戦後70年と言われたこの年も暮れようとしています。
日本国内においても、世界においても、次から次へと大きな事件や出来事が起こりました。特に夏以後に関してなのですが、ある事件が起こり、それについてここで書こうとして色々と調べたりしているうちに、次の事件が起こります。これは前のこととも関連しているので、それについても調べないといけない。するとまた事件が起こる。なんてことが続いて、全く書けない状態がずっと続いていたのです。
これが、この<葉巻のけむり>の長い空白の理由と言っていい。
外国で起こった事件・出来事で一番ぼくが驚いたのは、あのシャルリ・エブドの襲撃テロ事件に対して起こった巨大デモでした。あの襲撃自体は、表現の自由なんてものを超えているし、ムスリムの怒りも、ぼく自身は理解できるように思ったのです。ところがこのテロ事件に対するフランス人の反応は凄かった。
フランス全土でなんと370万人のデモ行進が行われ、首相をはじめとして多くの議員も参加したそうで、このことに驚いたのです。
フランスというのは、自由・平等・博愛を掲げて王様を斬首し大殺戮の応酬の末に成立した世界初の国民主権国家です。これをきっかけに次々と主権国家ができて近代世界が始まったわけです。そしてこの思想がまたマルクス主義も生み出しました。
この巨大デモからぼくが感じたのは、西欧社会の行き詰まりと焦りだったのです。
日本に関するニュースでは、ラグビー世界選手権で日本が南アフリカを破ったことです。
大学の頃、山岳部のトレーニングとしてラグビーをすることがよくあったし、同志社の山岳部と御所の中の芝生で対抗試合をしたこともありました。結構たくさん植わった松の木を抜けて走るラグビーは面白かった。だから興味はあったのですが、もっぱらサッカーの方でラグビーを観戦することはほとんどなかったのです。それは日本はとんでもなく弱かったからです。
負けつづけのラグビー弱小国だった日本が、南アフリカという超強いチームに勝利したのです。胸が熱くなり泣けました。
だいぶ後の話ですが、この世界大会を振り返るTV番組がありました。それは、試合前やハーフ・タイムで、ロッカールームで何が語られたかのドキュメンタリー番組でした。興味を覚えてメモしておいたので、それを紹介しましょう。
エディ・ジョーンズが繰り返し口にしているフレーズは、「国のプライド」と「チームのプライド」です。
「国のために南アフリカを殺しに行く」とも言っています。
サモア戦でのハーフ・タイムで五郎丸はこう言いました。「今(相手の)首を締めるところまで来ている。しっかり絞めて殺そう」
アメリカ戦の前のロッカールームでのエディ・ジョーンズの発言は、「プライド、すべてはプライド。自分たちのプライド、国の誇りをかけて戦え」でした。
活躍したトンガ国籍のマフィー選手の日本人の妻・あずささんは、勝ったとき泣きましたかと聞かれ、「南アフリカ戦で勝ったときは興奮で全然泣かなかったんですけれど、始まる前の君が代のときは感極まって泣いちゃいました」
確かに君が代のとき、全選手が大声をあげて歌っているのがわかりました。これはワールドカップ・サッカーでは見られない光景だと思いました。
彼らは誰も「楽しんできます」などとは言わなかったし、勝っても「自分を褒めてあげたい」などと甘えたことは言わなかった。
勝因として猛烈なトレーニングや技術面ばかりが論じられているようですが、ここに示された、エディ・ジョーンズの言葉にこそ、勝利の本質があるとぼくには思えたし、それはまた戦後70年かかって日本人が喪失していったものだったのではなかったのか。そう感じたのです。
この勝利は日本人はもちろん驚いたわけですが、もっと驚いたのは白人だったのではないか。驚きを通り越してある恐怖だったかもしれない。それはかつての日露戦争の勝利と比べられるのではないかと思えたのです。
日露戦争の後、アメリカの様子が急変したのはご存知の通りです。日本人移民の子供はそれまで通っていた学校に行けなくなったし、やがて日本人の移民は禁止されます。
ぼくの推理では、酷いやり方で先住民の土地を奪い虐殺し尽くしたことへの怖れがあったのかもしれません。先住民は日本人と同じモンゴロイドでした。初代大統領のジェファーソンはインディアンを人間とは見ていなかった。先住民の尻の皮でカバンを作っていました。
