近年になって、徐々に高まりつつあった嫌韓の波が、どんどん高まっているように思えます。それがサッカー場での出来事であるうちは、まだまだそんなこともあるだろうと納得しうる範囲でした。ところが、こんどのオリンピックの開催地決定に関しての妨害行動ともいえる韓国政府の動きに至っては、もう理解を超えていると感じざるを得ないものだった。
同じような例として、あの盗難仏像に関する韓国司法の判断があり、国際法を無視した在韓企業への賠償要求があったりします。
最近では、戦前の東京大震災時の朝鮮人虐殺に関して、南京虐殺事件に似たフレームアップの歪曲宣伝が始まったようです。さすがにこれにはNHKも丸乗りするような状況にはないようです。
ところで、オリンピック開催地の投票結果に関しては、興味ある事実が生まれました。「早とちりの心理学」ともいうべきもので、人は自分が願っているように早とちりするということです。中国国営テレビや新華社や日本の池上彰さんその他が日本が落ちたと大喜びで報じ、後で慌てたという面白い事実が生まれたわけです。
韓国司法の仏像を返さないという司法判断には、正常な日本人はやはり首を傾げます。しかし、考えてみると、日本にも同じようなことがあることに気付きました。あまり知られてはいないかもしれないのですが、あの「NHK一万人集団訴訟」です。もう3年前になりますが、NHKスペシャルシリーズ「JAPANデビュー」という番組が放映されました。この4回の番組の第1回「アジアの“一等国”」の内容が問題となりました。
台湾人3000名を含む一万人を超す人たちが、事実誤認や歪曲があるとしてNHKを訴えたのです。東京地裁は、にべもなくこの訴えを却下し、現在高裁での控訴審が続行中です。
細かい事実認識のずれや、明らかな捏造ともいえることがあるとはいえ、大げさかもしれないけれど、これは植民地支配や侵略認識に関する近隣諸国と日本との代理闘争ともいえるものだと思います。そして相手側には日本人も含まれている、つまり日本の内部の敵ともいえる人たちの存在があるということが、問題を複雑にしているのかもしれません。
ところで、このシリーズの第2回は「天皇と憲法」でした。ぼくにいわすれば、これにも大きな問題があり、それは第一回の問題ともかかわり合っていると思うのです。だから、ここで、この「天皇と憲法」について取り上げてみたいと思います。
まずは、NHKスペシャル「JAPANデビュー」第二回の「天皇と憲法」の動画の抜粋を見てください。問題のある内容ですからDVDにはなっておらず、一部がYoutubeに上がっていたのを見つけ、それから必要部分を切り出しました。「天皇と憲法」抜粋6分少々の動画です。
ここでは、東京帝国大学の平泉澄(ひらいずみきよし)が、日本を破滅に導いた悪者として取り上げられています。確かに、平泉澄は「国粋主義者」であり、自分では一度もそう名乗ったことはなかったにもかかわらず、「皇国史観」の頭目とされ、戦後陰険に貶められたようです。
日本の敗戦直後、彼は大学に辞表を提出して平泉寺に帰り、翌年1月、生家である白山神社の宮司となりました。そして、89歳でなくなるまで、多くの著作をなし、右派の国史学者として、影響力を持ち続けました。
そもそも、この「皇国史観」とはいかなるものだったのでしょうか。こんな風な説明があります。
皇国史観とは「日本国は皇国であると考え、日本の歴史を皇国の歴史として捉える歴史観」である。その「皇国」とは、天照大神を皇祖とする万世一系の天皇が統治する国をいう。
この考えがいけないとされたのは、ひとえにGHQの指導であったと考えられます。日本は皇室をいただく国であり、万世一系の天皇が存在する。それが日本という国体である。それのどこが間違っているのでしょうか。
竹田恒泰先生の『日本人の原点がわかる「国体」の授業』の最初の数ページを読んだだけで、簡単に理解できることなのです。平泉澄氏は多くの本を書いておられる。文庫本の『物語日本史』上・中・下はアマゾンに上がっているので、読んでみたいと思っています。
