聖域はあったのか?!

 安倍さんはオバマ大統領と共同声明を出して、聖域はあるとして、TPPへの参加の意思を表明しました。
 聖域があったとしたのは、センシシビティーが存在することを認識しつつ、すべての関税を撤廃することではないという部分だったと思います。「認識しつつ」であって「認識して」ではなかった。この部分けっこう重要だと思うのです。
 当該部分、共同声明の第2節を抜き出すとこうなります。
 「日本には一定の農産品、米国には一定の工業製品というように、両国ともに2国間貿易上のセンシティビティーが存在することを認識しつつ、両政府は、最終的な結果は交渉の中で決まっていくものであることから、TPP交渉参加に際し、一方的に全ての関税を撤廃することをあらかじめ約束することを求められるものではないことを確認する。」
 では、センシビリティーが存在するということ=聖域があるということになるのだろうか。この辺りにぼくは違和感を感じた訳です。

 日本は、その文字表現において、三通りの方法を持つ世界唯一の国だとぼくは思っています。歴史的にいうと、万葉集ではいわゆる万葉がなにおいて漢字の音読み訓読みを巧妙に使いました。その後源氏物語では漢字まじりの仮名文学となりました。ほとんど時期を同じくしてカタカナも使われるようになったと思われます。
 外国人に日本語の文字表記について尋ねられて、それは3通りある。<ア>音の表記に「亞」と「あ」と「ア」と書いて示すと、誰もがびっくりします。
 この柔軟自在な表記方法を持つことは、日本語の長所であると同時にまた弱点ともなることがあると思っています。

 日本では外来語や外国の単語は、カタカナで表記されるのが常です。ところが、中国語ではコカコーラは「可口可楽」ベンツは「奔馳(bēnchí)」エルメスは「愛馬仕」などと、近い音で同意の漢字を当てているようです。漢字は元々表意文字ですから、この変換作業でその内容が変異し固定されることが起こりえます。
 日本では、明治期にこうした漢字熟語への大量の変換が行われました。この作業は実に大変なことで、高度の学識と漢字に対する深い造詣がないと出来ないことでした。そのためこうした日本が作った西洋概念に関する熟語は中国人(シナ人)によって支那に持ち込まれました。
 思想・哲学分野のみならず、科学分野でもその術語をすべて日本語として翻訳しました。中国の元素名との比較表を見ると、日本語の柔軟性が見て取れます。中国元素周期表

 話を元に戻します。
 センシティビティーSentivityというのは、知的・情緒的に感受性が鋭いとか、過敏性を表す言葉で、聖域とはかなり違います。聖域というのは、神聖な場所だから手を触れてはならないことや場所を表します。
 だから、正確に訳せば、「過敏で微妙な分野」が存在するということで、そういう「手を触れてはいけない部分」ではありません。
 もともとこの言葉が日本の政治で使われたのは、小泉政治での「聖域なき構造改革」だったと思います。このときの聖域とは、郵政事業や道路関係四公団などの民営化など、それ以前には手をつけることが出来なかったことをやりますよという政治スローガンでした。
 ところが「聖域なき関税撤廃」では、聖域を認めることを要求しています。小泉政治では聖域を認めないと主張し、今回は真逆に認めることを条件としています。安倍さんはこういう真逆の戦略が巧いともいえるのでしょうか。インフレ上昇率2%だって、もともとこの閾値はインフレを押さえ込む為に作られたものだったのに、世界で初めてデフレ状況の中で物価を引っ張り上げる為の目標値として、やはり真逆に使ったとも言えると思うのです。

 共同声明のどこにも、聖域という言葉も、またそうしたニュアンスの部分もないといえます。ただ過敏な部分がある、アメリカでは一定の工業製品、日本では一定の農業品というような、ということは認め合いましょう。ともかくTPPというのは、すべての関税を撤廃するものではないことを確認します、ということです。
 どこにも聖域はない。いってみれば例外部分なり分野があるということです。でも、考えてみれば、そんなことは最初から分かっていることだったと思われます。安倍さんは確信犯的に選挙公約に違反しない言い方を最初から考えていたのだと、ぼくは思います。

 いまこの、世界の経済の仕組みが揺らぎつつある中で、世界中が口先とは裏腹に経済的な帝国主義を取りつつあります。アメリカも弱りつつある。唯一頼りに出来るのは、日本の国民が保有する莫大な資産です。
 アメリカとしては、日本が入ってないTPPなんて、そんなTPPはなんの価値もないものなのです。だからアメリカは必死です。一方日本は、安全保障上アメリカに逆らうことは困難だし、まして今日この厳しく切迫した四囲の問題を抱え、このアメリカを無視することはほぼ不可能といえます。

 そもそも、TPPとはグローバル化という大義名分のもとにお互いに関税自主権を放棄しましょうという話なのであって、そこにおいては、アメリカの一人がちになることは、はっきりしているともいえるでしょう。TPPは関税自主権に関わる問題であること留意すべきです。
 ここでぼくは、あの幕末に結ばれた日米修好通商条約を思い出します。江戸幕府はひたすら小田原評定をくりかえし、この不平等条約を結ばされました。そして、この不平等条約を解消できたのは、日清戦争の勝利のあとの日米通商航海条約の締結によってだったのです。

 安倍さんはすべて分かってやっていると思います。日本の緑の棚田を守るという口癖は、日本の文化を守るということだと思うのです。日本の文化を破壊する作用を持つTPPを受け入れつつ、守るべきものは死守する決意を持っていると信じようとぼくは思っています。
 勝手な深読みかもしれませんが、TPPによって、もしかしたら、どうしても外に出てこないタンスに眠っている巨額のお金を引き出せると考えているかもしれない。多少はアメリカに取られることになっても、それが日本の活力になれば致し方ないのではないだろうか。

 では、ぼくたちは安倍さんをどう支援したらいいのだろうか。それは、TPPに反対することです。逆説的ですが、TPPに反対することが安倍さんを助けることになるのです。それはどうしてか。国民の反対の声を背にした安倍さんは、それだけ強い立場で、オバマと対決できるとぼくは思うのです。
 
(付記)TPPについては、以前のブログ新聞・テレビが伝えないTPPの詳細を参照してください。

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