部落を攻めるときは、別働隊が戦士が出払ったところに攻め入り老人女子供を皆殺しにするのが常でした。絶滅させるには食料を断つべしとばかり、一枚の舌肉を食べると宣伝し、バッファローを全滅させたのは、ベトナム戦の枯葉作戦と同じでした。日本軍が日本が攻めてくるからそれに備えねばならないと西海岸に守備隊が作られました。これが現在のアメリカ海兵隊の始まりでした。
アメリカに限らず、ヨーロッパの植民地宗主国に取っても、日本の勝利は驚異でした。あのナボレオンさえ勝てなかったロシアを有色人種の日本人が破ったのですから・・・。何百年も支配され人間扱いされていなかった植民地の人々の覚醒が起こるとすれば、それは由々しきことでした。
植民地の人たちは教育は与えらるどころか、優秀な人は手首をを切り落とされたのです。戦後独立したばかりのパキスタンのラホールに技術指導に赴いた国鉄の京谷氏がパキスタンの職員から聞いた話を語っています。
「実は私の父も鉄道技師でした。父は何人かの技師と一緒に、イギリスがもってきた蒸気機関車と全く同じものを1/5サイズで作りました。そして、どうですマスター、我々も同じものが作れます。」そういったのだそうです。英国人は、冷たく無表情だったそうですが、しばらくして、その作業にかかわったすべての技術者を全員処刑したのです。
植民地支配とはそういうものだったようです。日本が行ったとされる植民地支配とは質的に全く異なることを知るべきです。
そういうことを何百年も続けてきたイギリス、フランス、ドイツなどにとって主に中国人を対象としていた「黄禍論」は、ここで日本人を対象として一挙に広がったのでした。
フランス革命以後、ヨーロッパ同士の戦いを止めた列強は東方への侵略、植民地支配に力を注ぎますが、日本の台頭によってそれも止まり、国同士の争いを始めたのが第一次世界大戦だったようです。日本は日英同盟を結んでいたので、これに参加し主に輸送船の海洋警護にあたりました。
大陸では、戦いのために本国に引き上げ手薄になっていたドイツが支配していた青島をほとんど戦わずに占領しました。
戦後、日本はドイツの植民地であったパラオ諸島の管轄を国際連盟から依頼されます。日本は欧米列強とは異なる委任統治の形をとり、島の発展に寄与する統治を行いました。それは言い伝えられ今も残る親日感情からもあきらかです。この島の一つペリリュー島は大東亜戦争に最初に日米が戦ったところとして有名です。
日本軍一万人に対し米軍は三万人。アメリカは三日で片付くと考えていましたが、洞窟に立てこもって戦う日本軍に苦戦し、3ヶ月を要しましたし、アメリカの死者は一万人を超えました。この立てこもりと玉砕戦法は、硫黄島や沖縄戦のモデルとなったと言われています。
今年今上陛下はこの島を始めて慰霊訪問されました。晩餐会のスピーチで、勇敢に戦った日本軍将兵の勇気に感謝の言葉を述べられたそうですが、それが日本で報じられることはありませんでした。
さて、この第一次大戦は人類が経験したことのない過酷な総力戦で、機関銃、戦車、飛行機、毒ガスなどの近代科学の成果が注ぎ込まれた悲惨な戦いでした。
すべての人は、戦争はもうやめだと感じ世界連盟をつくりました。列強に伍して軍事大国となっていた日本帝国はアメリカ、イギリス、フランスなどとともに常任理事国に名を連ねました。
ここで、日本が議題として提出したのが、人種差別撤廃法案です。慎重な根回しの結果、多数国の同意を得ていたのですが、アメリカのウィルソン大統領の強固な反対で議題とはなりませんでした。
目的とした世界融和とは裏腹に列強は敗戦国ドイツに報復的な過酷な賠償を押し付け、これがナチスの台頭を招いたと言われています。
第二次大戦や大東亜戦争(太平洋戦争)についての論述は多いようですが、第一次大戦の前後の経緯についてはあまり語られません。ぼくが思うには第一次大戦は今の世界を考える上で大変重要ではないかと思っています。日本では、第二次大戦や大東亜戦争に関して、いつも国内のことのみが論述され、世界のことといえば、支那大陸のことのみが語られてきました。
しかし、世界連盟の常任理事国の地位を占めていた日本と欧米やロシアとの国際関係についての考察が大変重要であると考えています。日本の歴史と世界の歴史を切り離して、歴史を考えていても世界の流れはわかりません。日本の視点に立った日本を含めての歴史、つまり日本の国史としての世界史が必要だと思っているわけです。