平泉澄氏より数歳若い宮沢俊義氏を取り上げることにします。この人こそが、戦後の日本を狂わせた、あるいは呪いをかけたともいえる宮沢憲法学の創始者であり総帥なのです。彼の実態は、曲学阿世の徒として下の書物に記されているので、それを引用しつつ紹介したいと思います。
先の動画に登場した3人の学者先生、一人は「知の巨人」と称され「天下無双の俗物」とされる人であり、もう一人は代表的な御用学者です。彼らはすべてまた、日本を惑わすリベラル教徒であるともいえるし、そして宮沢憲法教の教徒でもあります。少し長くなるかもしれませんが、この書物の内容に従って宮沢俊義を紹介して行きたいと思います。
東大法学部宮沢憲法学の売国性 ー「曲学阿世」の故宮沢俊義教授
今日、官僚の汚職事件が相次ぎ、腐敗堕落ぶりが世間で騒がれているが、その官僚組織の頂点に立ってきたのは、東大法学部出身の「キャリア」組である。そして、東大法学部の設置科目の王座を占めてきたのは、いうまでもなく、「憲法」である。憲法は、国家の根本法であり、行政法、民法、商法、訴訟法、社会法、租税法その他、あらゆる法令の基礎をなすものだからである。
故宮沢俊義氏は、明治32年に長野市に生まれ、戦前から戦後にかけて、東大法学部「憲法」担当教授をつとめた人(昭和34年定年退官)で、77歳で昭和51年に没した。彼は戦後も職を辞することなく、大転向を遂げ、退官後の憲法講座は、小林直樹、芦辺信義、樋口陽一等の各氏によって引継がれた。
皆さんご記憶ですか?あのクイズ質問をした民主党の議員が、安倍総理に「芦辺信義も知らないのか」と嗤ったその人は、宮沢俊義の弟子なのです。
ところで、曲学阿世の徒とはどういう意味なのでしょうか。「曲学阿世」とは、自己の保身や栄達の為、学問上の真理をねじ曲げ、時の権力者におもねり、時流に迎合することを言うとあります。そういう輩ということです。
では、故宮沢俊義氏は、どのように曲学阿世であったのかを知りましょう。
彼が、昭和17年に「東京帝国大学教授」の肩書きで出した「憲法略説」によれば、「大日本帝国は万世一系の天皇永遠にこれを統治し給う。これがわが建国以来の統治体制の根本原理であり、これをわが国家に於ける固有且つ不変な統治体制原理とする。(中略)この固有にして不変な統治体制原理を国体といふ。」と説いている。
更に、彼は、明治憲法第三条の「天皇ハ神聖ニシテ犯スベカラズ」という規定についても、「天皇が神の御裔として、現人神としてこれを統治したまうとする民族的信念の法律的表現」と説いている。(この解釈が間違っていることは後に述べます)
ところが敗戦後、こんな風に変わりました。
昭和30年発行『日本國憲法』の中では、「国体は、天皇主権ということに帰着するが、(中略)それは厳密に学問的な概念として使われたことは少なく、多くの場合、明治憲法のもとで天皇絶対主義・天皇神権主義・軍国主義・ファシズム等々を基礎付ける為の単なる美名としての役割をもった。(ここで彼は、「帝国憲法」を「明治憲法」と呼び変えた造語を作りました。)
などと、まるで人ごとのようにいっています。更に罪深いのは、彼のスパイ的行為によって、GHQ憲法が作られることになったことです。
彼は、昭和20年10月、志手原内閣のもとで設置された憲法問題調査委員会(委員長は松本烝治国務相)の委員を務めた時、松本草案のGHQヘの提出前に、密かにそのメモ(いわゆる「宮沢甲案」)を毎日新聞記者に手渡し、それが昭和21年2月1日の松本「毎日」草案のスクープとなり、その後の米国製草案の押しつけを招いた。
彼は、昭和20年8月、革命が行われた、とする珍説「八月革命説」も編み出した。さらに決定的には、憲法よりも上位に「人権」を置くというとんでもないアンバランスな、いわゆる宮沢憲法教を生み出したました。
ところで、この「八月革命説」とは、いかなるものだったのでしょうか。
いわゆる昭和憲法に対して「日本国憲法は明治憲法が定めていた改正手続きを経ないで成立したから無効」とする批判がありました。
