大もめにもめた安保関連法案はようやく可決成立しました。衆・参両院で多数を占める政府なのですから、可決されて当然といえますが、ともかくよかったと思っています。
この法案は、新しく作られた「国際平和支援法案」と自衛隊法改正案など10の法律の改正案などからなっているようです。ぼくはその法案に関しては、国会中継での質問やその答弁、保守系の雑誌、新聞・テレビなどで見聞きしただけで、その全文を直接読んだわけではありません。
しかし、ぼくは安倍政権が目指しているものが分かっているつもりだし、それは日本の将来にとって正しい方向で国益にかなうことだと信じています。だから可決成立は嬉しいことだと思ったわけです。
いま国益にかなうと言いました。「国益」とはよく聞く言葉です。でも、そもそも「国益」とはなんなのでしょうか。国の利益のことに決まってるじゃないか。と簡単に答える人がいるでしょう。
そうですか。で、国の利益とはなんですか? それはあんた、国が儲かることつまりGDPが増えることでしょう。たしかに、そうですね。でもそれだけですか?
調べてみるといろいろと難しいことが書いてあります。歴史的に見て国民国家の成立とともに生まれたといえますが、わが国では、国民国家成立前の江戸時代の各藩には「国益」の概念は存在したといえます。
まあ、そういうことの考証が目的ではないので、ここでは詳しくは言いませんが、ともかく、ぶっちゃけ簡単に言ってしまえば、「国益」とは、「お金」と「軍事力」の二つなのです。
このいずれを欠いても国家は存立し得ません。こんなことは世界のごく普通の常識です。しかし、敗戦後の占領下において占領軍によって作られた憲法を、7年ほど後の独立後もありがたく押し頂いて70年経ったわが国の国民は、国益とはお金のことぐらいの理解しかないと思われるのです。
この占領下憲法は、明確な意図を持って作られました。
世界最古の歴史を持ち、あっという間に世界列強に並びたつようになった有色人種の日本という国は、自分たちにとって極めて有害危険である。二度と自分たちに歯向かえる国にしてはならない。そのためには軍事力を持たしてはならないし、日本独自の伝統的なものを変えさせる必要がある。
そんなわけで、明らかに国際法に違反することも意に介さない強引さで日本国憲法が成立させられ、古来世界でも例を見ない遵法精神を持つ日本国民は、それを守り続けてきたわけです。
この憲法には、当然のことながら、軍事力に関する記述はありません。軍を持たないわけですからなくて当然です。この国民国家の成立にとって必須の軍事力つまり軍がない国などというのは、いわば欠陥国家であって、まともな主権国家とはいえません。
この憲法は、世界の国々は友愛に満ち、決して争わないというありえない仮想世界観に則って書かれており、そうした仮想の国を実態たらしめるために現実的な軍事力の補強が必要だった。それが自衛隊であり、安全保障条約だったと言えるでしょう。
軍事力というあるものをないと言いくるめるための理屈がいくつも用意され、それを整備補強するために何十年もの努力が続けられたと言っていい。
それにしても、こんな異常とも言える憲法が変わることなく存続したのはどうしてなのか。たいへん不思議です。
戦前戦中を通じて、マルクス主義は極端に弾圧されていました。そういう考えを持つ人たちは思想犯として獄中にあるか、地下に潜ることを余儀なくされていました。こうした人たちが、日本の敗戦とともに一挙に躍り出てきました。最も顕著な例は学者の先生たちで、彼らは日本の主要な国立大学を支配するようになりました。
そのころソビエト連邦は、世界革命を目指しており、コミンテルンという世界組織を作っていました。大手を振れるようになった日本共産党もコミンテルンの指令に従って行動していました。
学者さんの世界は、『白い巨塔』に描かれた医学の世界と同じで、いわば「赤い巨塔」といえるのだそうです。そしてそれは、驚くべきことに70年経った今もあまり変化ないと言えるようなのです。
そう考えると、安保法制に大量の学者(憲法学者120人)が反対したのも腑に落ちるのです。
今回の反対運動とは比較にならないくらいの大きな反対運動が起こったのが、60年安保でした。70年安保もありました。当時の若者は権威には反逆するのが若さの証であるなどと考えていた節があり、いわばそれは世界的な風潮とも言えました。彼らは「怒れる若者」などと呼ばれました。
世界を巻き込んだ第二次世界大戦が終わって、世界中が平和になると、出産がふえました。日本でも外地より多くの復員兵が帰ってくると子作りに励みベビーブームが起こります。この子供達が団塊の世代です。
世界的に起こった学園紛争もこうした子供たちが主役だったと思われます。
