先日、新年会の二次会の席で、西部邁氏が亡くなったことを知らされました。多摩川で入水自殺したのだそうです。
でも、ぼくは少しも驚きませんでした。「あ、とうとう」という感じだったのです。というのは、彼は年末にネットのインタビューでも次のように語り、自分の死を予告していたからです。
「実はねぇ。もう過ぎましたけど、ぼく10月22日に、日付忘れられない総選挙の日、実はあの日ぼくねぇ(はい)、あえてニコニコ笑って言いますけど、あの日死ぬ気でいたんですよ(そういう噂も流れてました)。計画も完了しててね。ところがちょっとね、手はずが狂って、どうしようと思った時に発表があって、総選挙と、あのぼく平凡ですから、あの総選挙の日というのはオマワリとか区役所忙しい。そんな忙しい時に騒ぎを加えるというのはね、私の意図するところじゃねぇから、じゃあシャァねえかと、延ばすか、とこう思った時にフト考えたんです。
よく言われてましたが、なんで22日に選挙するんだと。」 【平成29年 年末特別対談】西部邁氏に聞く[桜H29/12/29]
このインタビューよりもっと前でも、それらしい感じの発言があったように思います。よく日本のことを「このジャップの国」と揶揄的に、自嘲的に呼んだりしていて、 その奥にある深い悲しみが感じられたりして、この人大丈夫かなと思ったりしたこともありました。
東大生時代は過激な活動家で、共産主義者同盟(ブント)として60年安保闘争では活動したようです。
その後左翼と決別し今日ではかなり国粋的な思想ではないかとぼくは思っていました。
ヨーロッパの思想概念を常にラテン語などの語源から説き起こすのが常で、この点だけでも他に類を見ない優れた人だと、ぼくは感じていました。ただ、あまりにエキセントリックでナルシズムに浸る感があるようにも思ったのですが。
彼の死を聞いた時、なぜかぼくは、三島由紀夫のあの一文を思い浮かべたのでした。
「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」。
ここに示された強い焦燥感と同じものが西部氏にもあって、しかし彼のそれは、もっと強く激しい自棄的なものだったではないか。そんな気がしたのです。
ぼくが可愛がってもらった有名な登山家、奥山章氏は、エベレスト登山隊を組織した時、上顎癌を発症しました。
入院を迫られた時、彼は自殺用の拳銃を用意してくれるなら、入院する。そういったそうです。
でも、そんなことが叶うべくもなかった。山岳写真と山のドキュメンタリ映画の作家だった彼は、奥様が買い物に出た隙に、自分の作品写真を部屋一面に敷き詰めて、ガス自殺を遂げたのでした。
彼は、「山ヤが山で死んで何が悪い。山こそ山ヤの死に場所ではないか」といつもぼくに語っていました。
奥山さんは、病院の鉄パイプベッドの上の死を決して望まなかったのだ。ぼくはそう思ったのです。
「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、経済大国」になりきったこの日本国の人々で、西部氏の悲しみを推し量れる人はどれだけいるのだろう。そう思うと、茫漠とした想いに囚われ何か胸塞ぐ思いなのです。