二人がどちらも愛知県と関わりを持った人間だったことである。

戦後の日本の教育は、日教組と文部省の対立の中で、生徒を置き去りにしたままに進行して来たという事実がある。その対立の中で最左翼といわれ、民主教育の本山とされていたのは、京都であり京都教育と呼ばれた。一方愛知県はその反対の極にあり、京都で蜷川府政が風化崩壊した頃、京都府教委は校長候補生の教員を愛知県に研修に送って日教組つぶしを学ばせたりした。その愛知県からの二人のゲストである。

ゲストの一人、斎藤嘉隆氏の経歴に興味を持った。Wikipediaによると1991年愛知教育大学体育科を出て小学校教諭となったが、5年して1996年に名古屋市教組の執行委員となっている。2000年には愛知県の県教組の執行委員、2003年に連合愛知執行委員(連合というのは日本労働組合総連合会)、2007年愛知県教祖執行委員長連合愛知副会長、そして2009年教育委員会に移ると共にすぐ退職し、民主党に入って2009年佐藤泰介参院議員の地盤を譲り受けて、2010年民主党の一回議員となっている。
大学を出て、5年は現場の教員だったといえるが、以後は教員組合の専従教員で、ほとんど教育現場にはいなかったのではないか。京都では、組合専従になると授業はほとんどないくらい減免され、組合活動に専従するのが常であった。
番組の紹介にあるように20年間小学校の教諭だったという説明は、籍はあったのだろうが、少なからず嘘といっていい。また、教育委員会にも出向したという紹介も、嘘ではないが、それで教育委員会の実態が分かるとは思えない。教育センターというところは、教育委員会の管轄ではあるが、ちょっとした離れ小島で、例えば京都では、組合の強力なイデオローグなどを島送りする場所であったりした。だから、教育現場での経験と、委員会の実情が分かっているとも思えないのだ。
どんなことをしゃべるのか興味を持った訳である。

もう一人のゲスト、内藤朝雄氏。1962年東京都に生まれだが、愛知県立東郷高校を中退。同高校在籍時代は、愛知県各地で実施されていた過酷な管理教育の洗礼を受ける。この体験は、後の内藤のスタンスへ大きな影響を与えることになった、とWikipediaにはある。(おそらくいじめも体験したと思われる。TV画像の、その少々エキセントリックな表現をききながら、この人はほぼ間違いなくいじめを体験していると思った)。その後、通信制高校をへて山形大学へ、さらに東大大学院総合文化研究科に進学。博士課程取得後、明治大学准教授となり、東大と立教大の非常勤講師でもある。
『いじめの構造〜人はなぜ怪物になるのか』ほか、いじめ関連の本をたくさん書いていて、いじめ研究の第一人者とされている。

この対照的な二人がどんなことをしゃべるのか大いに興味を持った。
この番組を見ながら、教師だった昔が色々とフラシュバックし、バカかと思ったり、なるほどと感じ入ったりした。
番組の終わりがたに、斎藤氏が、いじめの問題はクラスで話し合って必ず解決できると、大昔の組合理論を述べ、内藤氏がそういう話し合いは、つるし上げの場になることもあるとちょっと反論するという場面があった。
むかし、「一人の悩みはみんなの悩み」というクラスの標語みたいなものがあって、職員会議でこの考えがやたらに教条主義的に強調され、みんなで話し合って解決しようと強制されるような場面があった。ぼくはそういう組合的な集団指導や集団主義には懐疑的だった。
教師になりたてのぼくは、60年代当時、まだあまり知られていなかったノンディレクティブ・カウンセリングの研究をしていたので、少々馬鹿らしくなって、こう発言した。生徒の一人が、ペニスが小さいと思い悩んでいたとして、そうした短小コンプレックスはクラスの話題になりますか。一同あっけにとられたようだった。
この辺りのことは、京都新聞連載の『いやいやまあまあ』の「問題生徒はぼくのカウンセラー」に書いています。

さて、このTV番組は、面白かったので、テープ起こしをすることを思い立ち、2晩かかって文章化しました。それは、A4用紙に打ち出すと16ページにもなる大きなドキュメントなので、<高田直樹ウェブサイトにようこそ>に資料としてアップすることにしました。BS11 プライム・ニュース「日本の教育現場、いじめの現状と対策」

この番組で、ぼくが驚いた内藤氏の指摘は、<いじめの論理的な思考基盤は教師によって作られている>ということでした。そうであるとすれば、かつてのいじめ自殺での葬式ごっこで、担任教師が一緒に寄せ書きに一筆したたためていたということも理解できると思えたのです。

興味があって少し忍耐強い方は、全文を読んで頂けばいいのですが、ここに適当にピックアップしてみましょう。
●いじめはどこでも起きるし、日々起きている。しかしいい条件のもとでは、それは蔓延しないしエスカレートしないし、死ぬほど追いつめるまでには行かない。
●だから、いじめを起こさないとか無くするんじゃなくて、いじめが蔓延してエスカレートして人を追いつめるまでに行かないようにするにはどうしたらよいかと考えることが重要。
●いじめのイメージとして、カビは、暗くてじめじめしていて、温度が高いと必ず大繁殖する。その環境を変えれば大繁殖は止まるのだけど、そうはしないで、大繁殖したカビを懸命になって手で拭っている、これがいまのいじめ対策です。
●原因は、閉鎖的な生活環境。しかも、仲良くすること、ベタベタすることをことさらに強調し、勉強することよりもむしろ共同生活をみんなで響き合ってするということを実質的に強調している。この空間が危ない。

