イギリス、英国。アメリカ、米国。ドイツ、独逸。
いずれも同じ国の名称です。だいたいどこの国にもこうして日本語で二つの表記が可能です。ロシアは露西亜で、オランダは阿蘭陀です。
では、中国はどうでしょう。これは中華人民共和国の略称だといえます。とすれば、チャイナ、中国となって当然で、チャイナと中国は同等に用いられていいと考えられます。しかしそうではなく、チャイナが用いられることは少ないようです。
そして、右がかった人は「支那」と呼ぶことが多い。また「支那」は差別語であると思っている人もいます。
調べてみると、これはGHQ支配時の外務省の通達にその淵源を求めることが出来ることが分かりました。昭和21年(1946)、連合国の管理下にあった外務省は、東京都内の主要マスコミに対してこんな通達を出しました。
中華民國の國名として支那といふ文字を使ふことは過去に於ては普通行はれて居たのであるが 其の後之を改められ中國等の語が使はれてゐる處支那といふ文字は中華民國として極度に嫌ふものであり、現に終戰後同國代表者が公式非公式に此の字の使用をやめて貰ひ度いとの要求があつたので、今後は理屈を拔きにして先方の嫌がる文字を使はぬ樣にしたいと考え念のため貴意を得る次第です。要するに支那の文字を使はなければよいのですから用辭例としては
中華民國、中國、民國。
中華民國人、中國人、民國人、華人。
日華、米華、中蘇、英華
などのいづれを用ひるも差支なく唯歴史的地理的又は學術的の敍述などの場合は 必しも右に據り得ない例へば東支那海とか日支事變とか云ふことはやむを得ぬと考へます。
(昭和21年6月7日付「中華民国の呼称に関する件」より引用)
大東亜戦争などと同じく、GHQ支配下で用語統制の一つであったということです。
サンフランシスコ講和条約後も、戦後体制を維持したいマスコミはこれを信奉し続けるだけではなく、それを破るものにいわれない批判的態度を取り続けていると考えられます。
Wikipediaには、「中国(曖昧さ回避)」という項目があり、それによれば、「中国」という記述が意味する事項が、チャイナを含め6つあること、さらに細かくいうと20にもなることが、記述されています。
極めて紛らわしい表記なのです。
日本には、中国と呼ばれる地域(山陽・山陰を合わせた地域)が約1100年前(878年の『類聚三代格』に載っている)から存在しています。中華人民共和国(建国1949年)は、まだ60年ほどしかたっていません。
それなのに、日本国では中国という地域名を使うことが出来ないのは、まことに理不尽なことです。
旅行のパンフレットのタイトルを「中国ツアー」にするとシナ旅行の事と勘違いされます。食品に「中国産」と付けると、シナ産の事になってしまいます。
2007年、中国地方にある「中国食品工業」という会社が倒産しました。当時はシナ産の食品の安全性が世界的に問題になった時期で、社名の「中国」がシナの事と勘違いされ、「シナの食品を専門に扱う会社」と 思われたのが原因でした。
千年以上も使われ続けてきた地名が脇に押しやられ、使えなくなったのは、先にいった外務省通達と主権回復後も、占領体制を維持したいマスコミを始めとする勢力の所為といえるのでしょう。
一体いつまで、「理屈を拔きにして」先方の意に従わねばならないのでしょうか。
ありとあらゆるすべてのメディアにおいて「支那」から「中国」への書き換えが行われました。過去の戦争の名前までも、例えば「支那事変」は「日中戦争」、「大東亜戦争」は「太平洋戦争」にという具合に書き換えられました。その一方で「中国四千年」「中国文明」などと、あたかも何千年も前から「中国」という国があって、日本人がそう呼んでいたかのように触れて回りました。つまり、単に国の呼称が変えられただけではなくて、歴史全体が書き換えられたと言ってよいと思います。
少し前に、大学の同窓会があり、その時の朝食で友人と中国について話しあっていた時、ぼくの中国批判に対して、彼は、
「でも、中国には4千年の歴史があるからねぇ」といい、ぼくは少々気色ばんでしまい、
「何言うてんねん。国とちゃう。王朝が根絶やしの殺し合いを繰り返してただけやねんぞ」といいました。
けっこう学のある人でも、この調子です。問題は、普通日本人は誰でも、日本の国、この世界で珍しい国の形を持つ日本をもとに、よそも同じだと考えるという過ちを犯していることだと思うのです。いずれにしろ、NHKの罪は重いというべきだと思います。
シルクロードは大いに宣伝しましたが、その地で行われた、度重なる地表での原爆実験とその被害については、全く報道することはなかったのです。
以上のような経過から考えて、ぼくは「チャイナ、支那」とするのは、違和感を持つ人もあるだろうから「チャイナ、中国」として、主に「チャイナ」を使おうと考えています。皆さんも中国は止めてチャイナと呼ぶことを提案します。それは「ジャパン、日本」と同じなのですから、中国も文句はないと思うのです。
それにしても、チャイナはどうして、中国と呼んで欲しいのでしょうか。
もともと、辛亥革命では「支那共和国」と呼称されていたのです。ところが、共和勢力による政権獲得が現実のものとなっていくのに伴い、様子が変わってきました。だんだん支那の独立という理想論は影を潜め、清朝が1912年の段階まで確保していた「支那・満洲・モンゴル・チベット・東トルキスタン」の範囲をそのまま枠組みとする「中国」で、近代的な国民国家の形成が目指されるようになってきました。
つまり、支那はチャイナの一部に過ぎないし、すべてをまとめるには「中国」でなければならない訳です。特に現状はもっと膨張しており、これは現在の膨張主義にも符合していると思うのです。
さらにもう一つの理由があると思われます。それは「台湾」の存在です。「台湾」というのは、今のチャイナが国連に認められた時、その地域名から国名相当となった呼称で、もともとは「中華民国」です。
この「台湾」は、俺のものとチャイナは勝手に主張していますから、「中国」は「台湾(中華民国)」をも包括する呼称となって都合がいいのでしょう。
そう呼んで欲しがっているからといって、呼んであげるには、とんでもなく礼儀作法を欠いているのが、チャイナという国です。子供の頃、そう唱えながら遊んだ「日本勝った、日本勝った、支那負けた」とか「負けて逃げるはチャンチャンボウ」や「チャンコロ」などという蔑称を唱える気は、さらさらありませんが、「中国」と呼んであげることは、チャイナの膨張主義を是認することになってしまいます。
だから、決して「中国」などと呼んではならない。そう呼ぶことは尖閣・沖縄を取りにきているチャイナを認めることになってしまうからです。
だから、今後「中国」は決して用いず、チャイナと呼ぶことを心に決めたところです。