イギリスの例に見られる如く、後の憲法より古来から伝わる不文法が優先されるべきで、だからイギリスには憲法はありません。従って、憲法は基本的にはそんなに簡単に恣意的に変えるべきものではないのです。だから、日本の国体にかかわる部分は、変更不能だという議論があったのです。
これに対して、ポツダム宣言の受諾を一種の「革命」と解釈し、「革命であるから改正手続きは不要」という、なんとも荒唐無稽の理屈をごり押しし、日本国憲法の成立を正当化した理論ともいえないような論なのです。
数少ない帝国憲法を信奉する学者から論争を挑まれ、完全に敗北した結果、「宮沢俊義によって捏造され、樋口陽一に継承されている東大法学部マルクス憲法学は、すでに論破され大敗北を喫した真赤なウソ学問なのである」とされているのだけれど、なぜか生き続けているのです。
ここまで、読み続けて頂いた方の中の大部分が、ぼくのことを「この人おかしいんではないか」と思っていらっしゃるのではないかと思います。
宮沢憲法学がおかしいのは分かった。でも帝国憲法だっておかしい。そもそも「天皇ハ神聖ニシテ犯スベカラズ」(第3条)ってなんだ。絶対権力ではないか。そう思うでしょう。
普通の文章として読めば、天皇はヒットラーやナポレオン、フセイン、金正日といった独裁者であるかのように感じて当然です。
無理もないことなのですが、実は法律学又は政治学では全く意味が違うのです。
憲法の条文は文言だけを見ても正しい解釈が出来ない最たる例であります。神聖不可侵の正しい解釈は、結論から言いますと次の通りです。国政上の責任者は内閣にあり。
立憲君主国における憲法上の「君主無問責の原則」と言われるものなのです。
君主無問責というのは、政治においては「どれだけ悪い政治であっても君主は自ら責任をとることができない」、つまり、「君主は自分で勝手に政治を行ってはいけない」ということなのです。
伊藤博文は欧米諸国の憲法を調べ尽くし、井上毅とともに8年がかりで帝国憲法を作りました。各条文についての説明の本を書きました。『憲法義解』です。
各国の例を見てみましょう。
●オランダ王国憲法(1815年)第55条
国王は不可侵とする。大臣が責任を負う。
●デンマーク王国憲法(1958年改正)第13条
国王は、その行為については責任を負わず、その一身は、神聖とする。大臣は、政府の行為について責任を負う。大臣の責任は、法律の定める所による。
●ベルギー王国憲法(1831年)第63条
国王の一身は不可侵であり、その大臣が責任を負う。
この3つの条文を見れば「君主は神聖不可侵であり、国政においては大臣が責任を負う」ことは一目瞭然でしょう。つまり、立憲君主制に於いては極めて常識的な文言なのです。
たとえ君主であっても、憲法の定めたルールに従わなければなりません。これこそが立憲君主制(立憲政体)の要諦なのです。帝国憲法では第4条に明記されています。
第4条
天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
要するに、「天皇であっても憲法に従って統治しなさい」と憲法が天皇に命令しているのです。
伊藤博文は、枢密院の憲法草案審議の場でズバリ立憲政体の本義を説きました。明治21年6月18日のことです。
1.天皇は責任大臣において権限が制限されること
2.天皇は議会の承認によって立法権が制限されること
これこそが立憲政体の本意であると伊藤博文は言ったのです。実際帝国憲法にはそのように条文が織り込まれました。
帝国憲法は、欧米も驚くほどの民主的な憲法だったのです。<高田直樹ブログサイトにようこそ>の資料に挙げてある、ぼくがネットにあるものを参考にして書いた「日本帝国憲法の口語訳」へリンクを張っておきますので、興味ある方はご覧になってください。口語訳・大日本帝国憲法
ところで、最近不思議なことが岩波書店で起こったのだそうです。以下の記述を読みましょう。
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最近に至り岩波書店は、明治憲法との共通点を持つベルギー憲法を新版世界憲法集から追放してしまった。日本国以外の立憲君主国憲法典を掲載しない岩波の世界憲法集は看板に偽りありではないか。
