先進国の若者ムスリムはなぜ「イスラム国」に向かうのか

 アメリカが本気になったようなふりをして、少しだけ「IS」いわゆる「ムスリム国」討伐に力を入れるようになっても、「ムスリム国」を目指してシリアに向かう若者は一向に減る気配がない。
 一体どうしてなんだろう。しきりに貧困がその原因だといわれているようだ。でも、ほんとにそうなのだろうか。そうした若者たちの出発国は、欧米を始めとするかなりの先進国なのだ。
 なぜなのか。その理由に関しては、様々な見解があるようだ。

 世の中には、変種ともいうべき人がいて、そういう人は人を殺すことをなんとも思わない。なんとも思わないどころか殺したいとさえ思うらしい。最近の事件にも見られたが、「誰でも良かった。人を殺してみたかった」というような話だ。こういう人をサイコパスというらしい。小学生を殺して生首を校門に置いた酒鬼薔薇事件や最近では同級生を自宅に呼んで頭部を殴ったのち絞殺し、首と左手首を切断した女子高校生の佐世保女子高生殺害事件などがこれにあたると思える。
 こうした人はめったにいるものではないだろうが、一万人に一人ぐらいはいるかも知れない。
 今地球上には16億人のムスリム(イスラム教徒)がいる。上の推計で数えるとムスリムにも16000人のサイコパス殺人鬼が存在する勘定になる。この人々が「イスラム国」の残虐映像に引きつけられるのではないか。そんな見解も成り立つかも知れない。

 とはいえ、性善説にたつぼくとしては、こうした推論をすんなり首肯するにはかなりの抵抗を覚える。そこには何らかの行動の正当性の理屈が必要だと思える。
 この正当性への理屈が大変重要なのではなかろうか。
 かつて、共産主義が叫ばれた時代、共産主義による世界革命によって世界には平和が訪れると信じた人たちが多数存在した。共産主義革命によって成立したとされたソ連邦はコミンテルンという暴力革命の世界拡散組織を作って、革命を世界にばらまこうとした。その時彼らの正義は共産主義だった。
 同じような考えで日本の連合赤軍はアラブ世界へ向かった。現在のマスコミや評論家の中には全共闘世代の過激主義にあるシンパシーを感じる人たちが少なからず存在し、そのほとんどは左とかリベラルと呼ばれているという話を聞いたことがある。

 隠れた人種差別主義の國のグループともいえる欧米諸国に異を唱えて戦った日本の大東亜戦争で、漁夫の利を占めたのは共産国ソ連で、それに対抗したのは第二次大戦の戦勝国の国々だった。アメリカが人種差別の國と聞いて、違和感を覚える無邪気な人もいるかも知れないが、それはとんでもない間違いだ。
 独立宣言の起草者でアメリカ建国の父の一人ともいわれるトマス・ジェファソンは、インディアンを野獣と呼んでいたし、インディアンの皮を剝いでバッグを作ったし、自分の義歯にインディアンから引っこ抜いた歯を用いていたという。
 ソ連と対抗したアメリカを筆頭とする彼らの正義は自由・平等と人権と民主主義だった。
 この正義の対立あるいはイデオロギーの対立は、かなり観念的なものだったともいえるが、ソ連邦の崩壊で消滅した。イデオロギーの消滅した後、冷戦と呼ばれる東西対立は終結した。

 世界には平和が訪れるかと思われたがそうではなかった。アメリカでは新保守主義と呼ばれる原理的資本主義が力を持つようになり、軍事的な対抗勢力を失った軍産共同体の要請を受けて、より過激な軍事力を持とうとする勢力が力を持ち、ネオコンと呼ばれるようになった。
 彼らの拡張主義はローマ帝国の再来を目指しているともいわれた。ブッシュ父子の政権にはこのネオコンが多数は入り込んだことによって湾岸戦争から始まるアラブへの理不尽な介入が起こった。
 ソ連邦崩壊後の民族独立や宗教対立による紛争も、アメリカやEUの勝手な介入によって起こり、あるいはより複雑化し拡大したと言える。

 こうした見方は、素人のぼくの独断と偏見によっているのだが、大きく外れてはいないと思っている。
 現在の世界は、195ヶ国の主権国家によって成り立っている。この主権国家という概念は、フランス革命後に出来上がったものだった。一次大戦後に世界平和を求めて、国際連盟が出来た。そこではイギリス・フランス・日本・イタリアが常任理事国として世界の枠組みを決めることになっていた。いわゆる国際法と呼ばれるような条約や取り決めも行われた。
 最初の会合で、日本国は規約に「国家の均等」と「人種差別の撤廃」を盛り込むように求めたが、イギリス・アメリカなど植民地を持つ國の強硬な反対にあった。日本国は何度も各国と折衝を行った。アメリカにおいて「黄色人種」である日本人も差別されていたからである。
 総会提出を問う採決では、賛成11、反対5であったが、議長のウィルソンは「全会一致でないと認められない」として、総会への提出を拒否した。アメリカでは、黒人がこの人種差別撤廃法案に大いに期待していたのだが、自国大統領・ウィルソンによって却下されたと知ると多くの都市で人種暴動が勃発し、100人以上が死亡、数万人が負傷するという人種闘争が起きたのだった。
 