ところで、この頃つくづく思うのですが、日本という国は世界の中で本当に特殊な国だなあということです。それは極東の島国であって海に囲まれ侵略されることがなかった。縄文時代という世界史では他にない平和な時代を過ごし得た。四季があり、清流があり、金や銀などの地下資源にも恵まれていました。
縄文時代は基本的には採集経済だったのですが、クリやドングリの栽培を行っていました。世界では採集経済は5千年間で終わると言われているそうですが、日本ではそれが一万年も続いた。世界の文明発祥の地はみんな今砂漠となっています。文明が自然を破壊したということです。日本の長い採集経済は自然を破壊することなく調和と自然を神とする神道文化を生み出したのではないかと思うのです。
縄文人は土器を使い調理した山海の食物を食べていた。いわば寄せなべです。耳飾りなどの装身具を身にまとい芸術品とも思える土偶を作りました。丸木船によって海上往来を行っていたようで、それは富山県糸魚川でのみ産出されるヒスイの装飾品の出土が日本全土、北海道にまで及ぶことで明らかです。
時期的にも世界四大文明にも並ぶ時代で、それはまさしく縄文文明と言ってもいいと思うのです。
世界文化の中心であった支那大陸から漢字を受け取り、これを大和言葉にフィットさせるべくひらがなとカタカナを案出しました。こんな風に文字を使う国は日本以外にはないでしょう。世界最古の長編小説『源氏物語』も生みましたし、万葉集も作られました。特筆すべきはこの歌の作者が庶民から王族貴族に及んでいることです。さらにそれが今の時代にまで伝えられていることです。
千年の都京都の平安は応仁の乱で破れます。ここで日本のシステムや伝統のモラルは破壊されるのですが、このとき地方に逃れた貴族によって、京都で培われていた平安文化が日本中に伝搬しました。
後に続く長い戦乱の時代を収めたのは徳川家康でした。
この約250年にも及ぶ平和の時代は、やはりとんでもない時代だったと言えます。この江戸時代はやはり世界に例を見ないものだと言えるでしょう。特筆すべきは庶民の力・エネルギーです。マルクス主義の枠に収められた歴史では、士農工商の身分制度が強調されますが、ヨーロッパやシナ大陸で言われる身分制度とは全く違っています。それは移動可能な身分だったことは、鬼平犯科帳のドラマを見ても明らかです。
江戸時代の庶民は知識欲に富み、独立自尊のプライドを持ち、生活を楽しんでいた。その証拠は世界に驚きを与えた浮世絵であるし、民衆に広がった和算の流行だった。下級武士で幕府勘定方の役人に過ぎなかった関孝和は誰に教わることもなく、ヨーロッパに200年も先んじて円周率の算出に成功していたのです。
江戸の町は、世界で最も清潔な街でした。パリで汚物を窓から投げ落としていた時代に、庶民にまで厠が備えられ、汚物は肥料として流通再利用されていました。
明治維新の動乱を経て、日本は憲法を持つ近代国家の体裁を整えました。この近代国家への衣装替えはすざまじいものだったと思われます。四民平等、断髪令、廃藩置県、よくもまあこんな大変革ができたものだと驚いてしまいます。
ただ、この辺の歴史は歴史小説家によって描かれたものが常識として流通していることが多く、丸ごと信じるべきではないと思っています。司馬遼太郎による維新の歴史などはかなりの創作を含んでいると言っていい。いわゆる司馬歴史観という前提で捉える必要があると思っています。
昭和史になるともっとひどくて、半藤一利の『昭和史』など歴史とは呼べないとぼくは思っています。まっとうな学者による歴史が描かれるべきです。
現在では、ネットによる情報が溢れる中で、それを疑う人も増えつつあると思えますが、問題はNHKでこうしたいかがわしい歴史もどき書をもとに番組を作る罪を犯しているというべきです。
さて、ここで欧米から見て日本はどんな国に見えてきたのかを考えてみましょう。
アジアの諸国を侵攻し植民地化した欧米はその先にある日本を見ました。それは長い歴史と伝統をもち帝(みかど)と将軍が統治する国でした。武士階級は大小の刀を常時帯用しいつ切り掛かってくるかわからない。他のアジアの国のようにはゆかないと思ったことでしょう。生麦事件に見られるごとく、大名行列の前を馬で横切っただけで、斬り殺されるという物騒な国でした。とても植民地にしようなどとは考えなかったと思います。
