韓国「セウォル号」の遭難に思う

 韓国の海難事故のニュースで、海面にわずかに出ている船首・船底に2人の救助隊員が乗り、一人がハンマーで船底を叩き、一人が耳を付けて音を聞いているシーンが写った。

ポセイドン号は一瞬のうちに天と地が逆さまになった。

ポセイドン号は一瞬のうちに天と地が逆さまになった。一人の船客が床に固定されていた丸テーブルにぶら下がっている。


それを見たとき、ぼくは、最近に見た「ポセイドン・アドベンチャー」の映画を思い出した。豪華客船「ポセイドン号」は巨大津波を受けて、年越しパーティーの最中、一挙に転覆して船底が海上を向いた状態で停止する。パニック状態に陥った乗客たちの中で、たまたま乗り合わせていたはみ出しもののスコット牧師がリーダーシップを発揮し、そのまま救助を待てと主張するパーサーに従う大多数の乗客を後に、自分に従う9名の乗客を率いて、脱出へと導いていくという物語である。迫り来る浸水した水面を逃れて上へ上へと進み、船底に達した時、ハンマーの打撃音を聞き、打撃音で応答するというシーンがあった。
 しかし「セウォル号」での、これに関する報道はなかったから、たぶん応答はなかったのだろう。

潮流の激しいところにさしかかったあたりで事故発生

15日午後9時頃 仁川港出航。潮流の激しいところにさしかかったあたりで事故発生。16日8時58分頃、セウォルが遭難信号を発信。16日10時10分頃「沈没が迫っている。乗客は海に飛び降りろ」と船内放送

 こうした転覆事故の場合、必ずエアポケットが出来るから、そこの空間では、生存が可能なのだが、それとて空気の量によるわけである。最近の日本の漁船で90時間後に救出という例があるそうだが、その90時間はすでに経過し、生存者がいる可能性はほとんどなくなった。
 救助作業が進まない原因の一つに激しい潮の流れがあると報じられている。この激しい潮の流れというのは、一つのキーワードであると考える。
 日本の新聞各誌が、操縦ミスや乗客を見捨てたと、やや一方的な非難を高める中で、ウォール・ストリート・ジャーナルは冷静に、船長・船員の意見も報じている。 <逮捕されたフェリーのイ・ジュンソク船長は記者団に対し、乗客に直ちに避難するよう命じなかったのは「当時、現場の海流が非常に強く、水温も低かったため」と話した。
 船長はさらに、救助の船がまだ到着していなかったため、「乗客が救命胴衣を着ないで軽率に避難したら遠くまで流されると思った」と話した。
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 船長は、船は傾いているが、転覆することは想定していなかったと思われる。
<事故を起こした「セウォル号」の乗組員、Oh Yong-seok氏はウォール・ストリート・ジャーナルのインタビューに応じ、乗組員らは沈没しているフェリーから脱出したが、その前にまず乗客を救助するためにできる限りの手を尽くしたと述べた。Oh氏には逮捕状は出ていない。>
 彼はまた、<「われわれは規則を破ってはいない。ただ、乗客がいた客室に行くことができなかった。船体は傾きすぎていて、しかも急速に傾いていた」と話した。>  これから分かることは、船体の傾斜がきわめて急激に増し、急速なでんぐり返りが起こったということだろう。
 そのとき、船は傾いたまま、漂流していた。つまりエンジンは停止していたはずである。激しい潮流に押し流されていた。そして、大きな積荷の移動が起こった。甲板には100個のコンテナ、下にはトラックやトレーラが積まれていた。これらの結索がはずれ、片方によれば、一瞬にして転覆が起こり、乗客の救出は不可能となったのだろう。

 この事故の原因として、最初に考えられたのは、座礁だった。しかし、その辺りには岩礁はなかったので、座礁した後、離脱したとい推測が流れた。ところが、裏返って現れている船底にはまったく傷が見当たらなかった。

転覆現場はこの地図の遥か上部。

転覆現場はこの地図の遥か上部。

 そして、GPSの解析により、この船が急激に進路を変えていることが分かり、この急激な進路変更の操舵が、積荷の崩れを引き起こしたという見方が主流となっているようである。しかし、ぼくはこの見方はおかしいと思っている。なぜなら、そんな進路変更の必要性の説明がないからである。
 急激に回ったから荷崩れが起きて転覆したのか、傾いてきたから急激に進路が変わったのか。
 船が傾いた状態で前進すれば、操舵に関係なく船は回る。したがって傾いた状態で、急速な前進は危険なのである。船の沈没前の航行を見てみよう。
 この航跡から想像できることは、潮流の激しい場所にさしかかり、最初の急旋回が起こった。激しい潮流により船の傾きが増し、その結果、船が大きく旋回した。そこで、4分後、仕方なくエンジンを止めた。以後船は潮に流されて行くことになる。槽舵手の「舵がひどく軽かった」という証言があるが、船が傾けば、舵は効かなくなって、空回りの状態だから、軽くて当たり前と考えられる。
 ジグザク移動しているのは、エンジンを動かし舵を切って潮流による船の回転を止めようとしたのかも知れないが、この小さな揺さぶりが、決定的な荷崩れを引き起こしたのかも知れない。
 「ドン」という音がして、転覆が起こったが、それまではジグザク走行をしていたという生存者の証言がある。