 大東亜戦争において、弱小国の日本は強大な資源国であるアメリカに戦いを挑み、4年間の永きに渉って戦った。
 最初の外国であるパキスタンのカラチで、中東帰りの商社マンが、ドイツ人から「日本は強い。我々が負けた後1年近くも頑張った」といわれましたという話を聞いたことを思い出す。この戦いにおいて、アメリカは国際法を全く無視した大量虐殺を行った。二度の原爆投下と東京大空襲(一夜にして10万人)である。国際法では戦争において、民間人を殺傷することを禁じているのだ。
 第二次世界大戦後になって、国際連合と呼ばれる戦勝国を常任理事国とする組織に変わった。植民地を失った欧米諸国は、その仕組みを金融資本主義にシフトしなければならなくなった。自由・平等と民主主義を正義として、金融による経済戦争を追求するようになった。
 たとえば、アメリカは中国に出資し安い労働力を使って儲ける。この時にアメリカの手下となって働くのは中国共産党幹部といえるだろう。指令を出しているのは、ウオール街の国際資本なのである。この図式はこと中国だけではなく世界全体にいえることである。日本に関していえば、そのお先棒を担ぐ人たちがいうのは、グローバリズムであり、新自由主義経済であり、TPPなのであろう。

 話を本筋に戻そう。第二次大戦以後の世界の推移を眺めてみて分かることは、正義と呼ばれた概念が崩壊してきているということである。そうした正義を唱えるものたちの裏の心根が暴露されて来ている。
 冷戦終結後に起こった世界の紛争には、かならず欧米先進国の介入があったことがわかる。そして、それは同時に大国の利益や利権が絡んでいる。
 大アジア(大東亜)、そこは日本が大東亜戦争で植民地を解放した国々なのであるが、そこで起こった紛争にはかならず石油メジャーの石油利権が関わっていると言っていい。
 そにに、ブッシュが作った「テロ国家」という名称を本当に体現した国家が初めて誕生した。それが「イスラム国」なのだろう。「イスラム国」はアメリカのCIAが作ったという、某略説好きの人が喜びそうな言説が出回りつつもある。

 現在の世界に本当の意味での大義・正義はあるのだろうか。あまりに大国の独善と不正義がまかり通っているのではないか。ぼくたち日本人は、こと宗教に関して、ほとんど世界一般にいう宗教心を欠いているといえる。そこには、コーランを唱えアッラーの教えに帰依するムスリムの心情を汲み取る能力はほとんどないと言っていい。
 世界のムスリムの若者は、突如シリア・イラクに現れた「イスラム国」の主張に心を奪われたのではないだろうか。その超過激集団が唱える「カリフ制」は、極めて明快なイスラム法による統治を説いており、世界どこにもないピュアーなものとして、理想として映ったのではないだろうか。
 現在の世界の枠組み、それは金融資本主義、言葉を変えれば貨幣植民地主義に則るものともいえるのだが、この枠組みに敵対するものとしてのみ捉えるマスコミ世界の見方に、否応なく立たされてしまっているのかもしれない。

 アメリカの場当たり的でご都合主義な二重規範が見えれば見えるほど、「イスラム国」に興味を抱く世界のムスリムの若者に正義を与えることになる。したがってこの大国のダブルスタンダードがなくならない限り、若者ムスリムの流入は止まらないだろうとぼくには思える。
 我が国は、敗戦以後、持ち前の勤勉さと能力を存分に発揮し世界史上例を見ない高度成長を遂げてきた。その途上現在に至るまで中東の諸国には、経済援助を惜しまなかったといえる。特定の宗教にこだわらない日本にとってイスラムは馴染みがいい。大統領がバイブルに手をおいて宣誓を行うアメリカとは異なる。
 アメリカがイスラム国に対して、日本にしたように原爆を落とすことは今や出来ない。東京に対してやったような空爆も出来ない。民間人を殺すことになるからである。
 だから現在の空爆は、前線のみに限られる。空爆しても燃料がなくなるからすぐに戻らないといけない。都市に逃げ込まれたら手が出せないのだ。
 アフガニスタン、イラクの戦争の教訓からもう派兵はしないと決めてオバマ政権が成立した。それは正しかった。世界の警察でなくなったのが間違いだといわれるけれど、その世界の警察は、アメリカ本土の警察と同じくけっこうひどいものだったのだから。

 では日本はどうすればいいのか。なにも態度を変えることはない。これまで通り、積極的平和主義に則って経済援助を続ければいい。この地の援助に関しては、日本は世界の大先輩なのだから、「イスラム国」が周辺に膨張しないように周辺国を援助するべきであり、逃れてきた難民救助を各国に呼びかけるべきである。この考えに徹して、「イスラム国」自体を攻めてはならないし、過度に責めてもいけない。
 日本は今後否応なく中東に関しての発言力が増してくると思われる。アメリカに追随することは厳に戒しむべきだと思われる。
 「イスラム国」に同調するテロ集団が飛び火しても、それは放っておく。あくまでも周辺国に限るべきである。
 思いつくままに書いてみた。独断と偏見に満ちていると思われる方もおられるかも知れないが、ぼくの勝手な考えであるので御寛容願いたい。

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