五箇条の御誓文について

日本の近現代史については、知れば知るほど大嘘がまかり通っていることに驚かされます。
例えば、昭和天皇の「人間宣言」。実際のもの、昭和21年年頭、1946年1月1日の詔のどこを探しても人間宣言と思われるものはありません。
もともと天皇陛下の詔勅にはタイトルというものはありません。官報においてタイトルが付けられるようです。従って複数のタイトルが存在します。そのタイトルの後に丸括弧で括って(人間宣言)などとしたのは、大分後のことでおそらくコミンテルン系の報道がもとになったと思われます。

この【新日本建設に関する詔書】と名付けられた詔(みことのり)は、敗戦の翌年のことで日本全国が焼け跡の荒廃の中にありました。
その後、昭和憲法が天皇により発布されます。ここで、帝国憲法⇒昭和憲法の切り替えが行われるのですが、これを天皇主権⇒国民主権とする為には、憲法学上無理があり、ここに「8月革命論」、つまりボツダム宣言受諾は革命だった、という荒唐無稽の馬鹿げた説明が東大憲法学者によって創られました。
この主権が天皇から国民に移ったという論理との整合性の必要から、天皇が神から人間になったといういわゆる「人間宣言」が必要とされたのではないか。ぼくはそう考えています。それにしても、人間が象徴とは変な話ではあります。
そこで、この「年頭、国運振興の詔書(新日本建設に関する詔書)」の口語訳を掲げる前に、その時から31年経った昭和52年の8月に行われた天皇陛下の記者会見を見てみることにましょう。(「日本の民主主義は戦後の輸入品ではない」昭和52年8月の記者会見)
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