ようやくW杯が始まり、コートジボワール戦が終わりました。
「葉巻のけむり」に書きたいことが次々にあったのですが、このW杯の初戦が気になって気になって筆を執る気にならなかったのです。
テレビもワールドカップにかかわる番組が満載でした。これまでのW杯の試合はもちろん、12年も前の日韓大会の試合も放映されていました。現在とは全く違うサッカーに時代の推移を感じ、世界のサッカーの進歩も読み取れるように感じました。
日本代表のサッカーも、全く違ったものになっていることが見て取れます。それは、コンフェデレーションカップの試合や直前の三つの強化試合を見ても歴然としていて、日本が徹底的な攻撃サッカーに変貌したことを示していました。
日本のサッカーは、イビチャ・オシムによって変革の端緒をつかみ、ザックさんによって大きく変わったのではないかと思っていました。
あまり報道されないことなのですが、現在のFIFAのランキングでは日本は47位で、今回のブラジルW杯にでる32ヶ国の中で、下から4番目なのです。日本より下なのは、カメルーン(56位)、韓国(57位)、オーストラリア(62位)です。
FIFA世界ランキング
もっともFIFAのランキングなどというのは、あまり当てにならないのも事実のようではあります。そうかといって、守ってばかりの戦いで失点しなければ勝てるというわけではない。
失点を極力抑えて守りを重視し、幸運を掴んでのカウンターで得点する。ザックさんは、そういうこれまでの戦いでは、いつまでも進歩がないと考え、超攻撃的サッカーを教え込もうとし、選手たちもこうした考えに、逡巡しつつ最終的には一致したようでした。
初戦で勝って、サプライズを起こすことをぼくは期待していました。
悪天で高温な悪条件の中でのコートジボワール戦は、ビビりまくった戦いの中、まるで前の前の日本チームを見るような展開で、無惨な逆転負けとなりました。W杯直前の三つの最終戦で見せた逆転勝ちのサッカーはどこに行ってしまったのか。早々とした先取点のあと、その点を守ろうとする防戦一方の展開となり、なす術もなくあっという間に2点の失点で逆転されました。
それは、2006年ドイツW杯のオーストラリア戦を思い出させるものでした。あの時、日本は前半に中村俊輔の遠いフリーキックで一点を先取して、後半もこれを守り切ろうとしますが、39分、44分、ロスタイムと矢継ぎ早に失点したのです。とんでもない遺伝子が蘇ったように感じました。
いつもは、日本を貶めるような日本弱体化報道を定常的に流しているマスコミやテレビは、ことサッカーになると急に変に愛国的になり、日本の欠点をはっきりとは述べません。そういう正確に現実を見るサッカーの解説者を選ぼうとしないようです。それはちょうど、自衛隊や日本の軍備・戦力を正確に述べるコメンテーターや軍事評論家を登場させないのと同じことだと思うのです。
たしか今日の「報道ステーション」では、古館さんが、集団的自衛権に関してのコメントで、実に唐突に「こんなことでは、きっと徴兵制が敷かれます」と述べました。なに言ってるんだろうこの人、頭はたしかか、正直そう思いました。現代の戦争に対する想像力を欠いているとしか思えませんでした。
日本が見事に負けたにもかかわらず、サポーターが掃除をして帰ったということが、賞賛される報道がいくつもの國であったと報じられました。このことはネット上にも多く取り上げられています。
日本では、取り立てていうほどのことでもないことが、諸外国では驚きを持ってみられたということです。別に誇るほどのことではないし、日本はもともとそういう國なのです。
ところが、さすが韓国の反応は違いました。
<W杯で試合後にゴミ拾いをした日本サポーターを見た韓国人「韓国では不可能」「礼儀正しいふりをしてるだけ」>などというのはいいとして、<「韓国が勝つより日本が負ける方がうれしい」>というのには、少なからず驚きました。なんとも正直な感想ではないか。平気で公然とそういいきれる。そういう本音を吐くことを恥ずかしいこととは思わないところがいかにも韓国人だと思いました。