この世代の人たちには、ある挫折感とアナーキズムそして国家に対するいわれなき怨嗟の念を深層的に持っている人が多いと言えるかもしれません。こうした活動で指導的な地位にあった人は、会社への就職は困難でした。しかしマスコミへの入社は比較的容易だったとも言われています。これらの人たち思想がいまもマスコミを覆っており、それがマスコミの現在の状況を作っていると考えると合点が行きます。
以上説明したような経緯で日本中の教育界やマスコミにおいて、GHQによるWGIP(ウォー・ギルド・インフォメーション・プログラム)と呼ばれる、日本弱体化計画を内々の手引き書として日本国民の洗脳が間断なく行われてきたのだろうと推察することができるのです。マスコミはなぜ日華事変や支那事変と言わずに不適切な日中戦争というのか。詳しくは述べませんが、30項目にわたるプレスコードを読んでみてください。いまなおそれが順守されていることに驚きます。
ある人間の正体は、普通ではなかなか分からない。しかしことが起こったり、緊迫した状況の中で、それが明らかになるというようなことがあります。同じように、世間でも、なにか普通でないことが起きると、普通では見えないことが見えてくる。今回の安保法制の大騒ぎの中でも同じようなことがたくさんあり、それはぼくにとって注目すべき事柄でした。
よほどの馬鹿か世間知らずでない限り、だれでも日本の現在の安全保障には問題があるということは分かります。だから今の自衛隊の活動の縛りを緩める必要があることはわかる。今目前にあると思われる危機がどこかもわかる。しかしそれをつまびらかにできない理由もわかる。自民党が圧倒的多数を占めていることも分かる。
日本を本当の守ろうという気があるならば、あんな反対運動には決してならないと思われるのです。
長く続いた自民党政治を変えようとした国民が作ったのが民主党政権で、そうするべく公正を装いつつ陰険執拗な活動を行ったのは、左翼やリベラルの学者とマスコミでした。
ところが、できた政権はデモと市民運動しか知らないあまり賢くない議員によって形作られていた。マニフェストに麗々しく列挙された公約はほとんど実行されず、外交政策にも戦略もセンスもないことを露呈し、国民の大きな失望を招いたのでした。
民主党政権のとき、安全保障に関して、民主党首脳の岡田、野田、細野各氏は、すべて集団的自衛権を認める意見を述べており、今回の法制に準ずる法案を上程すべく準備中であったそうです。彼らは浅はかにも、ともかくいまの政権を攻撃すれば、国民の支持が得られると考えたと考えられます。目的は政権を打倒すること、ともかく法案成立を阻止するパフォーマンスを行うことが国民の支持を得ることだと考えました。マスコミはもちろん、まともでないと思われる学者、知識人、文化人も同調しました。正確に世界の状況を捕らえられない女性や主婦や学生も後を追いました。
今回の安保法制に反対するこうした勢力は、かつて民主党政権を作った人たちと重なっているような気がしたものです。
彼らのとった戦術は、レッテル貼りだったと言えるでしょう。「憲法違反」「徴兵制」、戦争に巻き込まれる「戦争法案」などなど、すでに何十年も前に掲げられていたカビの生えたようなプロパガンダを繰り返し行いました。目的は次の選挙で議席数を伸ばすことだけで、国のこと国民のことを考えているとは思えませんでした。
最も笑止千万と思ったのは、「民主主義を守れ」というプロパガンダでした。
世界中のほとんどの国が自国のことを民主主義国家だと自称しています。共産党一党独裁を唱える中華人民共和国(中共)でさえ、そこはいわば中国共産党王朝が支配する国なのですが、平気で自国を民主主義国家としています。
各国それぞれの民主主義があるとも言えるのですが、わが国は自由と民主主義に関しては見事な典型と言っていい国家です。
自由主義の国・日本国における「民主主義」とは、まず多数決の原理の尊重。国会運営における細かい規定とルール、そして投票による選挙制度。選挙によって選ばれた議員が、多数決原理によって法案を決定する。その結果が不都合なものであれば、次の選挙で国民の意思を反映させることができるという仕組みだと言えます。
ここで、自分たちの意見が通らないと言って、正当に言論を戦わせるどころか、見え見えの引き延ばし戦術を使い、「身体を張って」採決を阻止するなどというのは、それこそ「民主主義」の否定そのものと映りました。
日本国民は、例えば「5カ条の御誓文」に示されているごとく、戦前より民主主義の国であり、万葉の時代より民衆の文化度は高かった。江戸時代の識字率は世界最高だった。
こうした極めて高い民度を誇る日本国民を馬鹿にしているような行動をとる政党や議員はやがて消滅して行くことになる。そんな風に感じたのでした。