帝国憲法において天皇が国家元首として無答責の地位(神聖不可侵)にあり陸海軍を統帥することは、君主国憲法の正道であり、それを非難する戦後の憲法学者と占領憲法は常軌を逸している。
岩波書店は、世界憲政史の中では帝国憲法が正統であり占領憲法が異端であることを隠蔽したいのであろうか。もし岩波書店がNHK内の反日左翼勢力と気脈を通じて情報操作を行っているのなら、それは本当に恐ろしいことである。
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帝国憲法に場所を取ってしまったので、「天皇と憲法」自体の内容については、全然触れることが出来ぬまま終わることになりそうです。
少し大げさにいえば、その内容は全部違っています。だいたいこの番組が、GHQ史観、東京裁判史観、宮沢憲法観を下敷きにしているのだから当然といえば当然の話しではあります。
冒頭から断定的に平泉澄を悪者に仕立て上げているのが誤り。「万世一系の君主から象徴天皇になった」というのもおかしい。いまも昔も天皇は君主ではありません。
仮に象徴天皇になったとしても、万世一系の天皇に変わりはないのです。基本的に皇室をなくしたいという気持ちがにじみ出ているような番組で、3人の先生方の言葉の端々に、ぼくはそれを感じてしまいました。
ほんとにここの先生方のバカさ加減は驚くべき程度です。「天皇のあり方は国民が決めると憲法に書いてある」だって。バカか、貴男は。日本の国体を調べたらそんな勝手な解釈が許されないことは高校生でも分かるはずです。
三人目の先生は、ニックネームが「ミニ◉イヤ」というのだそうですが、東大の政治史が専門のようで、三人とも憲法学の専門ではない。それにしても3人とも垂直軸が欠如した、地球市民みたいな人間のようです。憲法のことも帝国憲法のことも全くの無知のようです。「ミニ◉イヤ」先生は、天皇はへそと唱えるけれど、日本の国体に対する認識はほぼないといっていいと推察します。さすがNHK、まあ揃いも揃って、粒ぞろいの3人を出したもんだと感心しました。
昨今、憲法改正論議が盛んです。自民党の改正案が公表されています。しかしその内容といえば、驚くべき稚拙さであり、作った人々のおつむを疑ってしまうような代物なのです。中学生の落書きなどと酷評する人もいます。戦後の半世紀以上の永きに渉って、宮沢憲法学の呪いに掛かり続けた日本国民が覚醒する為には同じくらいの年月が必要と思われます。
それまでは、憲法改正などはすべきでないし、改正条項などに手を触れるべきではない、というのがぼくの考えです。
憲法を変えずに出来ることを何でもやる。軍隊をもちながら軍隊ではないとすることが出来たのですから、何でも出来るはずです。
安倍政権は、日銀の首をすげ替え、内閣法制局の首もすげ替えました。これは驚くべきことだったようです。なぜなら、これまで誰もそれは出来なかったのです。なぜ出来なかったのか。
次官級会議があり、ここを通さないと閣議決定が出来ない仕組みがGHQの指導で出来上がっていたからです。
前日の次官級会議に議案が上がり、予備審議されるのですが、各省庁次官にはなんと拒否権があったのです。つまり一人でも反対があれば通らず、従って閣議決定もできない。
では、どうして安倍内閣になってそれが出来たのか。次官級会議が廃止されたからです。
それをしたのは誰だったのか。なんと民主党政権でした。とことん駄目なものでも一つぐらいはいいことをするという好例というべきでしょう。
そういう意味では、中・韓が反日的な動きをすることによって、日本国民を目覚めさせているのも同じことなのかもしれないと思うのです。
話しがそれましたが、結論としてぼくが思うのは、憲法を変えるまでに、日本国民が目くらましから目覚める為の学習をなし、日本国民としての自覚を取り戻し、日本国民としての誇りを持った時に、正統性をもった憲法が生まれるに違いない。しかしそれはもっともっと先のことなのだろう。そう考えているのです。