パソコンに潜ってみると<葉巻のけむり>の下書き原稿がいっぱいあって、そのほとんどは書きかけのものです。また、やはりちょっと、もう古いという気がするものもあります。でも結構がんばって書いているなと思うものもあり、引っ張りだそうかなという気になりました。
以下のものもその一つで、2013年の10月に書いたものです。
戦争に負けて、GHQの統治下で使用を禁じられた言葉が沢山ありました。
大東亜戦争は駄目で、占領軍は太平洋戦争と呼びました。「支那」にかんしては中華民国が、「中国」と呼んで欲しいといってきました。
国史は日本史と置き換えられることになりました。自分で自分の国の歴史をこんな風に呼んでいるのは、日本以外にはありません。アメリカでは、American Historyではなく、National Historyです。チャイナでも同じです。
敗戦直後のおびえが、なおトラウマとなって身体に染み付き、独立国となってもなお、GHQの呪いから解き放たれることがないかのようです。
ぼく自身、最近ではもう平気になりましたが、大日本とか大東亜とかいう言葉を口にするのが憚られるように感じたものです。
驚いたことに、その当時「わが国」が禁止されていたという話しを聞きました。それで、いまでも、日本国のことを「この国」などと人ごとのようにいって、それがあたかも公正で冷静かつ客観的立場を表わすような倒錯した感覚をもっている人が多いようなのです。
ほくは、日本国の国民であって、「生活者」や「市民」ではないと思っています。
帝国憲法を「明治憲法」と呼ぶ人にも違和感を感じます。「明治憲法」などという言い方は、いかにも明治にできた古くさい旧弊なもので、日本を誤った戦争に導いたものというような、間違った考えを押し付ける響きがあるように感じてしまうのです。じっさいこの言い方を作ったのは、あの問題の宮沢俊義教授でした。
「天皇制」も問題用語といえます。これは、天皇の廃絶をもくろむコミンテルンが言い出した言葉です。1932年のコミンテルンテーゼ(いわゆる32年テーゼ)では、共産主義革命を日本で行うため日本の君主制をロシア帝国の絶対君主制であるツアーリズムになぞらえ、天皇制と規定しました。だから敗戦までは、「天皇制」という用語は反体制であるとみなされていたのです。だからあの司馬遼太郎氏も「えぐい言葉で、悪意が込められている」と語っていたということです。
では、どういったらいいかというと、宮内庁では「皇室制度」と呼んでいます。
先ほどの「日本史」は「国史」と呼ぶべきだという話なのですが、「国史」が正しいのなら「日本酒」ではなくて「国酒」だということになります。
ところで、ほんとうにいま、「國酒プロジェクト」が進行中です。これは、古川元久元国家戦略担当大臣が始められたもので、日本酒と焼酎を「國酒」として、乾杯の時にこれを用いるというものです。「国酒」ではなくて「國酒」でないといけません。
じつは、この考えは今に始まったわけではなくて、30年前の大平内閣で訪中のとき、中国側が自国のお酒としてパイチュー(白酒)でカンペー(乾杯)したので、日本でもワインなどを用いることをしないで國酒でやるべきではないかと大平氏が提案し、國酒として日本酒・焼酎を選んだというのです。
日本酒・焼酎で乾杯は大賛成なのですが、発声は「乾杯」ではなく「いやさか」にすべきだと思っており、これを世界に広めるべきではないでしょうか。