彼の指摘に生徒集団の「のり」の指摘がユニークだと思いました。彼はこういいます。
●まず、自分たちの秩序感覚というのが狭いところに閉じ込められた仲間関係の響き合い、ともに感情が響き合う、その中でどんな勢いがあるか、その勢いに従って自分もそういう気持ちになる。そういうことがもっとも大事なことであり、要するに一昔前の「天皇は神聖にして犯すべからず」をもじっていえば「ノリは神聖にして犯すべからず」

そこへ加えて、教師は、協調性がなければならない、社会性がなければならない、集団生活に適応しなければならない、友達と仲良くしなければならない、と教えている。これはもう教師は、いじめの倫理根拠を教えているのではないかとぼくは思ったのです。
比較的最近になっていわれだした考えだと思うのですが、空気が読めないという概念。空気を読んで、みんなのノリに同調する。そうしない奴は空気が読めないとして排除される。ぼくのような年寄りには理解できないのですが、今日びの若者子供にとって、ノリは大変重要なことらしいのです。テレビのバカ番組を見ればそれが分かります。

内藤氏はこう言う。
●それが、あの実は、ものを盗んじゃいけない。人を殴っちゃいけない、ある意味で人を殺しちゃいけない以上にある種の倫理秩序になっちゃうんですね。
●いじめ加害者は、被害者を「虫けら」としか思っていないんです。虫けらとしか思っていない虫けらを「友達」と呼び、「友達」と思わせて遊んでいる。グループでその「友達」を飼育し、遊びじゃれている。

仲良しの論理的規範を説く教師がこれを見抜くのは難しいのでしょう。だから、ふざけていただけという説明を仲良しグループという認識のもとで納得してしてしまうのではないでしょうか。

むかし、ぼくのいた高校にある教師が転任してきて、山登りが好きだからと山岳部の顧問になりました。彼は、前任校のホームルームをすばらしいクラスにしたと自慢し、クラス特製のTシャツを作ったなどと話しました。金八先生などが大嫌いで、そういう教師などを認めないぼくは、ヘーそれはよかったね、などと言っていました。
彼は、今度の高校でも同じようにしようとしたけれど、こっちの高校は笛吹けど踊らずで、その先生ノイローゼ以上の精神異常になってしまいました。その先生を治療もかねて山岳部の生徒と一緒に、黒四ダムー御山谷ー剣沢ー剣ー早月尾根ー馬場島という山のルートに連れて行きました。そしたら病気は治ってしまった。
まあこれは関係ない話かも知れないけれど、いずれにしろ、教師をノイローゼにするようなクラスではいじめは蔓延しないのではないかと、そんな気がしたのです。

特集:いじめという名の犯罪

「ニューズウィーク」の最新号では、「いじめという名の犯罪」という特集が組まれており、そこに内藤朝雄准教授の考えが紹介されています。
内藤の研究によれば、現行の学校制度は、子供たちを学級という極端な閉鎖空間に閉じ込め、仲間内に埋没させるシステムだ。その下では、法が支配し、人の命を尊いとする市民社会の秩序が後退し、独特の「学校的な」秩序が蔓延しがちになる。群れた中学生を支配するのは、その場の「空気」や「ノリ」であり、いじめもその場の空気やノリに合っているなら「よい」行為になる。
また同じ記事の中で、大津市市教委の全く、驚くべき的外れな対策が紹介されています。
自殺後に開かれた保護者の集会で、学校側は今回の事件を受けて「人の命の大切さを教えています」と説明したのだが、その中身は東日本大震災の津波被害の映像を見せることだったという。「いじめと津波を一緒くたにしている時点で駄目」と保護者からは失笑が漏れたという。
「命を守る」と書いたボードを掲げ、私の政治理念と唱った斎藤氏が想起されて、笑ってしまったのでした。

では、対策はどうするのか、内藤氏の言う<学校の法化>と<学級制の廃止>についてや、いじめの二類型<暴力系>と<コミュニケーション操作系>とその対策などについては、全文を読んでください。

このかなり長いブログを書き終わって、ぼくが考える喫緊の対策は、通信制中学と通信制高校の設置です。通信制高校は京都にもあるが通信制中学はあまり聞かない。いずれも学校教育法に規定されているはずなんですが。内藤氏も、<学校の法化>とか<学級制の廃止>というような方策だけではなく、文科省の結果的にはおざなりの調査や援助チームの派遣などという訳の分からん対策を嗤うだけではなく、自分の体験から通信制の再評価と再設置を唱えたらいかがでしょうか。内藤氏は反町氏に、ではそういうことはどうしたら実現するんですかと執拗に問いつめられ、「いじめられた子供が後に立候補して議員になり、法律を変える」などという無責任と思えることを言っていてはいけない。

それにしても、日本の教育を受け、みんなが空気が読める人間ばかりになり、ノリばっかりを重んじることになると、みんなで明るく楽しくノリながら、日本は滅びて行くのではないかと案じられるのですが。

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