日本人は、こうした次元やレベルで、ネットに書き込みを行うことは厳に慎まないといけない。日本国民を同レベルに貶めるようなことをしてはいけないのです。
日本がW杯に出たのは、2002年の日韓W杯が最初(もしかしたら2回目)です。
もともと国際サッカー連盟(FIFA)のワールドカップ(W杯)は、ヨーロッパと南北アメリカで交互に行われていました。1986年、FIFAはW杯をアジアで開催する構想を打ち出し、これに早速乗ったのが日本でした。これを知った韓国は一年遅れで追随し、政財界一体となった強烈な招致運動を繰り広げました。買収やハニー・トラップも猛烈だったといわれています。
日本開催を決めていたFIFAのアバランジェ会長と次期会長を目指すUEFA(ヨーロッパサッカー連盟)会長との二派に別れた抗争に発展しました。結局、こんな状況では両国での同時開催しかないということになったわけです。しかし次々と問題が発生しました。
まずは、この大会の呼称に関しての問題でした。「2002 FIFA World Cup Japan/Korea」と決められたのですが、このアルファベット順のJapan/Koreaの順番に猛烈に反対したのは、鄭夢準大韓サッカー協会会長でした。結局日本が折れて、Korea/Japanとする代りに、優勝戦は日本で行うという決着となりました。
しかしこの呼称問題は、これで決着がついたわけではありませんでした。日本では、最初から表記を「2002 FIFAワールドカップ 日本・韓国」としていました。5年ほどは問題なかったのですが、2001年に教科書検定問題が起こると、韓国サッカー協会は、正式名称はKorea/Japanであるのに「日本・韓国」とするのは大会合意に反すると文句をつけました。
韓国の強硬な態度に困ったFIFAのW杯組織委員会は、国名は最重要ではないからそれを外して「2002FIFAワールドカップ」としてはどうかと提案して、決着を見たといわれています。
とはいえ、現在では「日韓ワールドカップ」が普通に使われているようです。
この大会で、韓国はベストフォーに残ったのですが、多くの審判のミスジャッジが問題となり、歴史に残る10大ミスジャッジの8個までが、この大会での韓国戦に集中しており、審判買収の黒い噂が囁かれているようです。
いずれにしろこの頃の韓国は日本より強くて、日本は韓国にはなかなか勝てませんでした。しかし今ではほとんど負けることもなく、世界ランキングでも遥かに上です。無念やるかたない韓国が日本が負けるのが嬉しいという気持ちは理解できます。
さらにおっ広げていえば、昔から日本を遥かに格下と見ていたのに、あっという間に明治維新を成し遂げ、世界の一等国になった日本が許せない。そこで都合良く被害者としての自国の歴史を造り上げています。ひところブームとなった韓流歴史ドラマなどは、すべてといっていいほどフィクションと言っていい。
たとえば、李氏朝鮮の時代に、あの國には染色の技術はありませんでした。あんなきらびやかな色物の衣装をまとっているわけがないのです。
ウソか真か知りませんが、現在の韓国女性の8割が美容整形を行っているそうです。そうであれば、あの國の歴史が美容整形を行った捏造の歴史であっても驚くには当たらないといえるでしょう。
ちょっと感情的な物言いになったかもしれません。しかし、その国に生きる人間には色々あるということは認めた上で、ともかくそういう國であり人たちだと認識するべきだということです。
さて、話を戻してW杯ですが、ギリシャ戦はどうなるのでしょうか。かなり厳しいのではないか。
もし勝って勝ち点3が得られたら、それは大きなサプライズに値するとぼくは思っています。ともかく失点してもいいから多くのシュートを決めて欲しいと思っています。いまや勝ち負けではない。戦いざまが問題です。
それでもし万が一勝ったら、次のコロンビア戦ではもっと大きなサプライズがあるかも知れない。物事は楽観的に見なければ活路は開けないとも思っているのです。