ウォール・ストリート・ジャーナルの次の記事は、この事故の流れをかなりはっきりと示しているようだ。
<舞台芸術を学ぶ高校生Kim Si-yeonさんの母親は16日朝、テレビで、フェリー「セウォル号」の事故のニュースを目にした。Si-yeonさんを乗せてハイキングとミカンで有名な済州島に向かっていたはずの船だ。
 その直後の9時36分、母親はSi-yeonさんからの電話を受けた。「この船、すごく変なの。傾いている」とSi-yeonさんが言うと、電話は切れた。
 10時にまた電話がつながった。Si-yeonさんは、船が大きく傾いて船内は大騒ぎになっており、足が焼けるように痛いと母親に訴えた。
 母親が、「大丈夫。そこにじっとしていなさい。助けに行くから」と言うと、Si-yeonさんは、「ママ、それは無理だよ。物理的に不可能だよ」と言い、救命胴衣を着て、救命ボートに乗る準備をしていると説明した。しかし、「降りたら電話するね」という言葉を最後に二度とSi-yeonさんからの電話がつながることはなかった>
 漂流が始まったすぐ後の8時58分に救援信号が出されたとされており、9時半頃にはテレビでも報道されていた。また、10時には「救命胴衣を着て、救命ボートに乗る準備をしていると説明」しているから、退避準備は行われている時に、予期せぬ転覆が起こったということだと思われる。

改造前・後の比較

改造前・後の比較。このように船の上部に新しい構造物ができて重心が高くなった。こうなると潮流に巻き込まれたりした時に復原力を失って倒れる可能性がある。

 セウォル号は日本で造られた船で、20年間日本で使われた後、韓国が買い取った。2012年10月に日本から移ってきた直後、乗船人員を840人から956人に増やす構造変更をした。アパートのベランダを室内に変えるように船の後方の屋外空間を室内に変えた。改造したから船の重さは6586トンから6825トンへと239トン増えた。
 当然、船尾の上部に客室を増やしたから復元性は損なわれることになったはずである。

 下の改造後の船名セウォルが裏文字になっているのは、二隻の向きをそろえる為に裏焼きされているからだ。いかにも頭でっかちになっていることが分かる。船尾には元はなかった船室が増設されている。
 仁川港を出てから丸一日走り、船底にある燃料タンクの油は減り、その分不安定さは増した。船尾上部に新設された客室には、高校生が乗っており、甲板には100個のコンテナーがあり、不安定な状態の中、激しい潮流の場所にさしかかった。潮流の流れに押されて船は傾き、その結果最初の旋回が起こったのではなかろうか。
 このとき小規模な荷崩れが起こっており、船の傾きは回復することなく、救援の船を待ちつつ、漂流を続けることになった。
 そして、決定的な荷崩れにより、急激な転覆が起こったのだろう。
 これは、まったくのど素人であるぼくが、情報を集めながら考えた推理である。なぜか、急激な操舵が原因とされているようだが、そんな急激な操作がなぜ必要だったのかの説明がないのは、納得いかない。
 経験がない船員が操舵していたとされるが、それは別に異常なことではない。岩礁の間を抜けるわけではないし、だから船長も通常のローテーションで休養を取っていたのだろう。

 この旅行を起案し引率していたこの高校の教頭さんが、行方不明者の家族が待機する珍島の体育館の近くで首を吊って自殺するという悲しい事件が起こっている。遺書には「私がすべての責任を負う。私が修学旅行を推進した。遺体を火葬して、沈没現場にまいて欲しい。あの世で、まだ遺体が見つかっていない生徒の教師になれるかもしれない」と遺書にあったという。胸が詰まる思いがする。

 悲しみに暮れる家族の状況がテレビで報道されている。
 最近見始めている「CGSのじっくり学ぼう日韓近現代史」で、講師の宮脇淳子先生が、こんなことをおっしゃっていた。なんか、韓国の歴史上の事件のコメントで、
「韓国で本当のことを言ったらいじめられるんです。
これでまあ日本人が自分たちといかに違う人たちかと、顔が似てる、文化も、どこが!って、いう風になったら正しい。日本は日本でやっていきます。というのがあって、ほんとに正しいやり方ですので、朝鮮韓国の人がどんな人で、どんな歴史があるかということを知るのは日本人に取っては必須のことだと思います。」

 それにしても、この事件での高校生の家族の反応を見て、同じことが日本人に起こったら、どうなるんだろうと考えた。そして違うなあ、やっぱり違うんだと、日本人と韓国の人とは違うと今更のように思った。
 その違いはどこにあるか。一つは文化である。葬式で泣き女というプロを仕立てて、「アイゴー、アイゴー」と泣かせる文化を持つ人たちなのだから、マイク片手に泣く家族を批判すべきではない。恨み、「恨」という歴史伝統的な心情を持つ人たちが、大声で感情を爆発させるのも致し方ないとも思える。
 日本人とは違うのである。その違いの元の最たるものは「恥」の文化の有る無しだと思う。日本人だって、子供が納得のいかない死に方をしたら、悲しみや憤りは彼らと何ら異なることはない。
 しかし、日本人は「恥の文化」を持っている。だからテレビカメラの前で、泣きわめいたり、つかみ合いを演じたりは決してしないのだ。
 また、船長を始めとする船員が、船客より先に船を離れるということも、日本ではまずあり得ないと思う。
 帝国海軍では、艦長は船が沈む時にはロープで身体を船に縛り付け命をともにするというシーンを映画で見た記憶がある。

 この悲しい事故に関するネットの書き込みは多い。しかし、その中には、おぞましいものが数多く見られる。いくらけしからん相手であっても、その不幸を喜んだり、この時とばかりに言い募るなどというのは、少なくとも正しい日本人のすることではない。
 そんなことをしたら、自分も一緒に貶めることになることを知るべきだと思う。そんな、日本人とも思えぬ若者が増えてきたように思えるのは、本当に困ったことだと感じている。

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