こういう時に彼らが取る戦略といえば、内部対立を煽り内乱を起こさせることです。
実際幕末には、欧州の武器商人が商売がらみで暗躍していたと考えられます。しかしそれにのせらる日本人ではなかった。西郷と勝の話し合いによって江戸城の無血開城が決まり、ここに権力の移譲が決し、五箇条の御誓文が発布されたのです。
この五箇条の御誓文は実に立派な詔で、今なお拳拳服膺すべきものです。
昭和天皇のいわゆる「人間宣言」などと言われる詔勅も、核心は天皇陛下が「戦争に負けて国民が落ち込んでいる。民主主義はアメリカに与えられたものではなく戦前からあったのだ。それは五箇条の御誓文に書いてあるのです」とおっしゃったことから知ることができます。この発言は後になって、新聞記者のインタビューで語られたことでした。
話を戻します。
それにしても、日本という国は天皇をいただき、さしたる騒乱もなく平和な独立国でした。欧米白人が全世界を植民地として支配する中でたった三つしかない非植民地国だったのです。
あとの二つのうち一つのシャム王国は、フランスとイギリスの植民地に挟まれた国で、緩衝地帯として据え置かれた国でした。もう一つはエチオピアで伝染病が蔓延していて危なくて入れなかったということです。
つまり、日本だけが自分たちの自由にならない国だった。欧米は面白くなかったでしょう。
何を取ってみても非の打ち所がないと思えたかもしれません。その国がロシアと戦い勝利して、列強に仲間入りしてきた。おまけに軍備をどんどん拡大している。これを叩きのめす必要がある。少なくとも抑え込まなくてはならない。さもないと自分たちの世界支配が揺らぐことになる。彼らはそう考えたと思われます。
狡猾な人たちですから、そんな本音は決して言わない。しかし、深層心理としてそうした心情があったことは間違いない。
こうした状況の中で、日本は大東亜戦争に引きずり込まれました。日本が掲げた戦争の大義は五族協和、有色人種の解放だったのです。日本は日本人は命を賭して戦いました。そして無残な敗北を喫した。
この戦争の後、世界の有色人種は次々と植民地を脱して独立して行きました。アジアのある国の首相は、日本という母は、命がけの難産の末に私の国を生んだのだと述べています。
大東亜戦争はいかなる意味からいっても、世界を変える戦争だったと言えます。
焼け野原となった日本は、驚くべき速さで復興を果たしました。江戸時代から培われた民衆の力が、結集したというほかはありません。
今や押しも押されぬ大国となりました。しかしかつての戦争で勝利した連合国が国際連合を牛耳っており、第二次大戦まえの支配の構造はほとんど変わらないままです。国際連合条項には、敗戦国が国際法に違反した時は無条件に攻めて良いといういわゆる「敵国条項」が今も死文化したと言われながらも存在しているのです。
この戦前より続く連合国の深層意識をぼくたち日本人はしっかりと認識すべきです。その上で世界を捉えると、なぜいま中国や韓国の理不尽な言いがかりがまかり通っているのかが理解できるはずです。
かつての植民地支配の時代は終わったと言っていい。しかしそれは形を変えて、植民地支配構造は経済によるもの、いわゆるグローバル経済や法のグローバル化によるものとなっています。
戦後アメリカが作ったプレトン・ウッズ体制が揺らぎ始めた中、世界の経済ブロックも揺らぎ変容を余儀なくされているようです。
四年後のラグビー世界ワールドカップで、同じように日本が勝てるかは疑問です。しかし誇りを持って戦うべきです。日本の柔道はやはり強い。フィギュアスケートも強い。
そうしたアスレチックのみではなく、学術も抜群なのです。日本人が得た科学におけるノーベル賞の総数は、ヨーロッパのすべての国の総和より多いことを知るべきだと思います。知・情・意において抜きんでた日本人をしっかり認識すべきです。
経済大国の日本は、プライドを持って揺らぐことなく国の方向を定め、目先の金銭的利益にのみに囚われることなく国策を案じるべきだと思うのです。
日本を弱体化させる最も有効な方法は、国民の団結心を砕き分裂対立を煽ることだと知っている大国はいくつもあります。私たち国民は意見を戦わせることの必要性は充分認識した上で、世界の情勢を見極め、慎重に日本国の将来を考えるべきだと思うのです。